第3話 長谷川藍 編 3

(里奈が涼と浮気なんてするわけないじゃない!)

 自宅に帰って来た藍は、陸に部屋着を着せてやりながら、穂乃果から言われたことを思い出していた。

(涼がホテルで女と会ってた日は、里奈は自宅で陸たちを見ててくれたんだもん!)

「ママ……」

 不穏な空気を感じ取った陸が、不安げな表情を浮かべていた。

 藍は「ごめんごめん。なんでもないよ」と頭を撫でてやる。やはり息子の髪の毛は心地いい。

 おかげでささくれたった気持ちがいくぶん心が落ち着く気がした。

(でも、都合良くお母さんが遊びに来るなんてことある? それなら事前に、里奈が話してくれるんじゃ……)

「ねえ、陸」

「なあに、ママ」

「里奈ちゃんのお家でさあ、雅紀くんのおばあちゃんと──」

「どうしたの? ママ」

 不思議そうにしている陸に微笑みかけると、藍はゆっくりとかぶりを振った。

「なんでもない。さっ、ご飯の支度しなきゃね」

 

       *

 テーブルについて待っていると、藍のスマートフォンにメッセージが届いた。

 それは涼からだった。矢継ぎ早に送られてくる。


《今晩、遅くなる》

《取引先の人がどうしても飲みたいって言うからさ》

《ほら、前に話した山田さんだよ》

《あの人、酔っ払うとしつこいから、なかなか帰してもらえないと思うんだ》

《まいるよ。でも、これも仕事のうちだから》


(聞いてもないことをツラツラと。これじゃ、『嘘をついてます』って言ってるようなものだよ)

 藍はそのメッセージを冷めた目で見ていたが、スマートフォンをテーブルに置くと、陸に向き直る。

「お腹空いたよね。先に食べちゃお」

「いいの?」

 涼が帰って来る前に食べていると、不機嫌になるから心配しているのだろう。

「いいのいいの。たぶん、これからもママと2人でご飯になるだろうから」

 不思議そうにしている陸に微笑みかけると、藍は「いただきます」とご飯を口に運ぶ。それに釣られるように、陸も食べ始めるのだった。

 その日、涼が帰って来たのは午前1時を回ったところだった。

 ドタドタと廊下を歩き、派手に音を鳴らしてドアは閉められた。

 藍は陸の部屋でそれを聞きながら、小馬鹿にしたように静かに笑うのだった。

(やっぱり陸の部屋に避難して来て良かった。あんな男と寝室を共にするなんて、考えただけでもゾッとする)

 しばらく時間を置いてから寝室を覗いてみる。

(私や陸のことを少しでも気にしてるなら、まだかわいげがあるんだけどね──)

 ベッドの真ん中で、涼は大の字になって寝ていた。ワイシャツのまま、着替えもしていない。呑気にイビキをかいているのだった。

「いいんだね。私たちがいなくなっても」

 そっとドアを閉めると、リビングに行く。

 いつものように背広の上着はソファの上に投げ出されていた。

(ハンガーにかけるって発想はないのよね。まあ、涼の部屋まで取りに行く手間が省けて助かるけど)

 背広の糸を解いていき、そこから薄い板状のモノを抜き出す。

 これは『片岡葉子』の会社で販売している、店長曰く「盗聴器」だ。

(店長も人が悪い)

 苦笑いを浮かべた。

 インターネットで検索してみたら「ボイスレコーダー」として売られていた。夫のイビキやモラハラなどに悩んでる人のために──となっていたのだった。

(ボイスレコーダーなんだから、盗聴器だなんて言ったらお友だちに怒られるんじゃないのかな)

 とは言っても、世の中には製造した者の意思に反して良からぬことに使用する輩がいる。

 そのため購入するには免許証などの身分証が必要だった。しかもシリアルナンバーが刻印されていため、誰が購入したかがつぶさにわかるようになっているわけだ。

(さすが美羽が憧れる人だ、抜かりはないね。それに──)

 改めてボイスレコーダーを見る。

(すごいよね。これで2、3日は充電なしで録音できるんだもん)

