第17話 エピローグ(後編)

「あ、そういや……」

 

 再び欄干に手を乗せて小川に目線を投げたリームが切り出す。

 

「この教会に居る神子……「未自覚者」を時の街の審問議会に掛けようと思っています。どのみちこのままにしておくわけにはいかないので」

「そう」

 

 ユリナは興味なさそうに手を頭の後ろで組んで答えた。

 

「……で、フィラさんにもう一度ちゃんとした場で詳しいお話を伺いたいんですが、貴女彼がどこにいるか知ってます?」

「知ってるわよ」

 

 ユリナは突然煌々とした目で楽しそうに答えた。

 その反応に怪訝な顔をしたリームをよそに彼女はつかつかと歩き出し、橋の付け根にある大きなもみじの木の裏側まで行くとそこに潜んでいたヒトを引っ張りながら連れてきた。

 

「あれ、フィラさん?」

 

 リームは驚いた顔でユリナが無理やり引っ張ってきたフィラをまじまじと見つめる。

 

「ち、違うんです、立ち聞きするつもりはなかったんです!たまたま通りがかっただけで……」

 

「何言ってるのよ、フィラ君。あなた最初から居たじゃない」

 

 慌てて手を左右に振るフィラに鋭く突っ込むユリナ。

 嘘を見抜かれたフィラはみるみるうちに顔を青くしていった。


「ああいや、別に構いませんよ。それなら話が早いです。ここの神子たちを集めて近いうちに時の街にお越しいただきたいのですが」

 

 リームは優しく微笑むと、フィラの手を取る。

 

「は、はい、それはいいのですが、神子たちに何をどう説明すればいいのか……」

 

「それはこちらで説明しますから。あなたも正直よくわからないでしょう?」

 

 実のところ、この間のユリナの説明ではこの世界のシステムについてさっぱりわかっていなかった。

 かろうじてこの世界にはいくつもの世界線があって、フラノールは別の次元に住んでいた神の娘ということだけはなんとなくわかった。

 そして何よりも―……

 

「あ、えっとそれもそうなんですが……無礼を承知でお聞きしたいのですが、あなた様はその、どちら様で……」

 

 先ほどは一刻を争う事態だったので、悠長に自己紹介などしている暇もなかった。

 この男性はなんか時の街の偉い人だろうということだけはわかったが、それ以上のことは全く分からなかった。

 

「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。僕はリーム。確定時間のフラノールであるミラノの兄、時の神の三男です」

 

 リームはそう言うと深々と会釈する。

 

「わわ、私などに頭を下げないでください!」

 

 フィラは慌ててそう言った。

 

「いえ、今後お世話になるかもしれませんから」

 

 フィラやその他の神子たちが時の街に協力してくれることになれば、彼らはリーム達神族の部下ということになる。

 リームは優しく微笑むと、おもむろに右手を出しそこに神力を集中する。

 すると、先ほどまで何もなかったその場所に時空の棒が現れた。

 

「それじゃあ僕はバブさんたちに邪魔されてできなかった別の用事がありますので、これで失礼しますね」

 

 そのまま彼は時空の棒を扱い、この場から去った。

 

 「行ってしまわれた……」

 

 神力を目の当たりにしたフィラはあっけにとられたまま固まっていた。

 

「それじゃあ私もそろそろ帰ろうかしら」

 

 ユリナはうーんと両手を頭上に上げ伸びをすると、同じように時空の棒を取り出した。

 

「ユ、ユリナ様、あの……」

「なあに?フィラ君」

 

 フィラが下を向いたままなんだか切り出しにくそうだったので、ユリナは体をかがめ覗き込むように聞いた。

 これではどちらが年上か分からない。

 

「あの、お二人は、いったいどういったご関係で……?」

 

 フィラはなおも下を向いたままボソボソと問う。

 その表情はユリナからはよく見えないが、少し高揚しているようだった。

 

「従兄妹よ」

 

 ユリナが清々しい笑顔でそう答えると、フィラは顔を上げ怪訝な表情を見せる。

 

「親戚……ですか?親戚の方があのような……その……く、くちづけを……」

 

 ああ、と納得したような顔をするユリナ。

 最初から居たのであれば当然あの逢瀬も見られていたということだ。


「なによ、あなた私のプライベートに口出す気?」

 

 ユリナがプイとそっぽ向く。

 

「い、いや、そういうわけではありませんが、たまたまそういうその……場を目撃してしまったので、お二人はそういう関係なのかなと思っただけです!」

 

 フィラは顔を赤くして語気を強めにそう言った。

 

「あなたリームが心配で付けてたんでしょ?」

 

 この期に及んでたまたまを突き通すフィラに呆れた口調でユリナが言う。

 フィラはその言葉を聞くとハッとして口をつぐんだ。

 

「気づいて……おられたのですか」

 

 先ほどあんなことがあったばかりなのに、一人でこのカルディアをふらふらとしているリームが心配になって付けていたのだ。

 自殺でもされたら困る。

 

「あなた分かりやすすぎるのよ。素直とも言うわね」

 

 フィラはユリナに胸のあたりを人差し指でグイと押され、困惑した表情を見せる。

 この女性だけは本当に分からない。知らないことは無いんじゃないかと思ってしまう。

 フィラはふとこの年下なのに謎の存在感を放つ情欲的な女性が怖くなった。

 

「まあとにかく、私たちは従兄妹でそれ以上でもないしそれ以下でもないのよ」

 

