第10話

 王太子クラヴァラ王女とそれを支持する領主らの軍、これに随伴する教会の僧侶たち、糧食を積んだ商人の隊列が王都大壁の正面門前に到着したのはその二日後、フィーロ王子拘束から六日後のことであった。

 簒奪者クラヴァラの態度は実に堂々としたものだった。

「我が叔父上、国王陛下、このクラヴァラが玉座を頂きに参りましたわ! 命が惜しくば潔く大壁正面門を開きなさい! そして私が女王となった暁にはこの国のすべての奴隷を解放し、奴隷制度を廃絶することをここに宣言しますわ!」

 完全武装した王太子クラヴァラの大音声が響いたかと思うと、彼女の手から巨大な炎が発せられて王都正面門にぶつかった。王族の象徴たる魔法である。続いて巨大投石機が動き、大壁に巨岩がぶちあたった。大壁に配置されていた兵士たちが顔を青くし、この一部始終が国王に報告された。

「小癪な……! くそ、お前のせいで!」

 この報を聞いた国王アヴァロは手に持っていた鞭でフィーロをがむしゃらに叩いたフィーロの額、白く健康的な胸、くちびるの端、腕、脚、あちこちの皮膚が裂けて血が流れている。

「とにかく正面門の防衛だ。兵士たちに酒を配れ、まだ余分があったろう! あの小娘を、クラヴァラを退けた暁には特別の褒美を出すとも伝えろ!」

 鞭を握る手をぶるぶると振るわせた国王は傍に控える臣下に命じた。王族の象徴である魔法と巨岩をぶつけられて大門を防衛する兵士たちが怯え、士気が下がっていることを正しく見抜いていた。実際、このままでは防衛担当の兵士たちは使い物にならないだろう。

 国王アヴァロは欲深く姑息だったが、能無しではない。だが愚かであった。

(羊戦争の後、奴隷歩兵を自由民に解放する宣言書をアヴァロ王が遵守しなかったのは国中の誰もが知ること。褒美の話を真に受ける者はいるまい。……として、酒だけで兵士たちの士気がどれほど持つか)

 天井から吊り下がる魔法封じの鎖に拘束されたまま、フィーロはそこまで考えて嘲笑を浮かべる。煽られてカッとなったアヴァロはまた王子の胸を鞭打ち、そのまま彼のあごをグイと掴んだ。

「くそッ、フィーロ、なぜお前を思い通りにできない! お前は奴隷として私のものになるはずだったというのに。なぜ私に逆らう!」

 奴隷と王族の血を継ぐ青年は答えず、澄ました顔でそっぽを向く。真面目に答えても国王に理解できるとは思わなかった。アヴァロ王は苛立ったようにフィーロの頬を殴ったが、ハッと我に返ると赤くなったそこを優しく撫で、けれど最後には忌々しげに西の塔を後にした。玉座の間には重臣たちが集い、どうすべきか盛んに話し合っている。どれだけ愚かでもアヴァロには最低限国王として果たすべき責務があった。

 だが国王と重臣たちの会議はろくな結論を出せないまま小休止を迎えた。一方の攻城戦は防衛側の有利で日暮れを迎えた。だが王都正面門の前で反乱軍が野営を始めると、防衛側の兵士にふたたび動揺が広がった。反乱軍が商人たちから大量の食糧を受け取って宴を始めたのである。豊富な食糧、酒と水、さらに音楽が響き、負傷兵まで楽しそうにしている。その様子は王都内にも伝わり、貧民窟から宮廷までを駆け抜けた。

「お姫様の軍はご飯をいっぱい持ってるって」

「どうにか王都を出て反乱軍に合流するか?」

「それか王太子軍を王都に入れて食料を分けてもらうかだな」

「バカ、滅多なこと言うんじゃねぇよ。向こうは王都と戦争しに来てるんだぜ?」

「でもこのままじゃみんな飢え死にしちまう」

 平民や奴隷、兵士たちからそんな声が上がり、国王と重臣の集う宮廷はすべてが王太子クラヴァラの計画通りであることを悟った。

 なぜヤイ伯爵以下、地方領主の早馬が無事に王都に着いたのか? 見逃されたのだ。そして王太子クラヴァラの思惑通り、早馬からの報告を受けた王都は警戒のために自ら門を固く閉ざし、反乱軍到着までの数日の間に本格的な飢えに見舞われた。難攻不落の砦も内側からの崩壊にはとことん弱い。

