第8話
「くそ、こういうこともこの一回じゃ足りねぇ。お前に読み書きも教わりたい。ヒヨドリ小隊の冥福も一緒に祈ってほしい、俺もシギの分を祈るから」
呼吸が整った途端に並べられた要望に一瞬ポカンとしたフィーロだったが、すぐに快諾が返ってきた。
「うん、僕もだよ。僕が成すことを君に見守って欲しい。苦しい時には側にいてほしいよ。だから……約束だ」
フィーロの手がセルウスの腹の傷に触れた。そこに縫われたチラチラと輝く赤い糸が術者の意志に応えてするりと抜けて、フィーロの指輪が飾られた左手の小指に絡まった。10日ほど前に開いて血を流していた傷はもうすっかり塞がっている。
フィーロの傍に無数の糸車の車輪が現れる。それらはカラカラと音を立てて、激しく回り始める。
糸魔法の使い手フィーロはセルウスの左手を握って詠唱した。
「糸神フィアネンサに願い奉る。我が運命糸の持ち主を、フィーロ・ヴァシリールからセルウス……」
「ただのセルウスだ」
「セルウスへと変更し、一時的にその行使権を譲渡する!」
赤い糸はフィーロの小指から外れたかと思うとふわりと舞い上がり、セルウスの左手の小指に蝶結びで絡まった。カラカラと音を立てて回っていた車輪は回転を止め、幻のように消えてしまった。
糸魔法の使い手はセルウスの左手を取って、その小指を確かめながら言った。
「セルウス、この運命糸を一時的に君に託す」
術師の言葉にポカンとしたセルウスは、自身の左の小指に結ばれた赤い糸を見つめる。
「運命糸は決して切れない伸縮自在の魔法の糸。その究極の技は、糸を結んだ対象を術者の望んだ運命に結びつける、とも言われている。姉上が即位するまで君に預ける。お守り代わりにはなるはずだ、好きに使ってくれ」
しばし首をひねっていたセルウスだったが、この大一番を前にフィーロが大切な魔法を預けてくれたことが嬉しかった。力強く首を縦に振る。
「感謝する。必ず返すから」
「うん、絶対だよ」
二人して感慨深そうに赤い運命糸を見つめていたが、不意にフィーロがぐったりと脱力した。セルウスはとっさにそれを抱きとめる。
「大丈夫か?」
「ちょっと酔いが回ったのと疲れちゃっただけ」
にこりと笑ったフィーロのその顔は、酒宴の席で見せていたあの張り付いた笑みとは違って打ち解けたような笑みだった。セルウスがほっとしてフィーロのの銀髪を撫でると彼は黙ってセルウスに身を任せた。
***
翌日、王子フィーロは補佐官トトカ以下、騎士ムム、側仕えリリアン、セルウス、メイドのエルリダとアンナを自身の執務室に集めた。その時のフィーロといえばどこか憑き物の落ちたような顔をしていた。一方でセルウスは己の左手の小指に結ばれた赤く輝く運命糸を思っては勝手に気恥ずかしい思いをしていた。だがそれもフィーロが王位簒奪・反乱の計画の全貌を明らかにするまでのことだった。
「王太子挙兵の報が届けば国王アヴァロは間違いなく王都のすべての門を厳しく封鎖するはずだ。そしてその後、王都大壁を挟んで、国王軍と王太子反乱軍の攻防戦になる。王太子軍の最終的な目標は王都入城だが、その王都入城、つまり王都の門の解放は最終的な部分を王都住民に委ねる」
説明が進むほどセルウスはその顔に不機嫌をあらわにした。それに気付きながらも王子は部下たちにそれぞれの動きを通達する。
「王太子挙兵の報が届いた時点で、私は巡視官としての責を問われて拘束されるはずだ。その場合、王太子軍が王都前に到着したその日の夜にセルウスとリリアンの二人で私を救出しに来てくれ。そしてそのまま王都大門に向かい、食料を運んできた王太子軍を王都内に入れるように王都住民を説得する。その時には王都住民は食糧不足と王都封鎖で空腹も限界に来ているはずだ。私が拘束される時にはトトカとムムも無事ではいられまい。その間の館の統率はエルリダに任せる。アンナは彼女を手伝うように」
「かしこまりました。王太子殿下が王都に入るのは到着から何日後になるでしょうか」
「最速で王都到着の夜だ」
エルリダに問われて王子は毅然として答え、そのまま憮然とした表情の奴隷の青年に視線を向けた。それを発言の許可と受け取って、セルウスは王子をにらみつけた。
「クラヴァラ王女とお前のやり方は卑劣だ。それが王者たらんとする者のやることか」
