第8話【パラディン対ジェネラル】

 森を震わせる咆哮が、闇を切り裂いた。


「グゴガアアアア――ッ!」


 怒りに燃えるゴブリンジェネラルが、進化を遂げたナイト――ゴブリンパラディンに牙を剥く。

 手に握られているのは、刃渡り一・五メートルを超えるグレートソード。空を裂き、大地を抉るほどの強烈な一撃が振り下ろされる。


 もしナイトが避ければ、その先にいるのは私だ。彼が身を引けば、私は真っ二つになる。

 けれど――ナイトは一歩も退かず、敵の剣筋に合わせて、自らのブロードソードを振り抜いた。


 刃と刃がぶつかり、火花が散る。ナイトの剣は、進行方向に絡め取るようにジェネラルの大剣をらしていた。

 力で押し切る剣を、ことわりで受け流したのだ。


 視線が一瞬交わる。ナイトがちらりと私を見た。ああ、そういえば「ご命令ください」と言ってたっけ。


「……わかったわ。ナイト、あなたの力を見せて!」


「御意!」


 返ってきた声は、もうにごった片言ではない。堂々とした響きの中に、確かな忠誠が宿っていた。


 ゴブリンジェネラルの身長は二・五メートル、体重は三百キロを優に超えるだろう。鉄塊のような肉体を高級そうな金属鎧で覆い、大剣を構えている。

 一方、ナイトは成人男性ほどの背丈で、体重は百キロに届くかどうか。粗末な皮鎧とびた片手剣が全装備だ。


 力も装備も桁違い――それでもナイトの立ち姿には、不思議な威厳と自信が漲って《みなぎって》いた。


 ふたたび大剣がうなりを上げる。ナイトは紙一重でかわし、地を蹴って間合いを取った。重い斬撃が地面を裂き、木の根を砕く。

 まさに一撃必殺、避け損ねれば命はない。


「ナイト、待ってて! 今から支援魔法を――」


 その時、背後に殺気を感じた。振り向きざま、飛来した矢を錆びた短剣で弾き落とす。

 乾いた音とともに矢は弾かれ、近くの幹に深々と突き刺さった。


 危なかった……観戦に夢中になって、防御魔法をかけ忘れていた。

 だが矢はそれきりで、斬り込んでくるゴブリンもいない。


 きっとジェネラルの命令だ。「我らの戦いに他の者を介入させるな」と命令しているに違いない。


「ご心配には及びません。ここは俺にお任せを」


――“俺”。やっぱり一人称は変わらない。

 少しだけ安心する。進化しても、言葉づかいが改まり格好良くなっても、ナイトはやっぱりナイトだ。


 私はさらに下がって木陰に隠れ、彼の戦いを見守ることにした。


 ……ナイトの“聖剣技”、そろそろ来るかも?


