第5話「嫉妬の影」
ユキとカイの関係がただの「運命の番」から「本物のパートナー」へと変化するにつれ、学園内の彼らを見る目も少しずつ変わり始めていた。特に二回戦で見せた圧倒的な連携は多くの生徒に衝撃を与え、彼らを優勝候補として認めさせるには十分だった。
しかし光が強まれば、影もまた濃くなるものだ。二人の関係が深まることを快く思わない者たちもいた。その筆頭が有力貴族の令嬢であり、カイの元婚約者候補であったオメガのセシルだった。
セシルは長い金髪を揺らし、常に数人の取り巻きを従えて学園内を闊歩していた。彼女にとって家柄もぱっとせず、つい最近までオメガであることすら隠していたユキが、カイの番として隣に立つことは到底許せることではなかった。
「見て、あの方よ。カイ様の隣にいるべきはセシル様のような高貴なオメガのはずなのに……」
「どこぞの馬の骨とも知れないオメガが、馴れ馴れしく……」
セシルとその取り巻きたちは、ユキが通りかかるたびにわざと聞こえるように陰口を叩いた。ユキはそれを無視しようと努めたが、執拗な嫌がらせは次第にエスカレートしていった。
ある日は図書館で借りた本にインクがこぼされていた。またある日は実技演習で使うはずの魔法薬の材料が、別のものとすり替えられていた。どれもセシルたちの仕業であることは明らかだったが決定的な証拠はない。陰湿で卑劣なやり方だった。
「ユキ、大丈夫か? あいつら、本当に許せない……!」
親友のリオは自分のことのように憤慨したが、ユキは静かに首を振った。
「大丈夫だよ、リオ。こんなことで僕の心は折れない」
ユキはこんな嫌がらせに屈するほど弱くはなかった。しかし彼の知らないところで、カイの怒りは静かに沸点に達しようとしていた。
その日、ユキがセシルの取り巻きたちに絡まれ、廊下の隅で教科書を床にぶちまけられている場面をカイは偶然にも目撃してしまった。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ」
取り巻きの一人がわざとらしく謝る。ユキは何も言わず、黙って床に散らばった教科書を拾い始めた。その姿を見た瞬間、カイの全身から凍てつくような怒気が放たれた。
「――何をしている」
地を這うような低い声に、取り巻きたちはびくりと肩を震わせて振り返った。そこに立っていたのは深紅の瞳に烈火の如き怒りを宿したカイだった。
「カ……カイ様……」
「俺の番に指一本でも触れた者がどうなるか。分かっているのだろうな?」
その声には魔力すら乗っていた。絶対的なアルファの威圧に、取り巻きたちは顔を真っ青にして震え上がる。セシルでさえカイの見たこともない怒りの形相に、一瞬言葉を失った。
カイは震えるユキの前に立つと、その肩をぐっと引き寄せ自分の腕の中に抱き寄せた。そしてセシルたちを睨みつけ、はっきりと宣言する。
「二度はない。次にこいつに手を出してみろ。お前たちの家ごと、この学園から消し去ってやる」
それは単なる脅しではなかった。エーレンベルク家の次期当主であるカイにはそれを実行するだけの力がある。セシルたちは恐怖に引きつった顔で、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
静寂が戻った廊下で、カイはユキを抱きしめる腕の力を緩めずにいた。
「……カイ、もういい。ありがとう」
ユキがそっと呟くと、カイは強い独占欲を宿した瞳でユキを見下ろした。
「なぜお前は何も言わない。なぜやられっぱなしなんだ」
「言ったところで面倒が増えるだけだ。それに……」
ユキはカイの腕からそっと抜け出すと、まっすぐに彼を見つめた。
「君に守られるだけの存在でいたくないんだ」
その言葉はカイの胸に深く突き刺さった。彼はユキを守りたかった。自分の力であらゆるものから庇護したかったのだ。しかしユキが望んでいるのはそれではない。
ユキはカイに守られるか弱いオメガではなく、共に戦う対等なパートナーでありたいのだ。
その数日後、セシルはまた新たな嫌がらせを仕掛けてきた。今度は多くの生徒が見ている公開演習でのことだった。セシルはユキが使う魔法陣に細工をし、発動と同時に暴発するように仕組んでいたのだ。
「ユキ君、あなたの番ね。頑張って」
セシルが猫なで声でユキを送り出す。カイはその不自然な態度にいち早く気づき、ユキに警告しようとした。
「ユキ、待て! 何かおかしい!」
しかしユキはカイを制するように、静かに微笑んだ。
「見ていて、カイ」
ユキは何も知らないふりをして魔法陣の中央へと進み、呪文を唱え始めた。セシルの思惑通り魔法陣は異常な光を放ち暴発寸前の状態になる。観客席から悲鳴が上がった。
誰もがユキが危険に晒されると思った、その瞬間。
ユキは暴発するエネルギーを逆手に取り、即興で新たな呪文を紡いだ。すると荒れ狂っていた魔力の奔流はたちまち美しい光の蝶へと姿を変え、演習場の上を優雅に舞い始めたのだ。それは誰も見たことのない驚異的な魔法制御の技術だった。
「そ……そんな……!」
セシルは信じられないという顔で愕然としている。ユキは彼女の卑劣な罠を自身の知恵と魔法で見事に利用し、逆に自分を賞賛させるためのパフォーマンスへと昇華させてしまったのだ。
演習場は万雷の拍手に包まれた。ユキは喝采の中心で凛として立っていた。その姿は誰の庇護も必要としない、強く美しい一人の魔法使いだった。
カイはその光景をただ黙って見つめていた。そして静かに口元に笑みを浮かべた。
そうだ、こいつはそういう男だった。俺が守るべきか弱いオメガなどではない。俺の隣に立ち共に戦い、そして時には俺さえも驚かせるほどの強さを持った、俺の唯一無二のパートナーなのだ。
カイはユキに対する思いを新たにするのだった。そしてその胸には信頼とはまた違う、熱い愛情が確かに芽生え始めていた。
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