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第1話 約束

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 小学1年生の春、お父さんが死んだ。


 お父さんは、よく僕と双子の姉の夕美ちゃんのことを殴っていた。10歳年の離れたすずお姉ちゃんのこともたくさん罵っていた。


 でも、お父さんは死ぬ1年前に病気になり、その途端に優しくなった。


 「今までごめんな。もっと、はやく気付けばよかったな」


 お父さんは本当に別人のようだった。ちょっと体調の良いときは、まるで今までの時間を取り戻すかのように遊んでくれた。


 僕は、その一時が幸せだった。僕は父のことを許していた。父は本気で僕らを殴っていたことを悔やみ、そして僕らを愛してくれていた。


 でも幸せな時間は終わり、お父さんは死んだ。


 僕も夕美ちゃんもたくさん泣いた。お母さんは冷めた目で動かなくなったお父さんを見ていた。


 お父さんが死んだ時から、お母さんはもっと怖くなってしまった。


 お母さんは、お父さんが死んだ後から更に僕を殴るようになった。


 お母さんは、僕のことを毎日殴った。蹴った。


 お前は要らない子だと、首を絞められる。


 お前は死ぬべきだと、熱湯を掛けられる。


 「お母さんの言うことは絶対なのよ! 逆らうな! これからお前ははい以外言うな、わかった?」


 「はい」


 僕は、人形のように「はい」と口にする。


 それ以外の言葉を言えば、殴られる。


 すずお姉ちゃんも僕が「はい」しか言わなくなると、僕を殴るようになった。他にもたくさん意地悪をしてきた。


 夕美ちゃんは、お母さんの癇に障ることをしないように笑顔を作っている。


 僕らの声は、誰にも認知されない。


 学校でも、僕は声を上げられない。満足に教科書を読むこともできない。字も書けない。うまく喋れないから、僕には友だちもいない。


 夕美ちゃんは、学校ではとてもいい子だった。僕と違って、愛想のいい彼女は友だちがたくさんいた。



 「航ちゃん、大丈夫?」


 「……はい」


 「ここにはママいないから、喋っていいんだよ?」


 「……はい」


 夕美ちゃんは僕を見て困ったように笑う。夕美ちゃんは友達もいるのに、いつも僕と手を繋いで帰路に立ってくれた。それが嬉しくて……申し訳なかった。


 でも、「ごめんね」の言葉すら喉を通らない。いつしか僕は本当に「はい」以外言えなくなっていた。


 「夕美ちゃん、いつも航ちゃんの面倒見て偉いねぇ」


 「ううん! だって私双子だけどお姉ちゃんだもん!」


 近所のおばあさんが僕らに、正確には夕美ちゃんに微笑む。夕美ちゃんは、ご近所さんとか、先生に褒められるととても嬉しそうに歯を見せて笑うのだ。


 「航ちゃん、私さ、航ちゃんと双子でよかったなっていつも思うの。だってね、一人だったら辛いけど、航ちゃんがいるから今頑張れるんだもん」


 夕美ちゃんは、いつも僕の手を引いてくれる。僕は、彼女の優しさに甘えて一緒に帰る。


 「大人になったら、二人で暮らそうね」


 「……はい」


 「約束だよ!」


 夕美ちゃんはそう言って、向日葵のように笑った。僕も彼女の笑顔につられて自然と笑みが溢れた。



 でも、その約束は果たされることはなかった。

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