 薄くて小さいおかげで、背広のようなしっかりとした生地なら違和感はなかったはずだ。

 イヤホンを耳にはめて再生する。

 不思議とためらいもなければ、罪悪感もなかった。

 この時の藍には、もはや音楽を聴くのとなんら変わりはなかったのだった。


       *

 会社が休みのこの日。藍たちはファミレスに集まっていた。

 歩は深いため息をつく。

「そっか。やっぱり陸くんは何も言わないか」

「こうなったら──」

 美羽は娘の双葉を膝の上に乗せる。

「こら、双葉。お前、何か知ってるだろ。ママに言いなさい」

 くすぐると、キャッキャッと声を上げて笑う。

「ミワちゃんやめて!」

 抗議したのは歩の娘の千佳だ。

「わたしたち、オーちゃんと約束したんだもん!」

「オーちゃん?」

 と、首を傾げた藍だったが、すくに「ああ、陸のことか……」と納得した。

(千佳ちゃんって独特なんだよね。雅紀くんを「シュッポくん」。双葉ちゃんは「クリームちゃん」って呼ぶんだよね)

「千佳、約束って何?」

 歩が聞くと、千佳は小さな手を口に当てる。

「妖精さんが言っちゃダメって」

 それに続くように、里奈の息子の雅紀も声を上げる。

「僕たち絶対言わないから」

 美羽から逃れた双葉もアゴを引く。

「指切りしたもんね」

 子供たちは「そうだよね!」と声をそろえるのだった。

 藍たちは驚いて互いに視線を交わす。

 子供たちがこんなにも強い絆で結ばれていることが意外だったからだ。

 どうする? と3人が視線を向ける中、藍は「こうなったら、アレを確認するしかないね」と、陸の体を引き寄せる。

「ねえ、陸。前にママが渡したお守りのこと、覚えてる?」

「うん」

「あのね。お守りさんはポッケの中にいると窮屈だから、出してあげてもいいかな」

「いいよ」

「ありがとう。じゃ、ちょっとだけじっとしててね」

 藍はバッグから裁縫道具を出すと、丁寧に陸のズボンのポケットの糸を切っていく。生地の間から、涼の背広に仕込んでいたものと同じボイスレコーダーを取り出したのだった。

「あっ、それって」

 すかさず反応したのは美羽だった。

「何それ?」

「すごく薄いね」

 里奈と歩も驚いている。

「みんなイヤホン持ってるよね」

 それぞれがワイヤレスイヤホンを準備すると、藍はボイスレコーダーを再生した。

 全員が絶句する。

 時折、ノイズが入ると親友たちは、「さすがに音質は仕方がないね」と言っていた。

 だが、藍だけはその意味がわかっていた。

(陸がポケットに手をやったんだ。私がお守りだって言ったから……)

 藍は拳を握りしめる。

「許さない……」

 録音を聴き終えると、親友たちが寄り添ってくれた。

 ただ、美羽の様子がおかしかった。体を震わせ、怯えているようだった。が、この時の藍には、そのことを不審に思う余裕はなかった。


       *

 ピアノ教室に行くと、どうやら午後このレッスンが始まったばかりのようだった。

 藍を見つけると、穂乃果は形の良い眉毛を持ち上げる。

「あれ? 陸くんママ。今日は陸くんのレッスンの日じゃないですよね」

 藍は穂乃果に近付くと、そっと耳打ちをする。

「後で話があるから。終わったら待っててもらえますか」

 それだけ言って藍は教室を出る。駐車場に行く道すがら、やはりくしゃみが出た。


       *

 夕日が差し込んできたため、教室が赤く染まっている。そんな中で、藍は穂乃果と向き合っていた。

「あの……話があるというのは」

 恐る恐るといった感じの穂乃果に対して、藍は憮然とした表情のまま何も答えなかった。下手に口を開くと、つかみかかってしまうかもしれないと思ったからだ。

 重苦しい沈黙を破るように、教室のドアが開く。

「遅くなって申し訳ありません」

 入って来たのはピアノ教室のオーナーだった。

 ふくよかな中年女性で、とても人が良さそうな人だ。

「何か大切な話があるとか……」と不安げに眉根を寄せている。

「オーナーさん。わざわざすみません」

「お電話では『警察沙汰にするかも』とおしゃってたようなのですが……」

「そうなんです」

 藍は穂乃果をにらむ。

「こちらの穂乃果先生が、うちの主人と浮気をしてるんです」

 オーナーは口を開けて驚いている様子だ。

「ほ、穂乃果先生、それは本当ですか⁉︎」

 雇い主の前でバラされて、不倫女はさぞかし動揺するだろうと思っていたが、藍が思うよりもずっと神経が図太いらしい。

 穂乃果は困ったように眉尻を下げている。

「その件は、誤解だってお話したはずです」

(そう。あくまでもシラを切るつもりなのね)