「この食糧不足でこんな事をされたら兵士たちが反乱軍に寝返るぞ!」

「陛下、今すぐ勅令をもって王都にいる全ての奴隷たちを解放して平民にし、王都防衛にお当てなさい。さすれば元奴隷たちも陛下のために全力で戦いましょう」

「だが奴隷がいなくては我々の社会は成り立つまい!」

 日が暮れても会議の続く玉座の間の灯りを遠くに見つめながら、庭の隅を駆ける二つの人影がある。フィーロ王子の側仕え、リリアンとセルウスである。その手には何やら荷物が握られている。

「全てフィーロ様とクラヴァラ様の計画通りだ。セルウス、私はムム殿とトトカ殿を探しに行く。二人がいればこの後の行動が何かと楽になるはずだ。だから、お前はフィーロ殿下を」

「分かった。俺はフィーロを助けたらそのまま一緒に大壁大門に行って、王太子を王都に入れるように兵士たちを説得する!」

 彼らはまっすぐに西の塔に向かい、塔入り口で監視の兵士をなぎ倒し、そのまま階段を駆け上がる。元より苛烈な羊戦争の最前列に立ちながらも生きて帰った猛者たちである。襲撃者に気づいて襲い掛かる看守たちを相手に大立ち回りをして見せて、リリアンは倒れた看守からトトカたちの捉えられている部屋を聞き出し、セルウスは鍵束を奪う。

「セルウス、殿下を頼んだ!」

 リリアンの言葉に頷き、セルウスは、小指から伸びる赤い糸が不自然に浮き上がって示している場所に向かって駆けていく。運命糸が示しているのは大きな鉄の扉だった。

「フィーロ!」

 奪った鍵束をガチャガチャとカギ穴に差し込み、苛立ったような調子で声を上げる。

「フィーロ、迎えに来た!」

 開いた扉の向こう、薄暗い石牢の中でランプに照らされて、鎖に拘束されたフィーロの姿が見えた。額のあたりから血を流し、少しやつれて傷だらけになった顔の中、それでもあの若草色の瞳はピカピカと美しく光を放っている。血で汚れた彼のくちびるが涼やかな声を紡いだ。

「待ってたよ、セルウス」

「当然だ、守るって決めたからな!」 

 言いながら、俊敏な身体がバネのように跳ねる。左の小指に結ばれた真っ赤な運命糸を視界に揺らめかせながら、鞭を片手にフィーロに詰め寄る拷問吏を殴り飛ばして気絶させた。倒れた拷問吏の服をあさって鍵を見つけ出すと、フィーロを拘束していた鎖を外した。

 バランスを崩したフィーロの身体を抱きとめて、セルウスはそのまま言葉も無く包み込むようにして彼の背に腕を回す。

 ひと呼吸ごとに緊張していたフィーロの身体から力が抜けて、自身の額をセルウスの胸のあたりにぐいぐい押し付けた。

「大変だったな、フィーロ。アホ国王に変な事されなかったか?」

「されてないしこれくらい平気」

 セルウスがポンポンと優しく背を叩くと、一拍あってから拗ねたようなくぐもった声が言った。

「嘘、ほんとはちょっとキツかった」

 フィーロがゆっくりと顔を上げて、少し潤んだ瞳を細めた。

「来てくれてありがとう。……あは、セルウス、君かっこいいね」

 そして互いの顔を見つめてどちらともなく額を触れ合わせる。たった一週間ほど離れていただけなのに、数年ぶりに出会ったような感覚があった。運命糸の結ばれたセルウスの左手がフィーロのくちびるのそばを滑って頬を撫で、首筋にそっと触れる。応えるように若草色の瞳が閉じて背伸びをする。そっと触れたくちびるが離れると、フィーロはほんのりを頬を染めて、眉をハの字にして笑った。

