第17話【聖女と騎士のお買い物】

 商業都市ベルガリア、滞在二日目。


 今日も陽がかたむくよりも前に、私は奉仕活動を終えていた。

 いや、正確には“終えさせられた”のだった。


「本当にもう、患者の方が……いらっしゃいませんので……!」


「次の患者さん、どうぞ」と声をかけた私に、修道女が戸惑いながらも必死にそう告げた。その顔は青ざめていて、明らかに混乱しきっていた。


 今日一日で私が治癒した患者の数は、二百八十六人。

 その数字を聞いた瞬間、受付の修道女は口元を震わせ、帳簿を見つめたまま何度も目をこすっていた。


「わ、私は……こんな数、聞いたことがありません……!」


 確かに、普通の神官――いや、高司祭であっても、数十名を癒せば“英雄的な奉仕”と称えられるだろう。

 けれど、私にとっては無理な数字ではない。


 炎王竜との戦いの時には、数百人の負傷兵を癒しながら、防御魔法で味方を守り、支援魔法で戦線を維持し、それらを同時に高域展開していたのだから。


 裁判では職務怠慢などと散々な言われようだったが、あれに比べれば、安全な施術室で軽傷者をまとめて癒すなど造作もなく、魔力にも体力にもまだまだ余裕があった。


 とはいえ、これ以上続ければ騒ぎになる。そう判断して、私は素直に席を立ち、神殿をあとにした。



 昨夜は泊まれなかった宿に宿代を払い、久しぶりのベッドで短い休息をとってから、今度はナイトを連れてふたたび街へ出る。

 向かった先は、中心街に店を構える老舗の武具店だった。重厚な看板と手入れの行き届いた木枠の扉が、店の格を物語っている。


 本当なら、買い物には“看破”の加護を持つアデルさんに来てもらうのが一番だ。彼の眼なら素材や鍛造の出来まで瞬時に見抜ける。


 けれど、これは私とナイトの買い物だ。

 彼は魔物でありながら、私にとっては大切な従者であり、忠実な家臣。彼が騎士として身に着けるものは、主である私自身の目で選びたい。

 ましてや今回は、自分で稼いだお金で買う、初めての装備だ。たとえ外れを掴んでも後悔しない――そう思っていた。


「この店なら品揃えもよさそう……入ってみましょう」


 店の前で足を止め、くるりと振り返って声をかけると、ナイトはじっと店構えを見つめ、深く頷いた。

 いつもと変わらぬ無表情だが、その奥にかすかな喜びと興奮が宿っているのがわかる。


 重い扉を押し開けると、鉄と革の匂いが鼻をくすぐった。槍、剣、盾、皮鎧、金属鎧――あらゆる武具が整然と並んでいる。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。神官なのに武器が御入用かい?」


 声とともに現れたのは、頬に大きく斜めの古傷を刻んだ壮年の男だった。声は穏やかだが、眼光の鋭さから、戦場で鍛えられた経験があると一目でわかる。

 彼は私を一瞥いちべつし、すぐに後ろのナイトへ視線を移した。


「それとも……その連れの魔物が使うのかい?」


「ええ。彼に合うものを探しています。予算には余裕があるので、それなりに良い品を選びたいと思っています」


 胸を張って言えたのは、今日の奉仕活動の成果があったからだ。

 金貨一枚と銀貨二枚――昨日の六倍もの報酬を手にした私は、今やベルガリアの誰よりも裕福な気分だった。実際、この金額は市民の半年から一年分の所得にあたる。


「力はあるので、多少重くても問題ありません。切れ味よりも耐久性を重視したいのですが……」


「ふむ、それならこの辺りだな。うちの上物ばかりだ。値段はどれも金貨十枚以上になるが――」


「……えっ?」


 余裕の笑みが一瞬で消える。どうやら武具の世界では、私の思う“それなり”も“余裕”も通用しないらしい。


「はっはっはっ。武器屋に来るのは初めてかな、神官のお嬢ちゃん? なら、手頃な品もあるぞ」


 店主は笑いながら、私たちを店のすみに連れていった。そこに陳列されていたのは、鍛えた鉄の質感が光るブロードソードや、打ち傷の残るバックラー。どれも装飾などはなく、見るからに重厚で頑丈そうな造りのものばかりだ。


「見ての通り、中古品を買い取って修理したものだが――コイツらは元々、俺が打ったもんだ。品質は保証するぜ」


「ありがとうございます。……ナイト、試してみて」


 ナイトは無言で一礼し、店主に差し出された剣を手に取る。だが一振りしただけで元の位置に戻し、首を横に振った。次に差し出された剣も盾も同じで、手に取ったってだけですぐに戻してしまう。その様子を見て、私は思わずため息をついた。


