雨ふりコロッケ
最中
雨ふりコロッケ
家族が増えるって聞いてどう思う?多分大体の人は子供ができたりとかペットを飼い始めたりとかを想像すると思う。でも俺の場合は違う。父と兄ができるのだ。
目の前の男は母さんの再婚相手の連れ子で、俺よりも5歳年上の大学3年生らしい。俺より高い背に、多分世間的には優しげとでも形容されるだろう顔立ちをしている。
「えっと、僕は一ノ瀬薫。友也くん、よろしくね。」
声色までもがふわっとしてて優しくて、大抵の人に好かれそうな人だなと思った。多分本当に優しい人なんだろうな、とも思った。でも、それでも俺は、
「松樹友也。……よろしく。」
この人に対する警戒を緩めることができなかった。
母さんはバツ2だ。一回目は俺がまだ赤ん坊だった頃。だから俺は父親の顔を知らない。次に母さんは俺が小学生のチビの時に二回目の結婚をした。その再婚相手には連れ子がいた。俺より年上の、中学生か高校生ぐらいの男子だった。当時の俺は兄ができると聞いた時大層喜んだ。なぜならその当時、友達に兄がいる女子がいて、兄という存在がいかにいいものなのかを日々聞かされ続けていたからだ。今思えばサンプルがよくなかった。そいつの兄はちっちゃな妹をそれはもうメッタメタに可愛がっている人だった。そういう兄は珍しい方だと知ったのは随分後のことだった。
初めてアイツと対面した日のことはそうそう簡単に忘れられるものじゃない。俺の方から声をかけた途端、アイツは顔を顰めて、
「うわ、マジでガキじゃんめんどくせ……。おいガキ、うるさくすんじゃねぇぞ。俺他人のガキ嫌いなんだよ。」
アイツは相当な子供嫌いだったようで、それは当時の俺に対しても例外じゃなかった。幼い俺でも一瞬で自分が弟として見てもらえないだろう事がはっきりわかった。それ以来アイツは何かしら気に入らないことがある度俺に暴言をぶつけて、言ってしまえば俺を体のいいサンドバッグにした。幼かった俺には暴言の嵐は大変こたえた。時には殴られたりすることもあった。しっかり胴まわりを狙って殴って他人にはバレないように。ちょっとでも抵抗すればさらに酷くされた。ていうかよく考えたらこれ立派な家庭内暴力だっただろ。小学生のチビに暴言暴力ぶつけてストレス発散とかだいぶヤバい奴だったな。……結局母さんがその後離婚したから、アイツとはもうなんの関わりもない。
まぁともかく、それがトラウマになったせいで、俺は今でも年上の男が苦手だ。特に兄という概念に対しては未だに拒否反応が出る。だから母さんから再婚の話を聞いて、相手に年上の連れ子がいると聞いた時、多分あからさまに嫌な顔をしてしまっていただろう。それは悪いことしたなとは思ってる。でも幼少期のトラウマってそう簡単には治らない。だから今も、明らかに優しそうな薫さんに対しても警戒してしまうのだ。
母さんの再婚にともなって、隣町に引っ越すことになった。相手が住んでいる方に俺と母さんが行くことになったかららしい。学校に行くために乗る電車が1本増えてしまった。今までよりも朝早く起きないといけないのが憂鬱だ。しかもさらに面倒なことに、薫さんも同じ時間の電車に乗るらしく、必然的に一緒に家を出ることになった。乗る電車こそ違うものの、駅までの道のりは短くもなく、二人きりの時間が続く。薫さんはなんとか俺と話をしようと試みているようだった。でも、最近出会ったばかりの人と会話が続くはずもない。
「えっと、友也くんはなにか部活とかしてるの?」
「……いや、なにも。帰宅部。」
「そっか……じゃあ、好きな本とか漫画とかある?」
「別に。本読まないし。」
「そ、そう……あ、ゲーム!ゲームとかやる?やるんだったら僕も一緒にやりたいなって思うんだけど……!」
「一人でやりこむタイプのゲームしかやらない。対人系とかはよく知らない。」