 藍はバッグから例の保存用の袋を取り出して突きつける。

「とぼけても無駄よ。証拠があるんだから」

 例のストーンを見せるが、穂乃果は肩をすくめた。

「そんなの、どこにでも売ってますよ。なんならお店をお教えしますから──」

「だったらこれはどう?」

 今度はホテルから出て来るところを収めた動画を見せる。ショートカットの女が助手席に座っているのが映っていた。

 穂乃果はポニーテールの髪に触れ、「わたしはご覧の通りで……」と苦笑いを浮かべる。

「どちらかと言えばお友だちの中尾さんのように見え──」

「これ、ウィッグでしょ」

 座席で見つけた髪の毛を見せる。

「安物だからすぐにわかったわ」

 藍は蔑むように穂乃果を見る。

「不倫してるのを他の保護者に見られたら困るものね。だから変装してるんでしょ?」

「そ、そんな、酷いです……」

「あの──」

 オーナーがうつむく穂乃果の肩を抱く。

「本人は否定してるわけですし。やはり長谷川さんの勘違いでは……」

「これを聞いても同じことが言えますかね」

 続け様に涼の背広に仕込んでいたボイスレコーダーを再生する。


『ねえ、リョウちんのところのママさん、どうにかしてよ』

『どうしたのさ、ほのちゃん』

『この前、リョウちんとホテルに行ったじゃん。その時にネイルストーンを落としちゃったの』

『そうなの?』

『したらさあ。今日、教室に乗り込んで来たのよ。「これ、どこで買えますか」だって』

『そんなことで俺を呼び出したの?』

『だってぇ、絶対浮気に気がついてるよ。一応、相手は中尾って人にしといたけど』

『ちょっと待ってよ。それって俺の浮気は確定になってない?』

『だって浮気してるじゃん』

『まいったな……でもいいか。浮気がバレたところで、怒鳴ってやれば1発で黙るしな』

『大丈夫なの? 女って怒ると怖いんだよ』

『アイツはもう女をやめてるから』

『ひっどーい!』

『それよりさあ。せっかく仕事を切り上げて来たんだよ。ヨシヨシしてほちいなあ』

 その後も、聞くに絶えない涼の甘えた言葉が続く。


「これでもまだシラを切れる?」

 穂乃果はうつむいている。

 ボソッと何かを言ったようだった。

「何? よく聞こえないんだけど」

 おもむろに穂乃果は顔を上げる。そこにはもう藍の知る、可憐で清楚なピアノの先生の面影はなかった。

「うるせえよ、ババアが!」

 女性からこんなドスの効いた声が出るのかというくらいの迫力だった。

 肩を抱いていたオーナーは、驚いて穂乃果から飛び退く。

「言っとくけどなあ。初めて会った日に誘って来たのはそっちの旦那だからな」

 藍は陸が初めてピアノ教室に通うことになった時のことを思い出す。

(涼が帰り際に突然、『先生にもっと詳しい話を聞いて来る』って言い出したんだっけ)

 急にバカバカしくなって笑ってしまった。

(あの時に穂乃果を誘ったわけか。何が好みのタイプは里奈よ!)