 予感はすぐに的中する。

 聖剣技は“聖女の恩寵”で得た力ではない。それを機に進化したゴブリンパラディンの“権能”――つまり、この進化形態の固有技だ。


 ナイトが剣を構え直し、深く息を整える。体内を巡る膨大な気が剣先に収束していく。

 限界まで高められた瞬間、刃が淡く光を放ち、風が切り裂かれた。


「聖剣技――《閃光刃フラッシュ・ブレイド》!」


 ジェネラルの袈裟斬りを受け流すや、返す刀でナイトは逆袈裟に斬り上げる。


 金属が裂ける音とともに、ジェネラルの分厚い胸に深い傷が走る。そこから大量の血飛沫がほとばしった。

 鎧は真っ二つに割れ、使い物にならなくなったそれを、ジェネラルは乱暴に引き剥がす。


 ギリギリのところで身をかわしたのだろうか、致命傷ではないが防御力は明らかに落ちた。


「ギッ、ギグゴゴ……」


 ゴブリンシャーマンが癒しの呪術を唱えようとするが、ジェネラルは鋭く睨み制止する。

――「不要、俺は一人で戦う!」と。


 誇り高き騎士のような矜持きょうじ。ゴブリンジェネラルとは、ゴブリンナイトの進化の先にある存在なのだ。


 その間にもナイトは次の聖剣技を放つ。


「聖剣技――《流星刃ミーティア・ブレイド》!」


 跳躍したナイトが、空中から無数の気の刃を浴びせる。遠距離・連続・範囲攻撃を兼ね備えた、あらゆる角度からの超高速の斬撃だ。


 ジェネラルは血を流しながらも、後退しつつ立ち続ける。

 とどめを刺そうとしたナイトが足を止めた。ジェネラルが右手を上げ、指先で彼を示し、低くおごそかな声をつむぐ。


「汝を強敵と認む。

 我、血戦を挑まん。

 今こそ刻は至れり。

 鬼の血脈よ――目覚めよ!」


 これって……聖誓詩せいせいし? 


 聖誓詩とは、神に誓いを捧げる事前詠唱。魔法の威力や効果を高めるための儀式だ。

 ゴブリンが神聖魔法を使えるとは思えないが、何かに祈りを捧げて、特別な力を引き出しているのは確かだった。


「我が身、ほむらと化せ――《戦鬼解放モード・フェラル》!!」


 一瞬、ジェネラルの肉体が破裂したかのように見えた。

 赤黒い気が全身から噴き上がる。それは気というより、殺意と怨念、戦鬼の執念がほとばしったようだった。


 筋肉が膨れ、骨が軋み、関節が拡張する。肩幅が広がり、骨格そのものが強化されていく様子が、肉眼で見て取れる。

 紅蓮の気流が全身を包み、瞳は妖しく紅く輝く。しかも、狂気に吞まれたのではなく、理性の光を宿したままだった。だからこそ恐ろしい。


 これが……ゴブリンジェネラルの“権能”なの!? もう完全に別の魔物じゃない!