「そ、そっかぁ……。……あ、そうだ!えっと、駅前にお肉屋さんがあって、そこのコロッケがおいしいんだよ!よかったら今度食べに行かない?」
「……別にいいよ。」
「……そ、そっか。」
こんな具合に、ぽつぽつと薫さんが俺に話しかけてくる、俺が素っ気なく返す、気まずい空気が流れる、の繰り返しだった。
多分薫さんは俺と仲良くなろうとしてくれてるんだと思う。こういう時は俺もちゃんと質問に答えたり、逆に俺の方から質問したりするべきだということは、わかってる。でも俺の過剰な警戒心が邪魔をする。こいつだっていつ豹変するか分からないだろ?そう簡単に心を許すな、また傷付くことになるに決まってる。……なんて声が聞こえてくる気がして、刺々しい態度で返すしかできない。一抹の申し訳なさが胸に巣食う。
大した成果のない問答が続くうちに、いつの間にか駅に到着していた。
「ねえ松樹くん!私見ちゃったんだけどさ、今朝松樹くんと一緒に歩いてたイケメン誰!?」
授業のグループワークの余り時間、同じ班の女子に食い気味に尋ねられた。確かに優しそうな顔立ちだとは思っていたが、どうやらあの人は、世間的に見ればイケメンに分類される人らしい。
「や、えっと、一応……兄。」
「あれ、松樹お前兄貴いたっけ?」
「いや、血は繋がってない。親が再婚して、それで兄ができただけ。」
事情を説明するのが面倒だから見られたくはなかったが、駅の近くかどこかで見られてしまっていたらしい。前と最寄り駅が変わった影響がこんな所に出るとは。
「家庭の事情ってやつか。でもいいと思うけどな、兄弟増えるの。私もお姉ちゃんいるけど、いてくれるとやっぱそこそこ楽しいよ。」
「あ、そういえばさぁ、もしかして灯花のお姉さんって透香先輩?……やっぱりそうだ!名字一緒だもんね。私美術部で部活一緒なんだ!あの人すごい絵上手だよねー。」
そのまま話は各々の部活の話に変わった。何も部活をしていない俺は話せることも無く、ただ聞き役に徹するしかできない。
学校という環境では、部活というコミュニティが生活の大部分を占める。だけど俺は、年上の同性が怖いという性質上、先輩と関わる必要のある部活動に参加しようとは思えなかった。だけど、他の所は知らないけど少なくともこの学校は、所属する部活動があることがクラス内でも話に入っていくのにほぼ必須な条件であり、部活動はとても大きな生徒の居場所だ。そういう意味では、マイナー部活に所属するやつなんかより俺みたいなやつの方がよっぽど異分子で、肩身の狭さすら感じている。この教室に友達と呼べるような奴はいない。俺を友達だと言う奴も多分いない。ギリギリクラスメイトと呼んでもらえるのが関の山だ。今の一連の会話だって、俺の身の上話はさっさと流されて話題がすり替わった。というか興味があったのはあくまで薫さんの方で、俺の家の事情なんて気に掛かってすらいないんだろう。別にムカつくことはないけど気分はよくない。まぁ、それも偏に俺が他人と積極的に関わろうとしなかったせいなのだが。元来の口下手に加えて態度もぶっきらぼうときたら、関わりたくないと思われるのは分かってる。もう少し人と関わるのが上手ければ、と思ったことは幾度かあった。というか現在進行形で思っている。困り事を相談できる人の一人二人作っておくべきだった。年上が怖いなんて悩み、とてもじゃないけど親しくもない他人に相談なんてできない。弱みを見せるみたいで嫌だ。急にこの問題に向き合わないといけなくなるなんて思ってもみなかった。……今朝、薫さん、気分悪くしたかな……。
そんな鬱屈とした気持ちを巡らせていたらいつの間にかグループワークの時間は終わっていて、教師が大して面白くない話をつらつらと喋っていた。誰にも気付かれないくらいの溜息をついてふと窓の方を見やれば、外はどんよりとして薄暗く、空に視線を向ければ曇天が広がっていた。