 改めて藍は穂乃果を見る。

(この様子だと、関係を持った保護者は涼だけじゃなさそうね)

「そもそも不倫って犯罪かよ」

 へっ、と短く笑う。これも普段の穂乃果なら絶対にやらないことだ。

「お前らババアが、普段から旦那の相手をしてやってないのが悪いんだろうが!」

 藍は「そうですか」と冷ややかに返す。

 予想していた反応ではなかったからだろう。穂乃果は少し怯んだようだった。

「怒鳴れば黙ると思ってた? 残念でした」

「だ、旦那の相手をしてやってんだ。お礼を言ってもらいたいくらいだっつうの」

 藍はまたボイスレコーダーを再生をする。

「こちらは息子のズボンに縫い付けていた方よ」

 穂乃果の顔色が変わる。


『おい、陸。まさか先生とお前のパパがチューしてたこと、ママに話してないよね?』

『話してない……』

『本当か?』

「……」

『もしも話したらどうなるか、前に先生が言ったこと覚えてるか?』

 ガサガサとノイズが入る。陸がポケットのボイスレコーダーを握りしめた音だ。

『ママを殺しちゃうよ? それでもいいのか?』

『本当に言ってないもん! だからママを殺さないで!』

 オーナーは愕然としているが、それ以上に頬を引き攣らせているのは穂乃果だった。さすがにマズイと理解できたらしい。

「これって犯罪ですよね?」

 オーナーは滝のように流れる汗を拭うのに必死だ。

「私としては、他の保護者の前で騒ぎ立てても良かったんです。でも、それだとオーナーはお困りでしょ?」

 言わんとしていることが理解できたらしい。

「長谷川さん、配慮を感謝いたします」

 オーナーは穂乃果を見る。

「穂乃果先──梶さん。これはウチとしては看過できませんよ! こちらとしてこのまま雇用関係を続けるわけにはいきませんから!」

 青ざめる穂乃果に、藍は近付いていく。それに合わせて穂乃果は後退りして行くのだった。

「あなたは私の大切な息子を傷つけた。そして大事な親友も侮辱した! 絶対に許さないから!」

 壁際まで追い詰めると、藍は満面の笑みを浮かべてやった。

「また、後日連絡を差し上げますね。ただし、次は弁護士を通じてですけど」

 それだけ言うと、藍は向きを変えて出て行く。

 建物を出たところで気がついた。

「くしゃみ、出なかったな」


       *

「ママ!」

 駐車場に向かうと、陸が駆け寄って来る。その後ろには親友とその子供たちが見守ってくれていた。

 胸の中に飛び込んで来た陸を、力一杯に抱きしめる。

「ママのことを守るために、いっぱい我慢してくれてたんだね。ありがとう」

「ママ、大丈夫? 死んじゃわない?」

「うん。大丈夫! だってママは『ブラックマン』より強いんだから」

 ブラックマンとは、戦隊ヒーローレインボーマンオーガの敵役のことだ。

 力こぶを作って見せると、陸は「うん!」と笑顔を見せてくれた。

「やっと笑らってくれたね。ママ、陸の笑顔が一番好きだよ!」

 藍はそう言ってまた最愛の息子を抱きしめるのだった。

「次は旦那の方だね」

 里奈の言葉に、美羽と歩も「だね」と同調する。

 藍は陸を抱っこして立ち上がる。

「うん。そっちも、きっちりとカタを付けてくる」


       *

 自宅のリビングのドアが開くと、涼はかすかに「ヒエッ」と悲鳴をあげた。

 電気もつけず、藍がソファに座って待っていたからだ。

 怯えた姿を誤魔化すためか、眉間に皺を寄せた。

「チッ!」と例の音を鳴らす。

「さっさと寝てりゃあいいものを。これで明日寝坊して、朝メシ作らないなんて言ったら許さないからな」

「関係ないから」

「はあ?」

「私が寝坊しても、あなたには関係ないって言ったの」

 藍はテーブルの上に離婚届を置く。

「今、この場でサインして」

 涼は一瞬怯んだ様子だったが、すぐに怒りの表情に変わる。

「何言ってんの、お前」

「穂乃果が不倫を認めたわ」

「だ、だから?」

 ヘラヘラと笑みを浮かべている。強がっているつもりなのだろうが、体は正直だ。額には汗が浮かんでいるのだった。

(今までは全部飲み込んきた。丸く収まるなら、その方がいいと思っていたから)

 藍は立ち上がる。

(もう、我慢なんてしない!)