 じわじわと追い詰めるように、ジェネラルがゆっくりとナイトとの距離を詰める。

 右手でグレートソードをまるで小枝のように軽々と振るい、左手で巨木を次々と引き抜いては投げつける。

 その力は、もはや生物ではなく災害のようだった。


 木の根に絡む土砂や、大小さまざまな石が、雨のように四方へ飛び散る。

 その濁流めいた攻撃を嫌い、ナイトは大地を蹴って宙へと舞い上がった。


 もちろん、それはただの回避ではない。


「聖剣技――《流星刃ミーティア・ブレイド》!」


 空中から繰り出された“飛ぶ斬撃”が、矢継ぎ早にジェネラルの巨体を叩く。

 だが――ジェネラルにひるむ気配は微塵もなかった。


 斬撃の風圧すらものともせず、堂々と前進を続けている。

 切り裂かれた皮膚には、薄く浅い裂け目ができた程度で、血さえにじまない。


 そんな……! さっきまでは骨まで届く傷を与えていたのに。


 ナイトは着地と同時に、間を置かず次の技を繰り出した。


「聖剣技――《閃光刃フラッシュ・ブレイド》!」


 先ほど、金属鎧を両断した一撃だ。

 今度は皮膚を深く裂き、鮮血が噴き出す。


――だが、まるで何事もなかったかのように、傷は見る見るうちにふさがっていった。


 嘘……! 私のヒールでも、こんな速度で治すことはできないのに。


 息をつく間もなく、ジェネラルの猛攻が再開される。

 その破壊力は重戦車のごとく、しかも巨体に似つかわしくない俊敏さまで備えていた。


 ナイトは巧みに木々のかげを縫って、回避を続ける。

 けれど、今のジェネラルにとって森は障害ですらない。


 巨木の幹に拳を叩き込めば一撃で粉砕し、枝葉を薙ぎ払う様は人間が蜘蛛の巣を払うが如し。


――このままじゃ……。


 背筋を冷たいものが走る。頭を左右に振って悪い予感を振り払い、必死で突破口を探す。

 けれど、目の前の異様な光景が、私の集中を容赦なくかき乱していった。


 おかしい。何もかも、おかしい。


 たしか、《戦鬼解放モード・フェラル》――と言っていた。あれが、この異常な強化の正体なのか。

 それにしても度が過ぎている。


 ざっと見積もっても、身体能力は十倍以上に跳ね上がっている。

 耐久力も常識を超え、常時、上位ヒール並みの自然治癒を発揮している。

 しかも理性を失わず、戦略的にナイトを追い込んでいる……? 


 あり得ない。


 持続型の魔法や特技で、これほどの効果は得られないはずだ。

 一瞬の爆発的な強化ならともかく、これは長く続きすぎている。


――いや、一つだけある。


 胸の奥に、哀しい記憶が蘇る。


《コール・ゴッド》――かつて“彼女”が使った、命を代償とする自己犠牲型の魔法。

 あれがもし、同じく命を削って発動する、一か八かの賭けだとしたら……。


「ナイト! 攻撃をやめて回避に専念して。その技は長くは続かないわ!」


 叫ぶと、ナイトはちらりとこちらを見て、わずかに頷いた。その瞬間――。


 森の奥で、複数の弓のげんが一斉に震える音が響いた。


 しまった……! 


 私の声を、ゴブリンたちは“参戦の意思”と受け取ったのだ。


 無数の矢の雨が、唸りを上げて飛来する。


 私は身をひねり、錆びた短剣を振るった。

 乾いた音を響かせながら、飛んできた矢を二本、三本と叩き落とす。


 だが、数が多すぎる――。


 さばききれない! 


 右肩に鈍い衝撃が走った。


「っ……く、ぁ……っ!」


 焼けるような激痛が、全身を駆け抜ける。

 矢は肩口の肉を裂き、骨にまで届いていた。


 呼吸が詰まり、視界が揺れる。衣越しにも、矢柄やがらが突き出ているのがわかる。


 このまま、ここにいたら……! 


