嘗て死神と呼ばれた少年 後編


――― 西の町の安寧と運命の再会


 西へと逃亡したアインは二週間をかけて遠方の小さな町にたどり着いた。


 彼はそこでロイドと名乗り、新米魔術師として、魔物退治の依頼を受けながらひっそりと生活を始めた。


 宿がないその小さな町で、彼は町長の計らいにより持ち主のいなくなった古い民家を借りて暮らすことができていた。


 当然のようにアインの後を追ってきたイリスは、老年の男性に扮装し、すぐさま町長を洗脳、アインの隣の民家を与えられ観察を続けていた。


 だが、アインは目立たぬ生活を選択し、新たな魔術式の研究を止めてしまったことに、イリスは次第に苛立ちを募らせていった。


 ついにその不満が爆発したイリス。

 アインの更なる進化を強制するため、魔物を呼び寄びよせる禁術を使用してしまう。



 その魔術により、アインは窮地に立たされることになる。


 新米魔術師を装っていたアインは、この危機に際し町の人々と協力して重たい土嚢を運び、防壁を作り上げる作業に尽力していた。

 土嚢を積み終えた後、アインは黒魔術で精製した魔物が本能的に忌み嫌う匂いを放つ毒を生成してみせた。それらを手分けして防壁の周りに散布してもらう。


 そんな町の人達との共同作業を行う時間は、アインの心に大きな安らぎを与えていた。


 一丸となって施したこの対策により、イリスにより集められた魔物は町を襲うことなく撤退していった。


「僕の力ではあれが精一杯でしたが、毒の方も効果があって良かったです!」

 そう言て喜ぶアインを町の人達は取り囲む。


「ロイドのおかげで助かったようなものだ!誇っていいぞ!」

「そうだぞロイド!腹へっただろ?今日は俺がおごってやろろう。いっぱい食ってもっと大きくなれよ!」

 口々にお礼を言われる照れるアイン。


 幸せを感じ心が満たされてゆく感覚に酔いしれた。


 幸せを感じながら朝を迎えたアイン。

 3日目の襲撃で、ついにアインの毒の匂いすらものともしない大型の魔物が出現したことで、アインはまたも選択を迫られることになる。


 できることを。そう思って町の人々と一緒に槍を手に取り応戦するアイン。目の前のオークは大きな木の幹を振り回し、次々に町の人達をなぎ倒していった。


 その攻撃は続けられ、遂には非力なアインの元にも到達しようとしていた。


 この状況を覆すには目の前の魔物を倒すしかないのか?新米と言っていた手前、オークを瞬殺することを躊躇っていたアインは、覚悟を決めオークを貫くイメージを固め、魔術式を脳内で構築しようとしていた。


 そんな中、横から大きな叫び声が聞こえ身を引いたアイン。

 アインの視界には、オークに飛び掛かり一刀両断の元で切り伏せた騎士の姿が飛び込んできた。


「ご無事ですかな?アイン殿?」

 自らの本当の名を呼ばれ心臓が大きく跳ね上がるアイン。


「アイン様、御無事で良かった……、本当に、生きていてくれて良かった……」

 背後から女性の声が聞こえ振り向いたアイン。


 その声の主は、気付けば振り向いたアインの胸に飛び込んでいた。



――― 心を通わせる束の間の平穏


 ついに再会を果たしたクリストファ。

 アインに泣きながらこれまで言えなかった感謝の気持ちを、王族としてお謝罪の言葉を、そして、秘めていた偽りの無い熱い想いを伝えた。


 涙をこらえながらアインを見つめるクリストファは自身の願いを口にする。


「私も一緒に、アイン様と一緒にいさせては頂けませんか?私は、たとえ王族の地位を捨ててでも、あなたと共に生きて行きたいのです!それは、従者としてでも、愛奴としてでも……どんな形でも構いません!」

 顔を赤らめそう言う彼女に、アインは戸惑いすぐに返答することはできなかった。


 何も言えないアインを助けるように咳払いでその場を収めた騎士スライスにより、一旦この場はお開きとなり、皆で町長宅へ集まることになった。


 アインは戸惑いながらも、自身が王国を追放された危険人物であることを報告する。


 不安気な表情を浮かべた町長。

 アインを必死で庇うクリストファと、それを補足するように丁寧に説明をするスライスにより、アインは改めてこの村に滞在することを許された。



 大型の魔物を退け平穏を取り戻した町。

 その小さな町でアインはクリストファと共に生活することになる。


 町の人達は死神の力を恐れつつも、彼の優しさを理解していた。

 そんな暖かな生活の中、クリストファとアインは次第に心を通わせる。


 そんな穏やかな日々を過ぎていった。


 その穏やかな平穏を良しとしなかったのはイリスだった。

 彼女はアインの生存と、王国への復讐の為にクリストファが誘拐されたという偽情報を王国へ知らせていた。


 死神が復活し王国の女王クリストファを連れ去った。

 そんな虚報は想像を絶する速度で世界に広がって行く。



――― 兄の怒りと妹の愛と


 イリスの通報により、王国の怒りは頂点に達していた。


 愛するクリストファが死神アインに誘拐されたと知った国王陛下は、やはり国外追放などといった甘い処遇はするべきではなかったと激しく後悔していた。


 報復を恐れた貴族達により、極秘裏に行われてしまった暗部による暗殺も、成功したと聞いた時にはホッとしていた。だが正直あの暗殺により、彼が激怒して今回の誘拐が行われてしまったでは?

