第4話【ゴブリン軍団の襲撃】

 それは、あまりに突然の出来事だった。

 風を切り裂く音がして――次の瞬間、太い槍がすぐ脇の帆布を突き破り、木片を撒き散らした。


「魔物の襲撃です。伏せて!」


 アデルさんの叫びと同時に馬が激しくいななき、車体が大きく傾いた。積み荷が崩れ落ち、車軸の軋む音が耳を貫く。

 反射的に身を伏せ、そっと顔を上げた私の目に、最悪の光景が飛び込んできた。


 黄土色の肌、赤く濁った瞳。粗末な皮鎧と錆びた武具を手にしたゴブリンが、森の木々の間から次々と現れたのだ。ざっと二十体……いや、それ以上か。


「なんてことだ……これは“群れ”じゃないか」


 通常、ゴブリンは二~五体で獲物を襲う。だが今、森の中から溢れ出してくるのは数十体規模――上位個体に率いられた“群れ”だ。


「しかも、後方にいるあの個体は……」


「ゴブリンシャーマン……!」


 黒いローブをまとい、額に禍々まがまがしい呪紋を刻んだ呪術師。“彼女”の記憶が警鐘を鳴らす。回復系や状態異常系の魔法を操る、小型魔物の中でも特に厄介な上位個体だ。


 次の瞬間、キィン、と脳に直接響くような不快な波動が走った。

 おそらくは混乱の魔法だろう。だが、私の魔力がその呪詛じゅそを弾き、意識はすぐに澄み渡る。私とゴブリンシャーマンとでは、魔法使いとしての格が違いすぎるのだ。

 だが、アデルさんは短く呻くと、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「すぐに解呪します!」


 苦しげにもがく彼の背に、そっと手を当てる。


「我が祈りは、けがれをはらう聖なる息吹――《ディスペル》!」


 淡い光が走り、呪いが霧散する。たちまちアデルさんが正気を取り戻した。

 私たちは馬車の陰に身を潜め、息を整える。どう動くべきか――“彼女”の記憶を手繰りながら、次の一手を探った。


「アデルさん、武器は使えますか?」


「それが、荒事はからっきしで……。本当は護衛を雇うべきだったのですが」


 その事情は痛いほどわかる。炎王竜の出現で他の魔物まで縄張りを追われ、人里近くに押し寄せているのだ。当然、護衛の依頼料は高騰し、規模の小さな行商人では手が出ない。

 “彼女”が討伐を進言したのも、こうした民の窮状きゅうじょうを目の当たりにしてのことだった。


 ここはさびれた街道で、救援は望めない。その上、私たちはすでに包囲されている。足の遅い馬車では逃げ切れない。

 馬車の陰で震えるアデルさんを見る。

 私は……“彼女”とは違う。他人のために、自分を犠牲にするつもりなんてない。


 だが、脳裏にアデルさんの笑顔が浮かんで消えなかった。 彼はこの世界で初めて、私に優しくしてくれた人だ。


「アデルさん、馬に乗ってください。荷物は……あきらめましょう」


「ですが、これは僕の全財産で……!」


「死んだら元も子もありません! 私が少しだけ時間を稼ぎます。その間に、できるだけ遠くへ」


「……わかりました。ですが、リアナさんも無茶はしないでください」


 私は小さく頷く。もちろん無駄死にするつもりはない。

 ただ生き延びる確率を、ほんの少しだけ、彼に多く振り分けただけだ。


 馬の腹帯をナイフで断ち、荷車を切り離す。

 この体は、華奢な見た目からは想像もつかないほどの力を秘めていた。

 しかも、その動きは驚くほど軽やかで俊敏だ。神官戦士として、徹底的に鍛え抜かれているのがわかる。


「我が祈りは、揺るがぬ心の炬火こか――《ブレイブ》!」


 勇気を与える魔法をかけると、おびえていた馬が高らかにいなないた。


「いい子ね。あなたの主人を乗せて逃げて。できるだけ速く、できるだけ遠くへ」


 神の力を借りた念話で、言葉に強い“意思”を乗せて伝える。


「馬の周りに障壁を張ります。長くは持ちません、早く!」


 彼の返事を待つまでもなく、両手を突き出す。


「我が祈りは、万物を阻む聖光の――《セイクリッド・スフィア》!」


 球状の防御結界がアデルさんと馬を包んだ。

 同時に、馬車から切り離された馬が、彼を乗せて疾風のように走り去る。


 あとは私が――と行動に移ろうとした矢先、もう一頭の馬の背に数本の矢が突き刺さり、悲痛ないななきが響いた。

 しまった! ヒールをかける? いや、矢が刺さったままでは治せない。抜いている時間はない。包囲は刻一刻と狭まっている。


 見捨てて逃げる? 私一人なら森へ逃げ込めるかもしれない。

 けれど……この子は、さっき私が脚の怪我を治してあげた馬だった。

 たった、それだけの繋がりだけど……。でも、たしかに心を通わせた相手だった。


「いい? 死んじゃだめよ。あとで必ず助けに来るから」


 念話でそう告げ、傷ついた馬にも防御結界をかける。


 私は身をひるがえし、馬車から地面に飛び降りた。


「来なさい、ゴブリンども!」


 あえて大声で挑発し、敵の関心を一身に集める。

 戦いなど初めてのはずなのに、妙に勇ましく振るまえている自分がおかしくて、乾いた笑いがこぼれた。


「我が祈りは、くらき魂を導く聖光――《ホーリーライト》!」


 放った閃光が、先頭のゴブリンたちの目を焼く。呻き声とともに隊列が乱れた。

 アンデッドなら即座に浄化・殲滅できる魔法だが、ゴブリン相手では目くらまし程度の効果しか得られない。

 もちろん、もっと殺傷力の高い魔法も使える。だが、たとえ魔物が相手でも、まだ命を奪うことに抵抗があったのだ。


 今だ――!


 すぐさまきびすを返し、草原を全速力で走り出す。すぐに無数の足音が後ろから迫ってきた。

 陽動は成功したと見ていいだろう。


 アデルさんが、無事に逃げ延びられるように。

 あの傷ついた馬が、命を落とさないように。

 そして、私自身が生き延びるために。


 今はただ、走る。

 逃げ切った先に、平穏な日常が待っていると信じて――。

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