 さて、と前置きしたセルウスが手に持っていた荷物をフィーロに渡した。

「クラヴァラ王女が王都大壁の大門前に来ている。あとコレは着替え。怪我の手当てをしたら大門に向かおう」

「血は止まってるから手当はいらない。着替えは誰が?」

「エルリダとアンナが。必要だろうって」

「……心強いものだ」

 孤高の王子は安らいだ様に笑った。その顔を見てセルウスは「なんだ」と拍子抜けしたような、ほっとしたような心地になった。確かに王子に忠誠を誓いその部下になった彼らは王子の心の傷を撫でることができず、王子を孤独に追いやったかもしれない。けれど彼らもまた確かに、そして無自覚に王子の傷のそばをそっと撫でて寄り添い、彼の力になっているのだ。

 動きやすい清潔な服に着替えたフィーロが石牢の外に出ようとする。だがセルウスはその手を掴んで彼を止めた。

「その……すまない。この間、お前の胸ぐらをつかんだし、怒鳴ったし」

 だがそこまで言った時、塔の外から動揺した兵士たちの声が聞こえてきた。なにやら尋常ではない騒ぎぶりである。

「貴族街で奴隷たちが暴徒化してあちこちの屋敷を襲ってるらしい!」

「見ろ、屋敷が燃えてる!」

「鎮圧部隊を出すぞ!」

「奴隷共が宮廷を襲撃するのも時間の問題だ」

「会議はどうなったんだ? 陛下たちが中座して戻らないとか聞いたが」

 本来であればフィーロはこのまま城壁正面門に向かい、城門を開いて王太子クラヴァラを王都に招き入れるように兵士たちを説得する予定だった。だがその声を聞くとフィーロは無言のまま石牢を飛び出して塔を駆け下り、正面門とは全く違う方向に駆けだした。

「フィーロ、どこに行く!」

「叔父上が王都から逃げ出すかもしれん!」

 王子の言葉に、セルウスは城下町を見やる。夜だというのに空の一部が明るく、どこかで火事が起きているのがぼんやりと見える。

「逃げると言ってもどこから。王都はこの混乱だ」

「王都の外に出る秘密の隠し通路がある!」

 王族になってすぐの頃、フィーロはその隠し通路の場所を、今は亡き父王に教えられた。父王はそれからほどなくして死に、叔父アヴァロがその跡を継いだ。羊戦争が始まる数年前のことだ。

 王宮内の教会の司祭の控室、そこの本棚に通路の入口が隠してある。

 宵闇の中たどり着いた教会の中に入ると、祭壇のそばにある扉が開いていた。中に入ると祭壇のそばにある扉が開いており、そこからごそごそと物音がする。

「下がってろフィーロ!」

 セルウスが部屋の中に突入し、暗闇の中、今まさに逃亡しようとしていた国王アヴァロと重臣たちとその使用人たちを瞬く間になぎ倒した。元より沢山の荷物を抱えた一行で、彼らには護衛の兵もいなかった。

 不意に教会の入り口のほうから武装した兵士たちの足音がした。フィーロとセルウスは全身を緊張させて臨戦態勢を取ったが、武装兵の長らしい若い男の声が上擦った調子で言った。聞きなれない声だった。

「フィーロ殿下、陛下たちは私が責任を持って拘束、監視いたします!」

 兵士たちの持つランプで声の主の姿が浮かび上がる。先の宴の折、あの下手なウードを弾いた青年貴族であった。兵士は彼の私兵らしい。青年貴族はどこかから持ってきた魔力封じの枷を暴れる国王アヴァロに装着してフィーロに訴えた。