 ユリナがきっぱりそう言い切ると、フィラは煮え切らない表情をしていた。

 さっきのアレはどう見ても恋人同士のソレだった。なによりも恋人でもない人とあんな口づけするなんてそれこそ不道徳の極みである。

 幼いころから神の道へと入ったフィラは、教会の務めを果たすことだけを考え生きてきたため男女のそのようなことにはからっきし理解が無かった。

 

「あらあら、もしかしてフィラ君そういうの全然分からないの?」

 

 ユリナが新しいおもちゃを手に入れた子供のような意地の悪い笑み全開でフィラに近寄る。

 

「ひっ……」

 

 フィラは後ろに下がろうとしたが直ぐに欄干にぶつかり、それ以上行けば川に転落する。

 

「ねえ、フィラ君……?」

 

 ユリナはゆっくりとフィラの背に手をまわし、その豊満な胸を押し当ててくる。

 布面積の少ない時の街の正装から、たわわに実ったその乳がむき出しになり彼の胸を圧迫する。

 教会にも女性は居るが、当然こんな破廉恥な恰好をした女性は居ない。

今まで見たことも無かった女性の露わな胸部を目の前にし、思わず目をそらす。

 

「ユ、ユリナ様、困ります、こんな……」

「あたしは困らわないわ」

 

 ユリナはそういうと彼の胸部をまさぐるように左手を這わせ、右手を耳の傍に添えると口を近づける。

 キスされる―……!フィラはぐっと目をつぶった。

 

「なーんちゃって」

 

 目を開くとそこにはいたずら少年みたいな笑顔で微笑むユリナが居た。

 

「キスされると思った?目なんかつぶっちゃってかーわいー♡」

 

 あっけにとられた顔のフィラをよそにユリナは続ける。

 

「あなたは早くお嫁さん貰った方がいいと思うわ」

 

 自分のプライベートに口を出されると怒る癖に人のプライベートにはずけずけと入り込んでくるユリナ。

 なおも呆然自失とするフィラを眺めながらユリナはくすくすと笑っていた。

 

「お、ユリナ」

 

 背後から知り合いの声がする。

 振り向くとそこにはバブが居た。大体この男の隣にはメイとレミか日替わり彼女がいるのだが、今日は珍しく純粋に一人だった。

 

「あら、一人でどうしたの?バブ」


 珍しいものでも見るようにユリナが問うと、バブは背後で魂が抜けたように立ち尽くすフィラの方を向いて言った。

 

「フィラ殿に用があってきたんだが……なんだか具合が悪そうだな」

 

 バブは不思議そうにフィラを眺める。

 どうやらさっきまでのユリナのいたずらは見ていなかったらしい。

 

「ほらフィラ君、しゃんとしなさい!」

 

 ユリナがフィラの背中をバシッと一叩きすると、魂を吹き返したようにフィラの瞳に光がともった。

 

「あ、ああバブさんでしたか。私に何か御用ですか?」

「ええ、今回の件で色々ご迷惑をおかけしてしまったので、我がタルトールの王であるレイバーが近々お会いしたいとのことでした」


 バブは丁寧にそう言うと頭を下げた。

 

「わかりました。しかし今回の件でカルディアがタルトールに対して制裁を加えることはありません。ヴィード様は教会で暗躍していた組織のトップとして今、城内に拘束されています。事情を話せばむしろそちらと今よりよい関係を結ぶことができるでしょう」

 

 フィラは笑顔で答える。

 

「あ、それと……」

 

 フィラは突然バブの手を取り、改まってその目を真っすぐ見据える。バブは不思議そうに首を傾げた。

 

「私は、近々カルディアを出て時の街へ赴きそちらに助力しようと思うのです。せっかくこの体に宿った神の力、世の中の役に立てたいんです。なので、「カルディア王国のフィラ」は本日でおしまいです。次からは、私のことも時の街の皆さんのように扱ってください。ええ、もちろん常語でよろしいですよ」

 

フィラは何かが吹っ切れたような清々しい顔でそう言った。

 

「そーかそーか、じゃあこれからもよろしくな、フィラ」

 

 切り替えの早いバブは早速タメ口で新たな「友人」に挨拶する。

 二人はしっかりと握手した。

 

「あらあら、じゃあ時の街に住むってことね。うふふ、あたしが恋しくなったらいつでも頼ってきていいのよ?」

 

 ユリナが相変わらず艶やかな声でフィラにボソッとつぶやくと、フィラは驚いて一歩後ろに跳ねる。

 その顔は真っ赤に高揚しており、心臓もバクバクと早い鼓動を打っていた。

 

「冗談よ」

 

 ユリナがケラケラと笑うと、その後ろからひょっこりと顔を出したバブがニヤニヤしながら言う。

 

「こいつはなかなかの上玉だぞ」

 

 そう言ってバブはユリナの腰あたりに手をまわし、その長い指を這わせた。

 目の前でそのやりとりを見ていたフィラはもうユリナという女性が一体何を考えているのか全く分からなくなっていた。

 この様子だと、彼女は誰にでもこうなんだろうか……。

 

「さ、そろそろあたしは帰るわよ。また後日リームが貴方たちを迎えに来るからその時はよろしくね」

 

 ユリナはウインクしながらフィラに投げキスを飛ばす。

 そしてその辺りに放っていた時空の棒を拾い上げた。

 

「は、はい」

 

 フィラは硬直したまま返事した。

 

「じゃあ俺もそろそろ帰るか。レイバーの伝言は伝えたしな」

 

 バブはそう言うとひらひらと手を振りながら踵を返した。二人が去っていった後、しばらくフィラはその場に立ち尽くしていた。

 まだこの国でやり残したことがたくさんあるが、それを全て片付けたら時の街に行こう。

 

 新しい門出を目前に、彼は少しだけこの先が楽しみになった。

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