 必死で体を引きずり、近くの木陰へ飛び込む。

 心臓が痛いほど脈打つ。震える指先で矢を掴むと、それだけで全身に電撃のような痛みが走った。


「っ……!」


 奥歯を噛み締め、一気に引き抜く。

 骨が欠け、皮膚と筋が裂ける、嫌な音が耳に残る。


「くっ……う……っ……!」


 腕が震え、血が熱く流れ落ちた。意志とは無関係に、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。


 だが立ち止まる余裕はない。周囲のゴブリンが包囲を狭めてくるのがわかる。

 私の軽率な行動が、ジェネラルとナイトの一騎打ちを邪魔してしまったのだ。


「我が祈りは、尊き神のたなごころ――《ハイ・ヒール》!」


 深く息を吸い、焦りをしずめて上位の治癒魔法を唱える。

 傷が癒えたのを確かめ、短剣を握り直した、その時――。


 張り詰めた空気を、突然の怒声が切り裂いた。


「グル……ゴガ……ギイ……グガアアァ――!」


 ナイトが私の方を振り向き、吠えた。それは人間の言葉ではなく、あえてゴブリン語で発せられていた。


「お前たちを、一匹残らず殺す!」


 翻訳するなら、そんなところだろう。


 その恫喝どうかつと同時に、背後で数本の血柱が噴き上がった。

 私の目ではすべては捉えきれなかったが、ナイトが《流星刃ミーティア・ブレイド》を飛ばして、私を射たゴブリンアーチャーたちを残らず瞬殺したのだ。


 残ったゴブリンたちは恐怖に硬直し、動きを止めた。


 それを確かめたナイトが、一歩、ジェネラルの方へ足を踏み出す。

 その瞬間、場の空気が変わった。


 気配が凍りつき、風が止まり、静寂が辺りを包む。まるで天地そのものが、彼の行動を見守っているかのようだった。

 ジェネラルもまた、その挙動を注視し、防御の構えを取る。


 ナイトは、右手の剣を胸元で構える。

 刹那、全身から圧倒的な気迫が噴き上がった。


 ズゥゥゥン……。


 足元から、低く重い響きが聞こえる。一瞬で風が巻き起こり、ナイトを中心としたうずになった。

 膨大な気が刀身に収束し、剣は青白い光を放ち始める。


 シュウゥゥ……。


 剣が細やかに震え、甲高い振動音が静寂を切り裂いた。

 まるで空間そのものがきしみ、拒みながらもその力に従っていくように。


 ナイトは胸元の剣をゆっくりと掲げ、空へ向けて突き上げる。

 光が剣先から溢れ、天と地とを結ぶ一本の白い線となる。


 戦場全体が息を呑む。

 今やナイトそのものが――理と力と魂を束ねた、一振りの刃と化していた。


 一瞬、彼の瞳が私を捉え、すぐにジェネラルへと戻る。


「汝、侵すべからざる神域に踏み入りし者なり。

 主君の祈りをいしずえに――

 極理きょくりの剣、鬼神の力、忠義の魂を束ね、

 我が一撃、森羅万象を断つ!」


――ナイトも“聖誓詩せいせいし”を……。


 一閃。光が弾けた。

 剣の軌跡が世界を揺らす。


 目に映るのはただ一つ、あらゆる不条理を否定する、まばゆい剣閃。


 その一撃は、理すら断ち切る信念の剣。

 ジェネラルが構えた大剣も、鋼のような筋肉も、分厚い骨も――すべてを断ち切った。


「聖剣技――《共鳴刃レゾナント・ブレイド》!」


 ジェネラルの巨体が、頭から縦に真っ二つに割れ、膨大な血飛沫を噴き上げながら左右に崩れ落ちる。

 それを見た配下のゴブリンたちは悲鳴を上げ、恐怖に我を忘れて散り散りに逃げ去った。


「……言ったはずだ――皆殺しだと!」


 ナイトが怒声とともに一歩を踏み出す。

 私はとっさに手を伸ばし、その追撃を制した。


「もういいわ。お疲れさま、ナイト」


「……お言葉ながら、見逃してしまっては、また……」


 訴えるような視線が向けられる。

 彼はまだ許していないのだ。私を傷つけた、かつての同胞たちを。


「ジェネラルを失った群れに、大規模な狩りはできないわ。それに――騎士を名乗るなら、主を森に残して行っては駄目でしょう?」


 しばしの沈黙の後、ナイトは静かにこうべを垂れた。


「承知しました。我が主よ」


 その時、ふと気づく。


 あれほどの激戦だったのに、ナイトの体には傷一つない。それどころか、呼吸一つ乱れていない。

 私からの回復も強化も受けずに、代償覚悟の切り札まで使ったジェネラルを圧倒するなんて。


 ゴブリンジェネラルは、小さな都市なら壊滅させられるほどの魔物だというのに。


 私は、膝をついて臣下の礼を取るナイトを見下ろした。


 胸に去来するのは、小さな安堵と――それを上回る不安だった。

 “聖女の恩寵”――力を与えるということは、それだけの責任を背負うということ。


 その事実を、私はようやく身をもって実感し始めていた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


《戦鬼解放(モード・フェラル)》


ここぞという時にしか使わない、ゴブリンジェネラルの“決闘専用”の切り札。


発動条件/対象を“命を賭けて戦うに値する強敵”と認めること。


技の効果/身体能力十倍。戦意向上(大)。痛覚軽減(大)。物理抵抗力上昇(大)。魔法抵抗力上昇(大)。精神攻撃無効。常時超回復。


効果時間/対象を殺害するか、五分間が経過するまで。一度発動すれば、対象の息の根を止めるまで決して解除されない。五分経っても倒せなければ、全身から血を噴き出して絶命する。

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