その場にいる者たちの視線がセルウスに集中する。冷静そのもののフィーロに、奴隷の青年は落ち着いた口調で、けれど鋭く批判をぶつける。
「相手が困るように仕向けて実際その通りに困ったところに助ける手段を持って現れるなど詐欺師のやり口だ」
「そうかもしれない」
一方でフィーロは否定のひとつもせずに落ち着いた仕草で首を縦に振った。そしてその態度が尚更セルウスを苛立たせた。
「じゃあどうして王太子を止めない!」
フィーロは激しい口調に気圧されもせず答えた。
「国王が王位維持よりも、王都住民を飢餓から救うことを優先すれば良いだけの話だ。そのうえで奴隷の解放を宣言して、彼らを王都の防衛にあてさせれば良い。それだけで我々反乱軍は一気に不利になる」
そこまで言って一呼吸おき、続けた。
「元よりこれは国王から王位を奪う、いわば盗賊行為。だからこそこの計画は、王都に王太子軍を受け入れるか否か、という最終的な部分を王都住民の意思にゆだねている。王都住民が現国王とクラヴァラ王太子、どちらを支持するか。最大限の努力はするが、もしも王都住民が我々を拒んだ時には、この盗賊行為の報いを私も姉上も甘受する」
断言したフィーロの若草色の瞳が鋭い光を放った。あの光、あの眼差しに、しかしセルウスは怯まなかった。暗色の瞳に熱をみなぎらせて王子をにらみつける。
「その言い分は受け入れる。だが間違いなく王都住民は混乱し、死傷者が出る。こういう時に捨て石にされるのはいつも一番弱い奴隷身分だ、そのことを分かっているのか!」
だがそれに対して、奴隷の血を引く王子は目を伏せてゆっくりと首を横に振った。
「分かっている。だがすでに貧困層や奴隷たちが水道施設を破壊したことを考えれば、今後の混乱で彼らの破壊行為は悪化するだろう。そうなれば命が危ぶまれるのはむしろ王侯貴族の方だ」
そう言い切った瞬間、セルウスは若い豹のような素早くしなやかな動きで王子の執務机に飛び乗り、そのまま彼の胸ぐらをつかんだ。その手がぶるぶると震えている。
「それの何が悪い。奴隷制度を作ったのは王侯貴族だ。そのせいで俺たち奴隷はモノとして扱われ、その命を使い捨てにされ、自分の人生を自分で決めることも許されなかった。王侯貴族は俺たちの尊厳を踏みにじったその報いを受けるべきだ!」
「セルウス、奴隷の命だから使い捨てられて良いわけじゃない。だけど、王侯貴族の命だからむやみに奪って良いわけでもない」
「お前は王侯貴族と奴隷、どっちの味方なんだよ!」
激しく唸るような問いかけに、フィーロは若草の瞳を鋭く輝かせながら毅然として答えた。
「どちらもだ」
その回答に虚を突かれて、セルウスは歯噛みする。一方のフィーロは口を閉ざし、何かをこらえるような顔で首を横に振った。情を交わした仲だからといって相手の何もかもを許し、己の過去や志や信念を捨てるほど彼らは甘くなかった。
「……ここまでか。結局、こういうところは意見が合わねぇな」
長い沈黙をセルウスの冷え冷えとした吐き捨てる様な声が破った。突き放すようにしてフィーロの胸ぐらから手を離して机から降り、彼に背を向けた。
「僕は、そうでもないと思うけれど」
背後から涼やかなフィーロの声がしたが、セルウスは制止の声を振り払って王子の執務室を出た。
(結局、俺が王侯貴族を好きになれるはずも無い。アレはほんの気まぐれだ。俺は元から王族を殺したくて仕方なかったんだ)
王子のための別館を出て、その正面玄関をしみじみ見上げる。まさか奴隷である自分が王都王宮に入ることになるとは思わなかった。館に背を向け、石ころを蹴飛ばしながら業者が出入りするための王宮の裏門に向かう。
(フィーロの奴があんな中途半端な野郎とは思わなかった。両方って何だよ、理想主義にもほどがある。……奴隷と一国の王子が道を同じくするなんざ、無理な話だったんだ)
自嘲するようにため息をついて王宮を出て行く。大した持ち物もろくな金銭の持ち合わせもないが、生まれた頃から奴隷として自分の身体すら所持することができなかったセルウスにとってそんなことは問題にもならなかった。
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