「殿下には何か大切なお役目があるのでしょう。行ってください!」

 青年はあの時のように声を振り絞り叫んだ。あっけにとられたフィーロとセルウスの代わりに、聞き覚えのある女の声が返事した。

「私が共にここに残り、責任をもって陛下たちを監視します」

 リリアンだった。どうやら彼女は補佐官トトカと騎士ムムを無事に救出したものの、尋問によって受けた彼らの怪我の大きさを考慮して、医者に預けたようだった。

「殿下、お早く大壁大門へ。セルウス、殿下を頼んだ」

 黙って頷いたセルウスはフィーロと共に厩舎に向かった。手近の馬にまたがりランプを下げて城下町の貴族街に出る。

 いつも美しく清潔で穏やかなはずの貴族街は夜だというのに混乱の極みにあった。

 走る者、叫ぶ者、逃げる者、泣く者、立ち尽くす者、祈る者、罵る者、倒れうずくまる者、殴り合う者、剣を持つ者。美しい石畳には瓦礫、千切れた服の装飾、割れた焼物、汚れた武器、へこんで薄汚れたぬいぐるみ、宝飾品、金貨、壊れた靴などが散らばっている。

 向こうの方から大音声が響いた。

「貴族を探し出して連れて来い、一匹も逃がすな! 奴らは絹の服を着ている、生地の光沢で見分けろ!」

 声がしたのは貴族街の中心にある噴水の広場だった。初めてセルウスが王都に来た時には水を湛えていたはずの噴水は干からび、破壊されている。その傍に身なりの良い人々の集団が不安そうに座り込んで、それを取り囲むように松明と武器を持ったみすぼらしい恰好の者たちが立っている。

 この異様な光景に胸騒ぎを覚え、フィーロもセルウスも騎馬をそちらに寄せた。

 松明の火を反射してぎらつく武器を手に、みすぼらしい身なりの者たちが口々に叫んでいる。

「赤子でも容赦するな! 妊婦でも構うな! ここに連れて来い!」

「我らを、我らの親を、我らのそのまた親を、奴隷として貶め続けた汚辱の血統。それが王侯貴族だ!」

「その血のことごとくを枯らし尽くせ! 正義の鉄槌を下せ!」

 闇夜で燃える松明を反射して、彼らの目は熱っぽく危うい輝きを放っている。瓦礫と化した噴水の傍に縮こまった貴族たちが子供や家族や友人を抱きしめて、互いを守るように身を寄せ合っている。そこに、向こうの方から若い女が引きずられてきた。上等な服を着た貴族と思しき彼女は大きく膨らんだ腹を庇いながら、自身を噴水の傍に連行する奴隷に泣きながら懇願した。

「お願いします、この子だけは、私の命は良いから、この子だけは許して下さい!」

 だが彼女の腕を引っ張る老婆は聞く耳を持たなかった。

「許しておけるかい。生まれたその子はまたアタシら奴隷を消費するだろうよ」

 老婆が手にしたナイフを膨らんだ腹に突き立てようとする。だがそこに人影が滑り込んだかと思うと、落ちていた剣を拾い、皺とあかぎれだらけの老婆の手に握られていたナイフを弾き飛ばした。刃が夜空に銀色の放物線を描き、涼しげな音を立てて石畳に落ちる。

 人影は剣を手に、自身の背に妊婦を庇い、銀髪をたなびかせている。フィーロである。そのまま妊婦を支えながら、噴水の傍に集まったほかの貴族たちの元まで連れて行き、安心させるように彼らに声をかける。それと同時に、騎馬に乗ったセルウスがこの場を仕切る奴隷たちを威圧し、この剣呑な集会の解散を目論んだ。

「お前たち、何をやってる! こんなことはやめろ!」

 だが、怒りに燃え暴力に酔った奴隷たちは負けじとセルウスに対抗した。

「てめぇもお貴族様か、なら殺してやる! 俺たち奴隷の苦しみを味わえ!」

 暴徒のリーダー格と思しき隻眼の男が言うや否や数人がかりでセルウスに剣を向け、彼を鞍上から引きずり落とす。だがその拍子に服の胸元がはだけ、燃え盛る松明の下でそこに押された奴隷の焼き印と捕虜の焼き印が露わになった。同じ印を持つ暴徒たちは一瞬無言になり、それからしたたかにセルウスを殴りつけた。