「家政婦のように扱われるのは嫌なの。偉そうにされるのも。大きな声や、大きな足音も物音も。それから陸に辛く当たるのも全部嫌! だから別れて」

「勝手なことを言うな!」

 涼はドタドタと足音を鳴らして近づいて来る。威嚇しているつもりなのだろう。

「こっちはお前のようななんの取り柄もない女と、可愛げのないガキのために毎日毎日働いてるんだぞ! う、浮気ぐらいでガタガタ言うな!」

 藍は笑みを浮かべた。

(どこまでバカ男なんだろう)

「ありがとう。これでまた、離婚の材料が増えたわ」

 ボイスレコーダーを見せる。

「今のは立派なモラハラってやつよね? パワハラだったかしら? どっちでも一緒か」

「い、いつの間にそんなものを……」

 涼は明らかに怯えている。それでもまだファイティングポーズを取る気力はあるようだった。

「そ、そんなに別れたいなら、離婚してやるよ。言っとくが、お前だけの稼ぎで暮らしていけると思ってんのか」

 藍はGPSの記録を見せる。

「それはこっちの台詞よ」

「なっ⁉︎」

「頻繁にあの子と会ってたのよね。勤務中に抜け出して、ホテルに行ってる時もあるみたいじゃない」

「だ、だからなんだよ……。う、浮気なんて男の甲斐性ってもんだろ……」

「へえ。動じないんだ」

「あ、当たり前だろ。俺は一家の大黒柱だぞ。こんなことで動じるものか……」

「じゃ、あなたの会社の上司にこれを聞かせてもいいのね?」

「えっ……」

「『勤務中に女と会ってます』って報告するわよ。それでも今のような態度でいられるのかしら。ねえ、大黒柱さん」

「そ、それは……」

「クビになったら大変ね。あっ、上司はクビにする口実ができて喜ぶかしら? だってあなたの会社は今、不景気で社用車を減らしてるくらいだもんね」

 この脅しはかなり効いたらしい。ためらっていたが、やがてその場に両膝をつくのだった。

「ど、どうか許してください……もう二度、浮気はしないから……」

 藍は涼を真似て「チッ!」と言ってやった。

「男ってものは、簡単に謝ったら駄目じゃなかったかしら」

 涼は口籠る。

「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」

 何かを言いたげのようだったが、すでに戦意はなく、涼は色をなくした唇を震わせているだけだった。

 藍は涼の顔の前に離婚届を突きつける。

「いいからコレにサインして! 今すぐ! 慰謝料はもちろん、財産もきっちり貰いますから!」

 涼はまた悲鳴を上げると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


       *

「──と、いうわけなの」

 藍はファミレスで事の顛末を報告し終えたところだった。

 話の中で親友たちにもっとも好評だったのは、涼が土下座をして許しを請うた場面だった。

 さんざん笑った後、歩が顎に手を当てる。

「まっ、亭主関白気取ってる男ほど、実は肝っ玉が小さいものよね」

 美羽と里奈もそれに続く。

「同意」

「だね」

 すると美羽は少し気まずそうに里奈を見た。

「この前はごめん」

「ん?」

「藍のこと、他人だと思ってんだろ──的なことを言っただろ」

 美羽は頭を下げる。

「あれはナシにしてください。今回のことで、誰よりも藍のことを思ってたのは姉御だってわかった」

「ん? そんなことあったっけ?」

「さすが姉御。どこまでも付いて行きやす!」

「だから姉御はやめてって」

 また藍たちは笑うのだった。ひとしきり盛り上がった後、「あっ、そうだ!」と、藍は手を叩く。

「これも報告しとかなきゃ! あのね──」

 声を落とすと、親友たちにすかさず顔を近づけて来る。やはりこのあたりは息がピッタリだ。

 藍が言い終えると、3人は「えええっ!」と体を仰け反らせた。

「人って見た目じゃわからないものだね」

「激しく同意。清楚系の女子が、まさかな」

「藍の元ご主人の会社まで乗り込むなんてね。これはさすがの私も予想外だわ」

 藍は両肘を抱いて、大げさに体を震わせた。

「『この男に襲われた! 慰謝料払え!』だって。怖っ!」

 涼の職場に乗り込んで来た穂乃果は、結局警備員に連れ去られたらしい。これは藍の弁護士から聞いたものだ。

(その後の職場の雰囲気は、涼にとって最悪だっただろうな)

 女性社員たちからは、凍りつくような冷たい視線を向けられていたことだろう。

 これも弁護士から聞いたことだが、次の人事では関連の子会社へ左遷されるのでは、と社内ではもっぱらの噂になってるそうだ。

「それについて、藍はどう思ってるわけ?」

 里奈だけでなく、美羽と歩も興味津々といった様子だ。

「いい気味、かな」

 また4人は大笑いする。ここ数日のモヤモヤがすべて吹き飛んでいく気がした。

(やっぱり親友たちとのママ友会は最高!)