思うようにいかない日々がただ淡々と過ぎていく。薫さんは変わらず俺と交流しようとしてくれているけど、つい突っぱねてしまう。薫さんがちゃんといい人だって分かっているはずなのに、いじめられなんてしないって分かってるのに。最近は母さんにもそのことを指摘されるようになった。「相性の合う合わないがあるのかもしれないけど、あんなに邪険にすることないじゃない。もうちょっと薫くんと仲良くしたら?彼、いい子よ?」なんて、言われなくても俺が一番そう思ってるよ。薫さんが優しくていい人だなんて多分俺が一番身に染みて分かってる。毎朝の会話、帰ってきてから同じ空間で過ごす時間、色々なところから薫さんの俺への優しさが伝わってくるんだ。……全部俺のせいなんだ。薫さんに嫌な思いさせてるのも、母さんを不安にさせてるのも、全部弱さを克服できなかった俺のせい。罪悪感は日に日に膨れ上がって俺の心を蝕んでいく。でも、じゃあ、俺はどうすればいいんだろう。どうすれば誰にも迷惑を掛けないように……
「……くん、友也くん?どうしたの、ぼーっとしてたよ。大丈夫?」
意識が浮上する。ソファで俺の隣に座っている薫さんの声だった。そうだ、家に帰ってきてからソファで休んでて、そこに薫さんが話しかけてきて、……一応、会話してたんだった。薫さんは心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでいた。俺なりに頑張って薫さんと向き合おうとした結果、この人はよく眉を困ったような八の字にするということが最近分かった。今も例に漏れず眉はへにゃりと八の字に歪められている。
「っ……あ、ご、めん。ぼーっとして、た。」
ふと気づいて彼の顔が目の前にあったことに驚いてか、びくりと体が跳ねた。目の前の人は、あ、ごめんね、びっくりしたかな。なんて言っている。その時の申し訳なさそうな表情すら俺の罪悪感を刺激する。居心地が悪くなって、何とはなしに周りを見回せば、キッチンの方に母さんがいて俺たちのことを眺めていた。どうやら薫さんの言葉でこちらの方に意識を向けたようだった。
「うーん……でも、なんか調子悪そうだし、顔色あんまりよくないよ?……えっと、環境の変化で体調崩すことだって珍しくないし、我慢しちゃダメだよ?」
「いや、ほんとになんもないから。大丈夫。」
「本当?……ちょっとごめんね。」
薫さんの手が俺の顔に向かって伸びてくる。その瞬間俺の視界にあの男の拳がフラッシュバックして、意識が一瞬暗転して、気が付いたら俺はその手を、多分反射的に、叩き落していた。酷く長く感じられる一瞬だった。意識が戻って一番最初に視界に入ってきたのは、少し赤くなった手の甲を押さえて、理解が追い付かないとばかりに驚きの表情を浮かべている薫さんの姿。それを視認した途端、血の気がサッと引いていくのを感じた。やってしまった。きっと額に手を当てて熱がないか確認しようとしただけだったんだろう。それなのに俺は、手を叩いて、薫さんを傷つけて、しまった。
「ぇ、と、友也くん……?」
「……ぁ……っは、」
そのことを理解して、頭が真っ白になった。謝るべきなのに、乾ききった口からは荒い呼吸音しか出てこない。視界がぐらりと揺れる。パニックを起こした体は言うことを聞いてくれない。気づけば俺はソファから立ち上がっていて、足は震えていた。そのまま俺は、逃げるようにリビングを後にした。
「っ友也くん!?ねぇどうしたの、友也くん!?」
後ろから薫さんが俺を呼ぶ声が聞こえる。母さんも何か言っているような気がする。けれど俺の足は止まらず、そのまま自分の部屋に逃げ帰った。ドアを閉め、そのままへたりと座り込む。心臓が嫌な早鐘を打ち、汗がたらりと頬を伝った。
