第13話 ダーリンは聖武天皇

西暦七二四年二月。

首皇子、即位――二十四歳。

あたし、光明子も二十四歳。

新しい年号は、神亀元年。


みことのり)を奏す」

静寂の中で、天皇となる彼の声が響いた。詔勅の練習だ。


完璧に練られた詔文。兄・武智麻呂の狙い通り、貴族や官人に階位を与えるご褒美作戦は大成功だった。

国内はもちろん、遠い国々からも祝いの使者が到着し、珍しい品々が並ぶ。


神亀元年二月吉日。

春、まだ浅い奈良の都。


夜明け前の空は、薄墨を溶かしたように青く、冷たい靄が大極殿の朱を包んでいた。

氷を溶かしたような風が瓦の上をすべり、どこからか微かな鼓の音が響く――トン、トン、トン。


やがて、東の空が白み始める。

庭の白砂には、まだところどころ雪が残っていて、朝の光を受けると粉のようにきらめいた。

整然と並ぶ百官の列。金糸を縫い込んだ朝服が風にさざめき、衣擦きぬずれれの音が一斉に響く。


冷えた空気の中、香木の匂いが立ちのぼった。

現代で有名な正倉院の宝物――蘭奢待らんじゃたいの香。ああ、これが現役で焚かれるとか、最高。


やがて、殿の奥から人の波が動く。

濃紫の御衣をまとい、金の玉帯を締めた若き天子――首皇子。


その姿を見た瞬間、ざわめきが止まり、ただ衣の裾がすれる音だけが響いた。

風が天子の袖をかすめ、舞い上がった塵が金粉のように光を反射する。


「――これより、天皇の御位を継がる」


宣命が朗々と読み上げられた。

鼓が再び鳴り、笙の音が青空へと昇る。

春の光が冠を照らし、黒漆の玉座に一筋の光が走った。


庭に並ぶ百官が一斉に頭を垂れる。

その瞬間、世界は静寂に包まれた。

白鷺が一羽、堀の向こうから飛び立つ。

風がしゃくの面を鳴らし、幔幕まんまくがひらりと舞った。


――みんな、もう少し我慢して読んでくれ。

このシーン、映像化したらめっちゃ映えるんだから。


正午を過ぎるころ、平城宮に春の光が満ちる。

朝の氷はすっかり溶け、大極殿の庭には陽炎のようなかすみがゆらめいていた。


南門の外から、楽人たちの行列が進む。

金に塗られた龍頭の笛、朱漆の鼓胴、花のような装束。

笙の音が高く鳴り、琵琶が追い、龍笛の細い響きが空へと溶ける。


白砂の庭に百官が再び整列。

日差しを浴びた朝服の色は、まるで宝石の波。

深緋、浅緑、藍、紫苑、黄金――

風が吹くたび、袖がふわりと舞い、金糸がきらめく。


殿の中では、御膳の準備が整う。

檜の卓に朱塗りの器がずらり。干鮑ほしあわび、栗、柿、白米……すべて諸国から届いた供物。

札が立てられ、墨と香木の匂いが溶けあう。


「天皇陛下、御即位、まことにおめでたく存じます」

長屋王、そして武智麻呂らが拝礼。

その声が静かな殿内に重なり、詩が朗々と読み上げられた。


――春の風 天を洗い

――霞の光 国を照らす


殿奥、玉座の上。

聖武天皇――あたしの首皇子――は静かに微笑んでいた。

その瞳には、金の光と群臣の冠が映る。

頬を照らす光は、まるで神の印のよう。

――麗しき若き天皇。臣たちはその美しさに息を呑む。


太鼓が鳴り響く。

ドン、ドン、ドン――大地が震える。

鼓手の背の布がはためき、舞人たちが色布を広げて舞う。

青、赤、白、黄――四方の色が渦を巻き、春の空へと舞い上がる。


やがて日が傾き、白砂が金色に染まる。

笙の音はやわらかく低く変わり、夕風が蘇芳の幕を揺らした。

その風の中、香の煙が細く立ちのぼる。


宵の明星が淡く瞬く。

太鼓が止まり、笛も静まり、遠くで烏が鳴く。

百官が静かに頭を垂れた。

春の宵――新しい時代が、ゆっくりと息づき始めた。


聖武という名の若き天子の時代が、歩き出したのだ。


即位の儀式がすべて終わり、あたしは彼を抱きしめた。

「完璧な即位の礼だったわね」

「うん、完璧な一日だった」

あたしたちは鼻をくっつけて見つめ合う。


――けど、その瞬間。

あたしの中の黒いモヤモヤが、むくりと顔を出した。


「……ねえ、どうして? なんであたしは皇后の座にいなかったの?」


聖武天皇は苦笑い。

「ごめん、光明子。おまえは藤原不比等と橘三千代の娘。皇族じゃない。

反対したのは、長屋王だ」


出た。常識の化身。長屋王。


「現代で言えば総理大臣ポジじゃないの。わかるけど、納得できない!」


あたしは机を叩きたくなるほどムカついていた。

「長屋王が『光明子さまは美しく賢い、でも皇族じゃないから皇后にはなれません』って言えば、皆が『ははーーっ』ってなるの、意味わかんない!!!」


聖武はすでに布団の中。

あたしが燃えてる横で、堂々の寝息。


はぁ……。思い出そう、この物語のゴール。

「この国の皇后に、あたしはなる!」

そう決めたんだった。


つまり、皇族に転生でもしない限り、この話は終わらない。


長屋王さま、なんでそんなこと言うの?

お乳足りてる? おっぱい揉む?

――いや、違う違う! 支離滅裂だ!


こんなんじゃ○○○○コンで優勝できないじゃん!

長屋王めぇええ!!


あたしは深呼吸した。


敵はもはや「県犬養の雌犬」どころじゃない。

天皇の次に権力を持つ男、長屋王(皇族)。

たとえ藤原四兄弟でも、簡単には崩せない壁。


……困った。

ほんとに困った。

読者も困ってくれ。


このままじゃ、物語が完結しないぞ、こりゃ!


◆◆♪黒猫クロエの奈良情報♪◆◆

光明子は怒り狂っているが、気にしないでいこうにゃ。

蘭奢待らんじゃたいってそもそも何?

蘭奢待らんじゃたいとは、奈良の 正倉院 に収められている非常に貴重な香木で、目録上の名称は黄熟香おうじゅくこうっていうにゃ。

長さ約 1.56 m、重さ約 11.6 kg という大きさで、産地はベトナム〜ラオスあたりの山岳地帯と推定されているにゃ。


◆ なぜ特別?

この香木は、《めいこう》。として長く扱われてきたんだにゃ。


◆蘭奢待は、「東」「大」「寺」の三文字をそれぞれ隠し持った雅名。つまり「東大寺」に通じる、という言い伝えがあるにゃ。 探してみてね。


◆織田信長、足利義政、明治天皇 などがこの香木の一部を切り取った。所望したという記録が残っているにゃ。 切り取られた部分を所持したということが、強大な権力・立場を示す象徴となったんだにゃ。



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