「お前も奴隷だと?!」

「奴隷のくせになぜ王侯貴族の味方をする!」 

「私たちは奴隷という階級を理由に命を、人生を、尊厳を踏みにじられ消費される! そんな風にしたのは王侯貴族よ!」

 どの言葉にも一定の正当性があった。生まれた時から奴隷であるセルウスにとってもそれらは共感できる内容だった。羊戦争終結後、国王が従軍した奴隷を解放する約束を反故にしたと知った時には、セルウスだって王侯貴族の全てを呪った。だから元凶である王族を殺そうとしたし、王家の血統であるのならその対象は誰でも良かった。

 だが、それはやっぱり視野狭窄に陥っているとしか言えないのだ。

「どうして分からない。お前たちも、あの時の俺も、王侯貴族という階級を理由にその命を軽んじ、殺そうとしている!」 

 セルウスの言葉に、暴徒たちが拳を止めてギクリと身体を強張らせる。

「それは俺たちが忌み嫌った王侯貴族と同じものに成り下がる行為だ!」

「黙れ、黙りやがれッ!」

 遮るように、リーダー格の隻眼の男が声を荒げてセルウスに剣を振り下ろした。だが割って入ったフィーロが剣でそれを防ぎ、流麗な剣捌きで凶刃を弾き飛ばした。王子はセルウスを起き上がらせながら言った。

「王侯貴族に責任があるのは事実だ。だからこそ償う機会をくれ! 私はヴァシリール王家のフィーロ・ヴァシリールだ!」

 その場にいた誰もがざわつく。一国の王子がこんな混乱した場にろくな護衛もつけずにいるなど誰も思うはずがない。

「我々は、我が国は、必ず奴隷制度を撤廃する。そして未来永劫に渡って奴隷制度を恥じ、反省し、二度とこのようなことが起きないようにする。必ずそうする、だから、」

 だが隻眼の男は傍に落ちていた木の棒を震える手で握り、フィーロに殴りかかった。そばにいたセルウスがとっさに王子をとっさに自身の腕の中に庇い、彼の脳天に勢いよく武器が叩きつけられる。けれど奴隷の青年は果敢に顔を上げ、怒りと戸惑いに揺れる暴徒たちをにらみつけた。

「王侯貴族にも奴隷制度を無くそうとしている奴がいる。例えばいま王都大門の前に陣を敷くクラヴァラ王女やこのフィーロ王子、それに賛同する各地の領主たちがそうだ! 王侯貴族にも家族や友人や恋人がいる」

 セルウスがフィーロを強く抱きしめる。

「奴隷と王侯貴族が互いを特別に想い合うことだってある。それを殺して、何が正義の鉄槌だ!」

 額から血を流したセルウスが吠え、男の隻眼に動揺の色が宿った。血の付いた武器を振りかぶる腕がぎこちなく下がり、悔しげに顔が歪む。周囲にいた暴徒たちからも危うい熱は引きつつあった。息をついて緊張を解くとともに、セルウスはフィーロを庇っていた腕をほどく。

 場の張り詰めたような空気が霧散し、ほっとしたのも束の間。暗闇から悲痛な少女の声が響いた。かがり火に照らされた彼女の手にはボウガンが握られている。

「アンタは立派だ、立派だよ! だが奴隷として虐げられてきたアタシたちの苦しみは、惨めに死んだ同胞たちの無念は、この怒りはどうすればいい!」

 言い終わるや否や、少女がボウガンを構えて矢を連射した。空気を鋭く切り裂く音がして、矢は生々しい音を立ててセルウスの脛に突き刺さった。

「ッ……ぐ、ゥッ!」

 人体の中でも痛みを感じやすい部位に矢を受けて、セルウスは激痛に呻きその場にしゃがみこむ。だが幼いころから幾度も死線を超え、人の死を見てきた男は冷静だった。

(大丈夫だ、脛の怪我は痛いだけ、死にはしない! それよりさっき矢は二本放たれたはずだ、フィーロは……)

 顔を上げたセルウスの表情が凍り付いた。

 フィーロの腹部に矢が刺さっていた。矢を中心にして服に赤い円が広がっていく。

「あれ? おかしい、な……」

 本人ですら唖然とした表情でぎこちなく自分の身体を見下ろして呟くと、石畳に倒れこんだ。

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