その後は気まずくて、何か言われるのが怖くて、再びリビングに向かうことはできなかった。次の朝も、薫さんが出発するより先に家を出た。何をしていても昨日のことが思い浮かんで集中できなかった。これまでのことも重なって、心が摩耗して疲労しつつあるのを確かに感じていた。
集中できずいつにも増してつまらないものに感じられる学校を終えて、いつもより格段にゆっくりとした歩調で家に帰ってきた。今日は金曜日で、薫さんはもう大学から帰ってきてるはずだから、ちゃんと薫さんに謝って、どうしてあんなことをしてしまったのかを説明して、一方的だろうけど仲直りしないといけないのに、どうしても気が重い。けれど、だからと言ってずっと玄関の前で立ち尽くしているわけにもいかない。恐る恐る、できる限りドアを音を立てないように開ける。そのまま靴を脱いで静かに廊下を歩いていく。リビングの方から声が聞こえてきた。聞こえる声は母さんと薫さんと彼の父親のもので、どうやら俺が帰ってきたのには気づいていないようだった。なんとなく、気づかれないように廊下からリビングを覗き見る。
目にした光景に、言葉を失った。そこにいた三人はただ和やかに談笑していた。ダイニングテーブルを囲んで、なんてことのない会話をしているようだった。ごくごくありふれた家族の日常でしかない。そのことがどうしようもなく俺の心を抉った。そう、この光景は完璧に完成された家族の理想形そのものなのだ。俺の母さんはいて、薫さんと父親もいて、俺だけがいない完璧な家族。瞬間、今までのことが思い出される。学校には友人の一人もおらず孤立して、新しい家族ともうまく関われず、あまつさえ傷つけてしまった。
もしかして、俺の居場所なんて存在しなくて、俺っていらない存在なんじゃないか?
その考えに至った瞬間、俺の中で何かが弾ける感覚があった。俺はゆっくりと廊下を引き返し、音もなく玄関へ向かった。そのままドアを開け、家を飛び出した。段々と歩く速度は速くなり、いつの間にか走っている状態になっていた。カラカラに乾いた喉が呼吸するたび焼けるように痛んでいく。冷えた心とは裏腹に体は徐々に熱を持っていく。それでも逃げ出したいという気持ちの方が勝り、足が止まることはない。
走る最中、ぽつりと水滴が顔に当たる感覚があったかと思えば、その粒は数を増し、バケツをひっくり返したような雨が降り始めた。火照った体にそれは鋭く突き刺さり溜まった熱を奪っていく。体も心もおかしくなってしまいそうだった。何度も足がもつれて転びかけ、今自分がどこに向かっているのかもわからない。いつの間にか目頭が熱い。今顔を伝っている水は雨なのか、それとも。
体が限界を迎えてかついに足を止めた。慣れない全力疾走を長時間続けたせいか脚はがくがくと震えていて、酸素を求める肺のせいで喉からは絶えず咳が出る。着ていた制服は大雨でぐしょぐしょに濡れて、容赦なく体から熱を奪っていった。どうにか呼吸を落ち着かせて周囲を見渡せば、そこは公園だった。その景色に見覚えを感じて記憶を辿れば、あぁそうだ、ここは、前住んでた隣町にある、昔よく母さんと遊んだ公園だ。……あの頃はなんのトラウマも無くて純粋に楽しかったっけ。
ふらつく足取りで、昔よりも随分と小さく感じる遊具を通り過ぎて、雨宿りと体を休めるために、公園の端に置かれた土管の中に潜り込む。冷えた体が心もかき乱していく。薄暗い土管の中で膝を抱えていると、世界から自分が爪はじきにされたような感覚を覚えた。……いや、爪はじきにされたんじゃない、自分のせいで独りぼっちになっただけだ。自分の弱さを克服しようともしないで、苦手だからって他人ともまともに関わろうともしなくて、ただいたずらに他者を傷つけるようなことをしていただけだ。誰のせいでもなく、俺が勝手に居場所を捨てていたんだ。
「……かっこわる。ただのガキじゃん、そんなの……。」