「うーん……。どれもダメとなると困ったな」


 その時、ナイトがおもむろに店の奥に向かった。木枠に固定された巨大な剣と厚みのある丸盾の前で立ち止まり、まじまじと見つめている。

 剣にも盾にも値札はなく、その存在感は異質ですらあった。


「おいおい、そいつは非売品だぞ」


 店主が慌てたように声を上げる。


「元は騎士団から“鍛錬用の重い装備がほしい”って頼まれて作ったんだがな……誰も使いこなせなくて、突き返されちまったんだよ」


 豪快に笑いながらも、店主の声には少しの悔しさがにじんでいた。


「どちらも黒重鋼って素材を使っている。恐ろしく硬くてしなやかだが、重さが致命的でな。悪ノリで作った冗談みたいな品だ。俺の若気の至りってやつさ」


 一般的なブロードソードやバックラーが二キロ前後なのに対し、その剣と盾はそれぞれ二十キロもあるそうだ。よほどの力自慢でも持ち上げるのがやっとで、振り回すなど不可能な代物だという。


 だが、ナイトはいとも簡単にその剣を掲げ、軽く一閃した。それだけで一陣の風が巻き起こり、棚の上のほこりが舞い上がる。

 その瞬間、彼は口の端をわずかに吊り上げ、ニヤリと笑った。あの無表情な騎士が、心から愉悦ゆえつを浮かべた瞬間だった。


「まさか……あれを振るう奴がいるとはな」


「すみません、これ……売っていただけませんか?」


 私はすぐに店主の前に出て、深く頭を下げた。足りない分は、明日の稼ぎで支払うつもりだ。


「……ああ。正直、金貨一枚じゃ材料費にもならないが……コイツがようやく日の目を見るってんなら、いいぜ。タダでも構わん」


「いいえ、きちんとお支払いします。それからこれは訓練用ではなく、実戦に使わせていただきます」


 そう言ってナイトを振り返る。


「本当に、これでいいのね?」


 ナイトは膝をつき、深々と頭を垂れた。


「……可能であれば、是非に」


「うん。じゃあ、決まりね」


 こうして、誰にも扱えなかった黒重鋼の長剣は、新たな“主”の手に渡ることとなった。


「盾も持っていきな。片方の手にだけ重い武器を持つとバランスが崩れるからな。そいつを研ぎ直すついでに、盾も仕上げておいてやる」


「事情があって、明日にはベルガリアを発たないといけないのですが……」


「心配するな。徹夜してでも間に合わせてやるよ」


 店主はそう言って胸を叩き、楽しそうに笑った。


 そして翌日――黒鋼の騎士は誕生した。

 かつて誰にも扱えなかった武器をたずさえた、寡黙かもくながら誰よりも忠義に厚い騎士が。

 その厚い胸板を覆うのは、新品の皮鎧。己の渾身の作を身に着けてくれる騎士への、店主からの贈り物だ。


「よく似合ってるわ、ナイト」


 そう声をかけると、ナイトは深々と頭を下げてから、再び口の端を上げて満足そうに笑った。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ゴブリンパラディン(ナイト)専用・超重量剣盾セット


【主武装】《グラビティソード(重力剣)》


分類/ブロードソード(訓練用模擬剣)


素材/黒重鋼製


重量/一般のブロードソードの約十倍(二十キロ)


特徴/リアナが“グラビティ”などという立派な名を付けたが、特殊効果は一切ない。もともとは騎士団の鍛錬目的で作られた素振り用の模擬剣で、斬るというより“叩き潰す”もの。急遽、刃先だけ研いでもらったため、戦斧程度の切断力は備わっている。ありていに言えば、「極めて重いナマクラ」である。


【副武装】《バーストガード(爆盾)》


分類/バックラー(訓練用打撃盾)


素材/黒重鋼製


重量/一般の丸盾の約十倍(二十キロ)


特徴/こちらもリアナが命名。“バースト”などという派手な名は付いているが、特殊効果は皆無。本来は体幹を鍛えるための訓練用として作られたもの。この盾でナイトがシールドアタックを繰り出すと、相手はまるで爆砕したかのようにバラバラになるため、この名が付けられた。実質的には、取っ手の付いた鉄塊である。なお、盾は武器判定されないため、“剣しか使えない”はずのナイトでも攻撃に用いることが可能。これはアデルの“看破”によっても判明していた。

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