第11話 魔女、酒屋に行く


 ……窓の外が完全に暗くなっている。私は目を擦りながら体を起こし、リュビアを起こさないようにベッドから降りた。部屋の中も暗いが、リュビアの睡眠を邪魔したくないのでそのままにしておく。目に魔力を込めたら、暗くても不都合はない。


 リュビアは小さな寝息をたてて眠っている。時折寝言のようなものを言っていて、毛布を小さな手で握っている。幼い子どものように見え、思わず笑みが零れた。


 リュビアが目覚めた時にお腹が空いたと思わないように、食事でも準備しておこうかな。そう思って、私はローブを着てかばんを手に持ち、部屋を出た。そのまま宿を出る。夜になると、街の様子は一変している。


 冒険者たちが集うこの通りは、一際賑やかだ。宿の隣の酒場からは、底抜けに陽気な騒音が溢れ出している。扉を押し開けると、中は熱気で満ちていた。カウンターでは鍛冶師らしき人が大ジョッキの酒を一気に煽り、その隣では町の衛兵たちが装備を緩めて笑い合っている。


 冒険を終えた冒険者パーティーらしき人々は、大量の肉とスタウトを前に、大声で笑いながらコインを賭けたサイコロ遊びに熱中しているようだ。彼らの隣では女性たちが小さな声で重要な情報を交換し合っている。酒場の奥からは、吟遊詩人が引くリュートの音色が響いてくる。


 持ち帰りができる食事を注文しようとカウンターに向けて歩いていると、ちらちらと視線を感じた。気にせずにカウンターの前に立つと、豪快な笑みを浮かべながら他の冒険者たちと話していた女性が対応してくれた。


「すみません。持ち帰り可能なおすすめ料理は何ですか?」

「おや? 見慣れない嬢ちゃんだね。うちに来たのは良い判断さ。今日は猪肉が大量に手に入ってね。持ち帰りなら、猪肉の串焼きがおすすめだよ」

「じゃあ、それをいただきます。そうですね、二本……いや、三本お願いします」


 リュビアは串焼き一本では足りないかもしれない。私はお腹は空いていないが、折角ならリュビアと一緒に食べようと思う。


「あいよ! 三本で銅貨十二枚だから、十枚でいいよ」

「ありがとうございます」


 おまけしてもらえた。かばんから硬貨が入った袋を取り出し、銀貨しかないことを思い出した。銅貨十枚を銀貨一枚で払うのは……迷惑をかけてしまいそうだ。


「ええっと……飲み物も追加していただけますか? 果実ジュースを二瓶、お願いします」

「果実ジュース二瓶追加で、銅貨三十枚さ」


 絶妙だ。もう少し追加したいところではあるが、これ以上欲しいものは特にない。ここで銀貨を崩しておくのも良い考えかもしれない。折角の酒場なのでお酒を買うのが良いのだろうが……私は進んでお酒は飲まないのだ。


「ごめんなさい、銀貨一枚でお願いします」

「あんがとね。お釣り、銅貨七十枚だよ」


 銀貨を手渡し、銅貨七十枚を受け取る。女性はカウンターに果実ジュース二瓶、そして簡易的な入れ物に入った串焼きを並べた。ジュースはかばんに収納し、串焼きは手で持つ。その動きを見ていた彼女は、周りを気にしながら私に顔を寄せた。


「あんたみたいに綺麗な子が一人で歩いていたら悪いやつに狙われるかもしれないから、気を付けてね」


 女性は、私を心配してくれたようだ。夜道に特に装備もしていない女が一人で歩いているのは、警戒心がないと思われるのが普通だろう。困ったことに、私の見た目には覇気がないので一見弱そうに見えるのだ。


「お気遣いありがとうございます。こう見えて私は魔法が得意なので」

「冒険者なのかい?」

「冒険者になる予定です。この街にはしばらく留まる予定なので、何度かこちらにお邪魔するかもしれません」


 微笑んで彼女の顔を見ると、隣でお酒を飲んでいた冒険者の男性が急にむせた。どうしたのだろう。






 宿に戻って部屋の扉を開けると、リュビアが飛びついてきた。


「ラーシェ! どこに行ってたの!」


 私は彼女を抱きとめながら、彼女の姿が誰かに見られないように部屋の中に入る。リュビアは長い尾を私に巻き付けながら、鼻をすすって涙を流している。目覚めたら私がいなかったことに、酷く不安を覚えたのだろうか。


「ごめんね、リュビア。一人にしてしまって」

「わたし、ラーシェに置いて行かれたのかと思っちゃった……」

「そんなことは絶対にしないよ」


 リュビアの頭を撫でて落ち着かせながら、私は反省した。リュビアは見知らぬ地で頼れる人もいなかった。そこで事情を知る私と出会い、ようやく安心できたことだろう。そんな私が急にいなくなったのだから、動揺するのは当然だ。眠っていた彼女を起こして、ちゃんと外に出ることを告げておくべきだった。


「リュビア。不安にさせて、ごめんね」


 椅子に座り、膝に乗ったリュビアを優しく撫でる。彼女の年齢は分からないが、まだまだ子どもだ。普段は気張っているみたいだが、私の前では気を抜けるようにしてもらいたい。


「リュビアのために、ごはんを買ってきたんだ」


 雰囲気を明るくするために、声の調子を上げながら、手に持っていた串焼きをリュビアに見せた。ずびずびと鼻をすすっていたリュビアは、それを見て目を輝かせる。


「わあ、お肉だ! ラーシェ、ありがとう!」


 入れ物から串焼きを取り出し、リュビアに差し出す。私の膝の上に乗ったまま、リュビアは小さな手で串を持った。


「いただきまーす。んん! 美味しい!! この世界に来て、一番美味しいお肉だ!」


 リュビアは肉にかぶりついた。表情を見るだけで、とても美味しいのだということが伝わってくる。私も串焼きを手に取って、一口頬張った。うん、美味しい。


「このお肉は、魔物のお肉?」

「猪肉らしいよ。ついでに果実ジュースも買ったから飲もう。あ、でも、グラスがないな……」


 かばんから果実ジュースを出して机に置く。お皿は買ったが、グラスは買っていない。旅の途中で水分は重要だが、グラスから飲む機会はないから必要ないと判断したのだった。


 グラス程度であれば、氷魔法で創り出せばいい。そう考え、簡単なグラスを二つ創り出した。そして、ジュースを注ぐ。氷魔法で冷えるので、丁度よかったかもしれない。


「おしゃれなグラスができた! グラスも氷で作れるんだね。氷魔法は万能だ。わたしも、使いこなせるようになりたいな!」


 リュビアは器用にグラスを両手で持ち、ジュースを飲んだ。お酒を飲んでいると思えるような、いい飲みっぷりだ。


「ぷはぁ! 最高!」


 彼女の笑みを見ていると、ジュースも買って良かったと思える。このジュースは搾りたてなのか、新鮮で自然な甘さだ。良い香りが鼻を抜けていく。


「……ありがとう、ラーシェ」


 串焼きとジュースを味わっていると、小さな声でリュビアが呟いた。私は特に返事をせず、微かに笑みを浮かべた。

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