三章 女皇エリーナ
第11話 あやとり
中央の街にある人気菓子店のアルテミスは、開店前から行列が出来ていた。ノアは列の一番後ろに並ぶ。
ルカスにマカロンを買いに行く役を譲ってもらったのだ。ルカスの負担を減らしたいという気持ちと、グレンにお礼がしたいという気持ちで、ノアは名乗り出た。
――これくらいしか出来ないけれど。
早く一人前の残響師になりたいという気持ちは、今も変わらない。けれども、昨日出会った虚影を前にして、ノアの気持ちは揺らいでいた。
――あの場所は、一体なんだったのだろう?
少女はどうしてこの世界を嫌っていたのだろうか。それに、あんなにたくさんの虚影がいたのは残響師が役目を怠っているからではないか。
――残響師たちがちゃんと仕事をしていれば。虚影なんて、存在しないはずなのに……。
ルカスや兄の姿が目に浮かぶ。尊敬している二人だ。あんなに恐ろしい存在を相手にしていたなんて、知りもしなかった。
――おれは、虚影が怖いのだろうか。
斬れなかった。もう死んでいる人だからと思いこんでみても、斬れなかった。斬りたくないと思った。
「そっか。おれは誰かを斬って、そのことでおれが傷つくことが、怖いんだ」
――むいていないのかもしれない。こんな風に考えてしまう残響師は。
「ねえ、君が最後尾?」
「えっ?」
肩を叩かれて、ノアは驚いた。振り返ると、綺麗な顔立ちの子が立っていて、ノアはどきりとする。声は少年だが、髪が長いから女の子かもしれない。いや、髪の長さで性別を判断することは難しい。
「えっと……。おれが、最後尾だよ」
ノアが言うと、子どもの表情が明るくなる。
「よかった。ここに並べば買えるんだよね、プリン」
「ああ、買えるよ」
「ぼく、初めてでさ。何かを買うの」
「ぼく?」
男の子なんだ、と驚いたノアを見て、少年は噴き出して笑う。
「ぼくは男の子だよ。よく間違えられるけどね」
「そ、そうなんだ」
気まずさを隠そうとノアは店の扉を見るふりをする。扉が開く気配はない。
「ねえねえ、待ってる間、ぼくとあやとりしない?」
赤い紐を指に絡めて、少年は腕を伸ばした。
「あやとり、したことないんだ」
「大丈夫。教えてあげるよ」
少年の指が素早くうごいて、紐でできた大きなバッテンが出来上がる。
「これは橋だよ。君はこのクロスされたところをつまんで……下からすくいあげて、指を開いてみて」
少年が丁寧にやり方を教えてくれる。ノアは言われた通りに指を動かしてみると、今度は平面のバッテンが出来上がる。
「これは田んぼ。面白いでしょ?」
たずねられてノアはうなずいた。初めはのり気ではなかったが、花が咲くように新しい形が次から次へと出来上がっていくのが面白かった。
「お兄さん、名前は?」
つまんで。すくいあげて。
「ノア」
ひらいて。すくって。
「ノアの瞳、面白いね」
ノアの手が止まる。
「おれの目?」
少年も手を止めて、ノアに顔を近づける。じっとノアの瞳を見つめてから、耳元でささやいた。
「導きの天使の加護」
驚いたノアの反応に、少年はにやりと笑って再びあやとりに戻る。
「声がきこえるでしょ? 魂の」
つまんで。うえにむけて。
「どうしてそのことを?」
指をひらく。
四本の糸が並んでいる。
「そんな細かいこと、どうだっていいじゃないか。ぼくが言いたいのは、君が特異な体質で、導きの天使の加護が瞳に宿っていて、とっても面白いねってこと」
少年は一人であやとりを始める。
「一人で作っていると、想像どおりの形になるけれど。二人で作ると、予想外の形になって面白い」
「一体、何の話を?」
困惑するノアをよそに、少年は楽しそうに笑う。
「ぼくの手の中の話さ」
赤い糸が寄せ集まって、開いて、形を作って、また別の形になる。
「ノアは残響師でなければならない。残響師であるべきだ」
少年は糸を操りながら、まるで決まり事のように言った。
「君は、一体――」
「何者かって?」
少年はあやとりする手を止めて、顔をあげる。
「買い物のメモを見せてくれたら、教えてあげる」
「買い物メモ?」
胸ポケットに挟んでいた紙の切れはしを開く。少年がノアの手元をのぞきこんだ。
「ふふん。ちゃんとプリンがあるね。よしよし」
「プリンが好きなの?」
「大好きだよ。ノアもここのプリンを食べるべきだ。マカロンよりおいしいよ」
満足そうに少年はほほ笑むと、列から飛び出していってしまった。しばらく歩いて、少年は思い出したように振り返る。
「ノア。ぼくの名前は、ナルシスだよ。また会おうね」
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