悲しくて、悔しくて、情けなくて、涙が溢れてくる。ずずっと鼻をすすって膝に顔をうずめた。濡れそぼって不快な服と髪から時折落ちる水滴の音が嫌で、外から聞こえる雨音が何故か怖くて、深く深く、気持ちは暗い方へと沈んでいった。
「……っ見つけたぁ。やっぱりここにいたんだね、友也くん。」
突然聞こえた声に思わず顔を上げる。土管の外には、傘を差した薫さんが立っていた。
「ぇ、か、おる、さん……?どうして、ここに」
「えーっと、その話もしてあげるから、まずはこれで体拭こう?風邪ひいちゃうよ。」
そう言って彼は、持っていたカバンの中から大きめのタオルを渡してきた。震える手でそれを受け取り、言われるままぎこちなく体を拭う。その間に彼は傘をたたんで土管に入り、俺の隣に座った。
「えっと、何から話そうかな……そうだね、いつもなら帰ってきてる時間に友也くん帰ってきてないから、どうしたんだろうって思って、玄関の方見てみたんだ。そしたら友也くんのスクールバッグだけが玄関に置いてあって。スマホもそこに入ったままだったから、ちょっとこれはまずいかもって思って。それで、綾子さん……えっと、友也くんのお母さんに、『小さい時よく行ってた場所はないか』って聞いたら、ここ教えてもらったんだ。だから、今僕はここに来てるんだ。予想あっててよかった……。」
「な、なんで俺が昔よく行った場所にいるって分かったの……?」
「うーん、ちょっと心当たりがあったというか……。」
薫さんは少し言い辛そうな、恥ずかしがるような表情を浮かべた後、
「昔、僕も同じようなことしたことあるんだ。僕の場合は、反抗期も混ざった家出未遂、みたいな。」
と言った。思わず目を見開く。今の薫さんからは、正直想像もつかないような行動だと思った。彼は少し恥ずかしがりながら話を続ける。
「大体……親父が離婚したときだったかなぁ。ちょうどその時僕反抗期真っ只中でさ。親の都合に振り回されるのは嫌だーって言って、勢いのまま家を飛び出しちゃって。とっさに思いついて、というか無意識に向かった場所が、よく家族三人で歩いた河川敷だったんだ。……んー、正直直感だったんだけど、友也くんも同じような感じじゃないかなーって思ったんだよね。」
「そう、だったんだ。……なんか意外。」
「あはは、そうかな。……それで、僕の時は親父が探しに来てくれて、そこで初めて色々溜めてたもの吐き出したんだ。」
そう言った後、彼は改めて俺の方に向き直った。そしてきわめて優しい声色で俺に語り掛ける。
「もしかしたら僕じゃ嫌なのかもしれないけど、どうしてここまで来たのか教えてもらえないかな。……これからも一緒に過ごす家族だからさ、君の助けになりたいんだよ。」
その言葉に、凍りかけた心がじわじわと溶かされていく。あぁ、この人なら、本当に心を許せるのかな。そう思った途端、一度止まったはずの涙が再びぽろぽろとこぼれ出して止まらなくなった。言葉を紡ごうとしようとするが、しゃくりあげてしまってうまく話せない。そんな俺を安心させるためか、薫さんは俺の方へとさらに近づいてきて、肩をくっつけつけてきた。びくりと体が震えるが、昨日のように体が勝手に拒絶することはなかった。ゆっくりでいいからね、と言ってくれる彼の体温が冷えた体に伝わってくる。促されるまま、俺は全部話した。昔一応家族だった人にいじめられてたこと、そのせいで年上の男の人が怖いこと、ずっとうまく人と関われなかったこと、自分の居場所があるように思えなかったこと、……ついさっき心が限界を迎えたこと。俺が話すこと全部、薫さんは笑ったりすることもなく、ただ静かに聞いてくれた。
「……ごめんね、話し辛かったでしょ。もしかして、お母さんにも話したことない?」
「……うん。心配、させたくなかったから……。」
