第4章 薄明 /2



陽色さんと笑い合いながら、いつも通り絵を描いていると突然スマホの着信音がなる。

彼女はごめんねと言ってスマホを開く。しかしその顔は不安な表情がくっきりと浮かび上がっていた。


「ごめんね…ちょっと席外すね。」


そう言って彼女は店外へ向かって行く。僕から見えたスマホの画面、そこには


『○○病院』


彼女の母が入院する病院だった。僕も少し嫌な想像をしてしまう。


胸の奥がざわついた。

そして、これまで考えていた最悪のパターンが現実となる。



コツコツと、聞き覚えのあるヒールの音がだんだんと近づく。その音が近づく度に僕の身体は硬直し、震え始める。



「蓮。こんな所で何してるの。」


重く、のしかかる声。

嫌になるほど頭に響くあの声の主が、カメラや広げられた2冊のスケッチブックがあるテーブルの前に現れる。


「…母さん…これは…」


「勉強しないでこんなところで何してるの?」


「ちがっ…母さん…家に帰ったら…」


「そんなことはどうでもいいの。勉強せずに誰とこんな所で、何をしていたの。」


やめて。


静かな店内が、母さんの声を響かせる。



「…カメラなんか持って。ダメよ。そんなもの。安易に持つものじゃない。」


やめて。お願いだから。


「だいたい何?この絵は。」


やめて。

…やめてよ。


その一言が出ない。


「こんなのに時間を費やして…何になるの。蓮、これはあなたのためなの。」


その言葉を聞いた瞬間、僕は今まで感じたこと

ない、母親への強い嫌悪感に襲われた。

自分の絵はどうでもいい。言われ慣れてる。

しかし、彼女が、一生懸命に描写したこの『写し絵』のような、美しい風景を、

『こんなもの』呼ばわりして、バカにされたのが絶対に許せなかった。


「いい加減にしてよ。」


今まで発したことの無い声量で母親を突き放す


「僕は母さんの操り人形じゃない!!1人の人間なんだよ!!」


「母親に向かって…なんて!!この!!」


母はテーブルに置いてあるカメラを取り上げ、それを思いっきり振り上げる。

その瞬間、とても最悪な未来が僕の頭をよぎった。


「何するの母さん!!"それ"だけは」


「こんなものがなければ!!こんなもの!!」


母さんは絶叫しながら、振り上げたカメラを思いっきりカフェの床に叩きつけた。


-パリン


音がした瞬間、僕の世界から色が消えた。

僕を世界と繋げてくれるガイドは、床に転がり、ただ影を写していた。


僕の絶望とは対照的に、壊れたカメラの周りには、砕けたレンズがただキラキラと光っていた。


そこにもう、光はないのに。



それからの事は、記憶にない。


陽色さんから、電話がかかってきた。


「…お母さん、病状が悪化して…危険なんだって…。」


沈黙が貫く。

いつもの声は、そこになかった。

涙と、不安と恐怖を孕んだ声。


「だからとりあえず、病院に向かうから…バイバイになっちゃう。ごめんね。」


「また、あの土手でね」


ツー、ツー、と電話が切れた音が僕の耳に響き渡る。


僕はスケッチブックと、壊れたカメラを抱えて帰る。

いつも綺麗なはずのこの時間帯の空は、僕には灰色にしか見えなかった。


でも、また会えるなら。

そう思い少し元気をだす。


そしてそれ以降、いくら待っても彼女が土手に来ることは無かった。

彼女のいない土手に、突き刺すような風が吹く。


着信音が、静かな土手に音をもたらす。

母からだった。


「はい。今から行きます。」


僕はまた、あの地獄へと突き落とされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る