「ところでさ」と歩。

「相手の女にはなんて言ったの?」

「え?」

「教えろよ。減るもんじゃあるまいし──里奈も知りたいだろ?」

「別に、あんま興味ないかな」

 歩と美羽が口を揃えて「嘘だね!」と騒いでいるが、里奈は意に介す様子はない。

「それより私が藍に聞きたいのはさ」

「何?」

「旦那の浮気相手。本当に私だとは思わなかったわけ?」

「当たり前じゃない。1ミリも疑ってないよ」

「本当に⁉︎」

「里奈が私を悲しませるわけないもん」

 これは本心だ。

(陸に聞けば、里奈のお母さんが来てたかどうかは、すぐにわかるんだけどね)

 藍は里奈に抱きつく。

「な、何よ、藍。ビックリするじゃん」

「いいの。ハグさせて」

(でも、そんなことをする必要なんてない。仮にお母さんが来たのが嘘だったとしても、それは私のためだったんだもん!)

「ちょっと2人で何やってのよ」

「アタシたちも混ぜろ!」

 結局、4人で抱き合うことになった。子供たちはそれを不思議そうに見ているのだった。

 親友たちとの絆を確認し合った後、

「そうだ! 私からも大事な報告があるんだった!」

 と、里奈は藍たちを引き剥がす。

「『シタ女』の代わりに来た、新しいピアノの先生のことなんだけどさ」

 シタ女とはもちろん穂乃果のことだ。代わりの先生が来たわけだが──

 里奈は美羽と歩に目配せをすると、すでにお馴染みの顔を突き合わせる体勢を取る。

「なんとこれが音大出の国宝級イケメンなの。竹内洋介と柴原将吾を足した感じなんだから!」

 美羽と歩は目を見開く。

「おいおい、藍。独身なのをいいことに、若い男と楽しいことになるんじゃないだろうな」

「そんなの許さないよ! 洋介は私のモノなんだからね!」

 苦笑いを浮かべるしかなかった。

「もう懲りたよ。しばらく男はいらないもん」

「嘘⁉︎ 新しい恋はナシ⁉︎」

「洋介に迫られても⁉︎」

「里奈と歩に同意。怪しいもんだ」

 盛り上がる3人を尻目に、藍はしみじみと陸を見る。

 子供たちは夢中でご飯を食べているのだった。

「陸は私みたく、親友たちに囲まれてたんだね」

 何気につぶやいた言葉だったが、親友たちはそれに反応する。

「まさか雅紀がねえ」

「あの千佳がねえ」

「うちの双葉がねえ」

「陸がみんなに相談してたなんてねえ」

「誰かに話すと藍が殺されるからって、誰にも話さないなんて──雅紀、偉い!」

「千佳も偉い!」

「双葉も偉い!」

 それぞれが自分の子供を抱きしめて、頬擦りをする。

 子供たちは少し、迷惑そうだった。


      * * *

 荻野目歩は、親友の長谷川藍からのメッセージを見て微笑む。

《今日、歩の会社の防犯カメラのチェックに行くからね!》

 『ヨロシク!』とキメ顔をしたポメラニアンのスタンプが添付されている。

(藍って『シンママ』になってから、キャラ変したっぽいかも)

 そんなことを考えていたら、

「ちょっといい?」

 と、声をかけられる。

 振り返ると、夫の和義だった。

 いかにも人当たりが良さそうな、柔和な表情を浮かべている。

「話があるんだけど、ちょっといい?」

 それだけ言うと、さっさと歩き出す。歩は慌ててその後について行く。

 そして誰もいない会議室にまで連れて行かれると、ドアを閉めた和義の表情が歪む。

「お前、ナメてんの?」

 怯えた表情の歩は、胸の前でスマートフォンを握りしめるのだった……。


         (荻野目歩 編に続く)

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