「なら、なおのこと話しにくかったよね。無理に聞いちゃってごめん。……親を心配させたくないって、友也くんは優しいね。昔の僕とは大違いだ。」
そう言って彼はこちらに向かって手を伸ばしてきた。が、はっと何かに気付いたような表情を浮かべると、すぐにその手をひっこめた。今の話から俺に気を遣ってくれているんだろう。
「あ、えっと、やっぱり頭触られるのって怖い、よね。ごめん。」
「……大丈夫だから、気にしないで。」
「で、でも」
「大丈夫。……年上の人のこと、克服、したいから。……俺の方こそ、昨日、手叩いちゃって、ごめん。」
「友也くんが謝ることないよ。僕の方こそごめんね、事情も知らず踏み込んでいっちゃって。」
薫さんはそっと手を伸ばして、俺の頭を撫でた。とても優しい手だった。俺のことを肯定してくれているような、優しい手。
「………ねぇ、薫さん。俺の居場所って、あるのかな。」
「当たり前だよ。友也くん優しいから、学校でも誰かに感謝されてるんじゃないかなぁ。友達だってもっとできるよ。……というか、学校もそうだけどさ、まず第一に、日は浅いかもしれないけど、僕たちは家族なんだから。居場所がないわけないよ。誰かひとりだって欠けるべきじゃない。ちゃんとここに友也くんの居場所はあるよ。」
「……俺、薫さんとちゃんと家族に……兄弟になれるかな……。」
「なれるよ。……うーん、ちょっと違うかもしれないけど……夫婦って最初は他人同士でしょ?でも家族になることができる。きっと兄弟も同じだよ。それに僕たち、無意識かそれに近い状態でつい馴染み深い場所に行っちゃうってところ、似てるでしょ?なんだか兄弟っぽくない?」
「……そっか。」
そのまま二人で隣り合わせに座ったまま、雨が降り止むのを待った。さっきまで怖かった雨音も今は怖くない。今までの分を取り戻すように、なんてことのない、とりとめのない話をした。薫さんの高校時代の話、今プレイしてるゲームの話、好きな食べ物の話……。雨足は次第に弱まって、もう傘を差さなくても大丈夫だろうと判断して、土管を出た。雲の薄いところから夕日が滲んでいる。それが涙で腫れた目に染みた。まだふらつく覚束ない足取りの俺の手を握って、導くように薫さんが前を歩いていく。ふたりぶんの体温が混ざって、少しの安心感が体を包んだ。
薫さんが、少し前から俺の方に振り向き声を発する。
「ねぇ、駅前にお肉屋さんがあって、そこのコロッケがおいしいって話したよね?今から食べに行かない?」
「え、コロッケ……?今から?帰ったら夕飯でしょ……?」
「うん、今から。今日金曜日だからさ、ちょっとワルイことしちゃおうよ。」
そう言う彼はいたずらっ子の表情をしていた。初めて見る彼の一面がどうしてか面白くて、思わず吹き出してしまった。そのまま一つ頷けば彼は、じゃあ急がないと!お肉屋さん閉まっちゃう。と言って歩く速度を速めた。手を引かれるままついていく。アスファルトにできた水溜まりには二人分の影が映っていた。
目的の肉屋に辿り着いたときにはすっかり日が暮れていて、店も閉店する直前だった。薫さんが二人分のコロッケを買い、片方を俺の手に渡してきた。揚げられてからしばらくショーケースの中に放置されてしまったためにコロッケは少し冷めてしまっていて、揚げたての時ははザクザクしていたであろう衣は、水分を吸って心なしかしんなりしてしまっていた。まだほんのりと温かいそれに噛り付く。隣の彼は、揚げたてはもっとおいしいんだよ、次は揚げたてのタイミングを見計らって来よう、と言っていた。でも、薫さんがなんと言おうと、きっとこれが世界一おいしいコロッケだ。少なくとも俺にとっては。
雨ふりコロッケ 最中 @Monaka_bitter
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