 無責任にもそう思ってしまった。


 アインに対する怒りを先走ってしまった無能な貴族達に償わせたい気持ちもあったが、今は何よりも娘の命を救わなくてはならない。


 国王陛下は直ちに皇太子に兵を預け、クリストファの救出とアインの説得、場合によってはその討伐を命じた。

 兄でもある皇太子レイブンは、クリストファを救った英雄アインを信じたい気持ちと、その妹が危険に晒されているという怒りの間で葛藤しながらも、報告のあった町を目指し軍を率いて急行した。



 その頃、町ではアインとクリストファが町の住民に混じり、畑に植えられているトマトの収穫に汗を流していた。

 クリストファはまだぎこちなくも野菜の収穫という作業に、初めて感じる心からの幸せを感じていた。

 騎士であるスライスは、そんなクリストファを娘のような感覚で見守りながら、隣の畑でナスの収穫を行っている。


 その穏やかな生活は王国からの知らせによって打ち砕かれる。


 町長はアインを擁護しようとしたが、国王の怒りを恐れ「アインを差し出すべきだ」と騒ぎ出した一部の町民と対立してしまう。


「やはり、僕の居場所はどこにも無いんだね」

 そう悟ったアインはクリストファとスライスの二人を連れ立って、この町を去ることを決意した。


 クリストファとスライスもまた、何も言わずにアインと一緒に町を出ることに頷いていた。


 町を出ようと動き出した三人。


 だが時すでに遅し。王国からの要請を受け行動を開始した帝国の兵団が、すでにこの小さな町を取り囲んでいた。


 誘拐犯として投降を勧告され逃げ場を失ったアイン。

 クリストファとスライスは、やってきた帝国の使者に自身の身分を晒し、必死の説得を繰り返していた。


 そんな二人の説得の言葉も「死神アインに洗脳されたもの」として、受け入れられることはなかった。


 理不尽なその状況にアインは深い悲しみと絶望を感じ、遂には心折れクリストファに別れを告げてしまう。


「クリストファ殿下、お別れです。僕はもう……」

 そう言って投降することを決断し、使者と共に街の外へ移動を開始したアイン。


 クリストファやスライスはそんなアインを押し止めようと説得を始める。


 そんな中、ついに王国の兵が到着する。


 引き留めようと縺れ合う三人を見たクリストファの兄レイブンは、アインに裏切られた思いを籠め単身その場に向かって馬を走らせた。


 全てを失ったアインはもはや抵抗することを止めている。


 向かってくるその兵士に対し、自らの死を受け入れてしまった。

 引き留めようをアインを抱きしめるクリストファの肩をそっと押し、その兵に身を晒すよう両手を広げ目を閉じた。


 次の瞬間、無情にもレイブンの刃が振り下ろされた。

 その刃を受けたのは、すんでのところで兄の攻撃を視界に捉え、アインを庇うよう必死で手を伸ばしその上着を引き寄せ、間に割り込んできたクリストファだった。


 クリストファは肩から腰に掛けばっさりと傷を負い鮮血が飛び散り倒れ込む。そのクリストファの命の炎はすぐにでも消え去ろうとしていた。



――― 闇の奇跡と真実の愛に


 瀕死のクリストファを抱き上げたアイン。


 その腕の中でほほ笑むクリストファの魂は今まさに消えかけていた。


 未だに傷口からは鮮血が流れ出ている。

 馬上から転げ落ちるようにクリストファの元へたどり着いたのはレイブンだ。


 その時、彼が泣きながらクリスと叫んでいなければ、アインは彼を八つ裂きにしていたかもしれない。あと一歩のところでその攻撃を踏みとどまったことは、何よりの幸運な出来事であった。


 腕の中で鼓動すら感じなくなったクリストファ。

 悲しみに叫ぶアインは、その本能の叫びに従うように体内の魔力を放出させる。


 刹那に脳内で描き生まれた新たな魔術式。

 それは今にも消え去ろうとしている魂を束縛し、強化し、意のままに操る呪縛の魔術であった。


 アインには視認できていたクリストファの魂。それを魔力の糸で優しくつなぎ止め、クリストファの体内にゆっくりと引き戻す。魔力の糸をひとつ、またひとつと繋ぎながら引き寄せるように……。


