第8話 ハンカチの刺繍は間違いのないフラグですよね?


 窓にノックをすると、セレスティナがカーテンを開けた。


 そこには上品な白いネグリジェに包まれたセレスティナの姿があった。


 ごくりと唾を飲み込む。


 透き通るような白い肌、解かれたブロンドの美しい髪、そして驚きに見開かれる宝石のような緑の瞳、そして就寝前という無防備な姿。


 もはや小さな砂糖菓子のように儚く、甘い誘惑そのものに見えた。


 これは感情を抑制するのが非常に困難な局面である。


 目を泳がせてはいけないと、必死に彼女の瞳に合わせ眼球を固定した。


 彼女は窓を開け、戸惑いの表情を浮かべながらバルコニーへと出てくる。


「アークレイ様……このような夜更けにどうされたのですか?」


 驚きと、わずかな警戒の色を瞳に浮かべたセレスティナが私を見上げた。その声は、寝間着姿のせいか、いつもより幾分か幼く聞こえる。


「いや、君がどうしているかと思って……」


 苦し過ぎる言い訳。やはり令嬢の私室をバルコニーから訪れるなど、一人の男としてあり得ない行動だったのだ。


 その事実が、私の愚かさを激しく責め立てる。


 警戒を浮かべる彼女の視線に耐えきれなくなり、持ってきた花束を彼女に差し出した。


「ありがとうございます……?」


 そう答えながら受け取った彼女の表情は、喜びより困惑の方が大きく見えた。

 いや、困惑どころか迷惑そうな顔をしている。


 何故だ?!?!

 花を贈って迷惑がられるなんて事はこれまで一度もなかったぞ?!


「……今から花瓶を用意していただけるでしょうか」


「あっ……」


 失敗に失敗を重ねた。

 花が枯れないようにする為には水をやらなくてはいけない。

 

 ということは、彼女は連れてきた侍女や別邸に配置した我が家の使用人をこの時間に呼びつけなくてはいけないのだ。


 たかが花のために、この時間に人を呼びつけるのは客人である彼女にとって気が引けるだろう。

 

「……後で届けさせる」


 帰りに別邸の使用人を私が呼び出すしかなかった。そして彼女の部屋に花瓶と水を届けてもらう。


 そんな間抜けな話があるかと思ったが、もう渡してしまった花束を取り消すことはできないので仕方がない。


 せめて、別邸に籠る理由だけでも明らかにしなくては。

 

 このままでは無様な敗残兵のように城へ戻る事になる。それだけは避けたかった。


「……不自由はないか?」


「はい。おかげさまで皆様よくしてくださいますから」


 彼女は形式的な微笑みを浮かべてそう答えた。


 じゃあ何故別邸に籠っているのか。

 そんな責めるような問いはかけられない。


 私は敢えて少しおどけるように微笑んでみせた。


「姿を見かけなかったが、シャーロットとどのように過ごしていたんだ?」


 この問いがこの場における最適解と信じ彼女に質問をぶつけた。すると彼女は困ったように眉を下げ、部屋に視線を巡らせる。


 その視線は、窓辺にあるテーブルの上に向かった。

 そこには、裁縫用具が入った箱と白いハンカチが置いてある。


 まさか。


 ハンカチに刺繍を?!?!?!


 王宮主催の狩猟大会が少し先に控えている。

 その狩猟大会までに、令嬢たちは秘めた想いを白いハンカチに刺繍して意中の男性に贈るという慣習がある。


 その想いを男性側が受け取ると、狩猟大会の衣装の胸には、その刺繍された白いハンカチが飾られる。


 それは想い合う相手がいることを全貴族達に示すということに他ならない。


 胸が脈打った。

 これは贈られる男性が見るべきものではない。


 しかしセレスティナは気にしていないのか、一度部屋に戻るとテーブルに広げた白いハンカチの中から一枚を抜き取ってこちらへと戻ってきた。


「アークレイ様は男性としてこの刺繍をどうお思いになられますか?」


 彼女の手の中にある白いハンカチには、歪で決して上手いとはいえない刺繍が施されていた。


 全てが完璧な淑女に見えるセレスティナに、刺繍という不得意があることは意外だった。


 しかし安心してほしい。

 私は全く気にしない。


「そこに想いがあれば嬉しいという感想しか浮かばないな」


 この答えは正解のはずだった。

 それなのに、セレスティナは私に悲しそうな視線を向けている。


「……上手くないということですね?」


「いや、そんなことはない!この葉の形なんてとても上手くできていると思うぞ?!」


「それは小鳥ですわ……」


 セレスティナは悲しげに視線を伏せ「わたくしも何度も刺しましたのになかなか上手くできなくて」とため息を吐いた。


「アークレイ様、正直なご感想ありがとうございました。わたくしもう少し考えてみます。それではまた明日、楽しみにしていますね」


 そう言って彼女は立ち尽くす私をバルコニーに残して部屋に戻って行った。


 失敗した。

 間違いなく失敗した。

 私は無様な敗残兵だ。


 手渡されるのを待つのではなく、素直に『欲しい』と言うべきだったのだ。

 

 明日までもう時間は幾ばくもない。


 ハンカチに再度刺繍を施すとしても、間に合うとは到底思えなかった。


「そんな……」


 私はその場で膝を折り、固く閉じられた窓と月明かりすら遮る厚いカーテンを見ることしかできなかった。


 


 

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