第2話




 沈んでいく陽を見ているのは、誰かを看取るのと。太陽は煮えたぎって卵黄色から炉の中で鉄をかすための色へと変わり青紫の空に押しつぶされてはじけ飛び跳ね回る光は断末魔というより地母神がこぼした子どもたちである混沌そのものが意思を持ちそれぞれ武器をとって頭上に広がる宇宙の領域を巡り相争うようである。壮絶な死闘のあとむくろを隠すように半天球に黒いとばりが降りると人々は明かりを灯して、空きっ腹になにか収めて、身体を清め、家族や友人、または赤の他人と話をして、時に触れあい、性交をしたりして満足するか、またはいずれも得ることができないまままぶたのある者はそれを閉じて身体を休めるため眠りにつくと、沈んだ陽は地平線の下に身を潜めてゆっくりと裏手に回り逆さまの空から世界を強襲してまた光ある世界へと塗り替えるのである。繊細な人々はそうやって太陽の転生を複雑に見ていた。光と闇との区別とは波と粒子の性質を持つ光子の多寡か、もしくは人間の感受体の機能に帰せられるという単純な体系システムよりか、複雑で奇怪で醜い物語や有機的に絡み合う規則きそくの放埓さと背中合わせの羈束きそく性をみた。それはある意味単純でもあった。少なくとも、考えが及ばず何にも分からないことにさえ理由があった。それが「複雑でわかりっこない」とかいう言い訳だとしても。


 善意よりも悪意に敏感な少女は咄嗟とっさに振り返った。背後の人影は幾つもの筋に分かれて走る光の帯に切り取られた建造物の影が三点透視のようにおぼろげに起き上がって見えただけで、夜の前触れを感じ取った体内時計と脳が見せる錯覚だと彼女は瞬間考えた。一日の名残である横殴りの光線が袖のところに当たり打ち付けたように曲げ広がり拡散してちょうど白く見えているのか、もともと白い服を着ていたのかは分からなかった。


 あなた誰。

 同級生でしょ。

 それじゃC組のひと?

 アタシはちがう。

 少女は静かに息を吐いた。あそう。

 何してるの。

 ちょっとねといい少女は城壁の上の回廊の左右についているような出っ張り、いわば銃眼のついた壁面の終端にかかるふちに手を掛けて下を覗いた。

 寒くないの。

 え?

 寒くないかって聞いただけ。

 少女は背後の同級生に目をやった。彼女の手でも掴みかかるのに苦労しないほど薄い肩は、白いシャツを覆う紺色のカーディガンの上からでも分かった。

 あなたも上着を着れば。

 まあね。置いて来ちゃって。

 少女は黙ったまま自分のブレザーの裾を返して裏地を見ると、これを貸してやるというような気の利いた返しは、より一層ぎこちなく見るに堪えない、おかしな状況になりかねないと思ってやめた。そのような気の回し方はまったく初対面同士ならいざしらず、相手を心配することが自分の利益に繋がると考えていてもそれを表に出すことのない器用な人間がやるような仕草であったからだ。そして影というより抜け殻のようになって遠景に重なる山々の更に向こう側を見た。すると陽が光の腕を伸ばすように、闇へと至る回廊を渡る空はもはや青とは呼べない色のその太腕で中天の下に広がる世界を包み、それは彼女たちのいるこの屋上すら例外ではなかった。もう一度肩を震わせる来訪者へと目線をやり、暗闇に目を慣らすようにじっと見据えていた。来訪者は上目づかいで、その瞳には道端に座り込む人間を通りがかりに見やる時のと、鏡写しに自分の顔の調子を確かめるときの真摯さとがちょうど同居していた。

 なに、と少女は突っかかるように口を開いた。それからあっちへ行けというように手をやるとその同級生は手の動きに続いて視線をやり指先の示す方へと顔を向けた。そしてすっかり暗闇に溶け込もうとしていたのでわかる筈もなかったが瞬きするときの睫毛まつげが上下に開いて閉じる様子が顔の横の輪郭からはみ出して見えた気がして次の瞬間またこちらへと向き直っていた。そして口が動き、遅れて声が聞こえた気がした。

 なんも見えない。

 知ってると少女は応えた。見える訳ないじゃん。

 同級生は少し身を屈めたが、それはちょうど劇団員が笑う演技すら奥の席の客にも分かるよう大袈裟にやるというのに近かった。そして手摺てすりのかかったところまで寄ってきた。少女はさりげなく脇にけてじっと様子を見ていたがしばらくして同じように寄って来ると手摺の向こうの下階に灯る光へと腕を突き出した。どしたの、と同級生が尋ねたのでゆっくりと大きな弧を描く様に腕を畳んだ。

 もう電源切れるでしょ、と少女はいった。


 

 

 

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