 魂が引き戻されたクリストファから微かな鼓動が聞こえる。

 だが彼女から失われた血液は戻ってはこないのだ。

 鼓動は弱弱しく、未だにクリストファの胸からは真っ赤な血液が流れ出ている。


 アインは彼女の胸元にそっと右手を置いた。

 そんなアインの周りを渦巻く黒い魔力の塊が、さらに繊細な糸となってクリストファの傷を縫い止めていった。


 それにより、血は彼女から流れ出ることをやめた。

 そして……。


 気付けば空には大きな魔法陣が出来上がっている。

 その陣から生み出された複数の刃がアインの両手を切り刻んでいった。


 状況が理解できず呆けているレイブン。

 それはだた見守っていたスライスにも、周りで様子を伺っていた兵達にも誰一人理解できない攻撃であった。


 アインから流れ出る血液は、そのまま上へと吸い寄せられているようだ。

 地面に流れ出ていたクリストファの血液も一緒に……。


 陣に吸収され真っ赤に変化したその魔法陣がゆっくりと光を強めてゆく。数秒後、アインから流れ出ている大量の血液を吸い尽くすように発動していた魔法陣の光は止まり、一本の赤い糸がクリストファに向かって降りてくる。


 その輝きを放つ赤い糸は、クリストファの胸にゆっくりと到達すると、何度か脈動を繰り返した後、目の前から消えていった。

 時を同じくして宙に作り出された魔法陣が消え、ゆっくりと目を開けるクリストファ。


 彼女は安堵したように微笑み、アインの頬に手をあてた。

 ありがとう。口元がそう言っているように動いていた。


 涙を流し笑顔を返すアインと、同じように涙を流すクリストファ。

 二人は示し合わせたように目を瞑り、優しい口づけを交わした。


 その光景を目の当たりにしたレイブンは、妹の愛の深さと、アインの無実、そして今回の事態を生んだ根底にある権力者の弱さと醜さを感じていた。


「今のは私の構築した魔術式の応用だよね!素晴らしいっ!凄いよライくん!いや、今はアインくんと言った方が良いかな?」

 興奮した様子で現れたのはイリスだった。


 その姿は本来の姿、見目麗しく若い女性の姿だった。

 偽証することも忘れた彼女のその見た目は、こんな場でなければ皆が見惚れてしまったほどであろう。現に今も食い入るように熱い視線を向けている兵士達が多数見て取れる。


「いやー、色々手を尽くした甲斐があったよ!まさか血液を別の型へと変換する魔術式に変遷させるとはね!さらに別の変化を起こすにはどうしたら良い?次は何から研究する?私にどんな奇跡を見せてくれるの?」

 早口でまくし立てるイリスを、アインはじっと見つめている。


「イリスさん。色々手を尽くしたって、どういうことですか?」

「ああ、今回キミの事を報告したのは私だよ!悲劇により洗練されたキミの精神により、キミはまたも素晴らしい進化を遂げたのさ!私が苦労して生み出した魔術式をさらに改変するなんて、まるで神の御業……、あっ……」

 失言に気付いたイリスは、口元を押さえながら後退る。


 次の瞬間、アインから放たれた黒い刃によってイリスの四肢と首は分断されていた。彼女の失言と、今この場にいたという事実が、全てが彼女の策略により引き起こされたことだと理解できたから。


 そのアインの行動に身構えたレイブンは、腰に手を添えながらさっきまでの会話を脳内で噛み砕き、今回の事態が彼女の所為だったのだと理解し緊張を解いた。


「アイン殿、全て彼女の策略で、僕達はそれに踊らされていた。ということで良いのかな?」

 レイブンの言葉に頷くアイン。


 それに納得したレイブンはクリストファの横に座り込むと、お願いだから一度城へと戻り、陛下に顔を見せるよう説得していた。

 残念ながらその説得は成功しなかったが、騎士スライスには帰還命令が聞き入れられ、一旦ではあるが戻ることになったようだ。

 アインと一緒ならクリストファの護衛は不要だと誰もが納得してしていたから。


 世話になったとアインに別れを告げるスライスは、レイブン達と一緒に王国へと引き上げていった。徒労となってしまった帝国の兵達は不満そうではあったが、王国からの謝罪などは後程という皇太子レイブンの顔を立て撤退していった。


 全ては丸く収まったようだ。


 大量の血を自らの意思で抜き取りふらふらとしていたアインは、クリストファに支えられながら借りている家へと戻る。待ち構えていた町長達に出迎えられ、一部の街の人には頭を何度下げられた。


 全てを許したアインは限界を迎えた体をベッドに沈ませ、死んだように眠りについた。その傍らには、幸せそうにほほ笑むクリストファがいた。



 一方、軍を退かせ王国に戻ったレイブンは、体験したその全てを報告する。

 国王陛下は自身の誤りを深く後悔し、娘の幸せを願いこのようなことが二度と起きないよう、全ての出来事を国民に報告するのだった。



 こうして、「死神」と呼ばれた少年はその理不尽な境遇の全てを乗り越え、愛するクリストファと共に真の居場所を見つけた。



 この小さな町で、

 二人は仲良く、ひっそりと、その命が尽きるまで……。




 おしまい

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嘗て死神と呼ばれた少年は死を偽装して隠匿の日々を望む 安ころもっち @an_koromochi

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