第3話

   1


 冬也が大学生であることを、俺は知っていた。その重要事項は、冬也に直接知らされたのではない。教えてくれたのは小川だった。

「高校卒業したら、あいつ、少しは暇になるのかな」

 ある日、俺が何気なく口にした言葉に、

「瀬崎くんなら、大学、受かった、と、村松さんが、言って、ましたよ」

 と、小川が答えたのだった。そのとき、小川はうつむいていて、箸でつまんだ煮物の大豆一粒を宙に静止させていた。俺と小川は、珍しく椅子と椅子を向き合わせて(もちろん、小川が俺と目を合わせる回数は少なかったが)、会社の地下の倉庫で昼の弁当を食べていたのだ。

「へえ」

 とだけ、俺は言った。それ以上の情報を欲したりはしなかった。小川もそれ以上は何も言わず、大豆を口の中にのろのろと入れた。

 そのあと、俺は村松から直接情報を仕入れるようなこともしなかった。

 どこの大学だ? 学部は?

 電話で、冬也に尋ねたりもしなかった。なぜなら、冬也がそれまでそういう話題をして来なかったから(受験勉強で忙しいんや、とか。まあ他の話題もして来なかったが!)。大学に受かったんだって? などとこっちから唐突に聞こうものなら、またストーカーだのなんだのと言われたことだろう。

(だいたい、あいつの「無理や」って言い方は、断言が強すぎるんだ。あのあとに会話を続けようって気力を保つのは至難の技だぞ。そう言えば、昨日、飯をおごる理由を聞いてたな。理由……。なくたっていいだろ。理由がないと飯をおごっちゃいけないのか?)

 冬也との再会の朝、俺は会社のロビーをぶらぶらと歩きながら、そんなふうに考えていた。

 これは良くない思考の流れだった。冬也に言ってやりたいこと(つまり、心にくすぶっていた不満や文句だ)は山ほどあったが、今日はそのときではないこともよく分かっていた。なので、足の方向を変えると同時に、思考の流れの向きも変えた。

(まあ、久しぶりなんだし、カリカリすんのはやめだ。あいつが忙しい忙しいって言ってたのも本当だろうしな。そうだ、話はさっさと終わらせて、今日こそは何か食べさせてやろう。いや、むしろ冬也の方から何か食わせろって言うんじゃないか? 冬也のやつ、朝飯も食べずにこっちに来そうな気がするんだよな)

 立ち止まって、腕時計を見た。さっきから、ロビーを通って行く社員はちらほらいるが、まだ規定の出社時間一時間以上前だった。だが、冬也と約束した時間には十分を切っていた。朝早くの面会にしたのは、冬也の授業に間に合わせるためだ。

(あの以前ホットケーキを一緒に食べた店、開くのは何時だ? あそこはパンもおいしいって、確か誰かが言ってたぞ)

 頭に、ホットケーキを食べたときの冬也の顔が浮かんだ。そのまま視線を入口にやったせいだろうか、ちょうど扉から入って来た人間が冬也だと気づくのに数秒かかった。

 ロビーのガラスから差し込む日の光に照らされながら、冬也はまっすぐにこちらに向かって来る。

 当然ではあるが、冬也は制服ではなく私服だった。高校生のときのようなあっさりとした私服ではなく(あのころの格好も悪くはなかったが)、ランクが上がったというか小洒落たというかそういう雰囲気だ。

 肩にかけているバッグも、スクールバッグではなく、大学のキャンパスに似合いそうなトートバッグ。しかも高価そうに見える。

 髪は、白でも金色でもなく黒。

 こちらに向けている顔は、無表情というか、何の変哲もない表情だけれど、何か今までとは違っていて。

 歩く姿は、高校生のときはおかしかったというわけではないが、颯爽とした足運びの妙にスマートな感じになっていた。

 そして、立ち止まって俺を見上げた目の色は、灰色と緑ではなく、黒。だが、

(……黒、い、よな?)

 いや、そんなことより、角度が違った。目の前に立った冬也に対して、俺のあごの引き具合は、以前より確実に浅くなっていた。

「……背、伸びたよな?」

 何やら呆気に取られてしまった状態からようやく脱して、俺は言った。

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