第3話 君の名前は?
最後に食事をしたのっていつだろう。
リエルはぼんやりと思い返す。最後に食べたのは……確か、ゴミ箱の中に入っていた、所々カビが生えていたパンだっけ。
それから、スラム街から出て当てもなくぶらついて、倒れて。気づけば彼の家に連れて来られて、こうしてベッドに横たわっている。
あまりにも食べなかったせいで、全身に力が入らない。
そして、ジンが作ったビーフシチューとパンが今、ベッドの横にあるテーブルに置かれていた。
「………」
変な人。
食事も、会話もしないでずっと布団の中にいる自分のどこが良かったのか、彼はずっと食事を置いて行ってくれた。
メニューも変わって、空腹のせいかすべてが美味しそうに見える。そんな料理をリエルは、何度も手を付けずにいた。
しかし、彼は食べろとも言わなかったし、料理を食べさせようともしていなかった。
食事の時間になったら部屋に訪れて、何も言わずにテーブルの上に料理を置く。それから当たり前のように、部屋を出る。
本当に、信じられないくらい変な人。
……しかし、ジンが少なくとも悪い人間のようには感じられなかった。
「……っ」
このままだと、本当に死にそうだから。でも、死ぬのは怖いから。
リエルは素手でパンを取って、端っこをビーフシチューに付けて。手をぶるぶる震わせながら。
一口だけ、それを口の中に入れてみた。
「……!」
まろやかなシチューの味と、カビの生えていないパンが混ざり合って、温もりに繋がる。
このまま食べ続けるのはいけない気がして、パンを再び皿の上に置いたけど。
でも、味は確かな優しさが滲んでいた。
「……変な人」
彼には、男たちが自分を見る時に滲ませる好奇心とか、欲情がなかった。そもそも、瞳に籠っている感情が薄すぎる気がする。
無愛想と表現できるほど淡々としているのに、微かな温もりをしっかり宿しているから困る。リエルはこういう類の人を見たことがなかった。
……たぶんだけど、彼が自分に害を及ぼすことはないと、リエルは感じた。
だからこそ、彼女はベッドから起き上がる。
「…………」
深夜、ジンは約束があって家を空けると言っていた。
リエルからしてみれば、これはこの家から逃げ出せる最後のチャンスだった。
この家が嫌いなわけじゃない。料理も美味しい。だけど、ここにいてはいけないと彼女は思った。
『本当、嫌な娘ね。あなたさえ生まれて来なければ、母親があんなに殴られることもなかったのに』
自分は疫病神だから。母を死に追いやった……不幸をもたらす存在だから。
起き上がった途端に足がふらつく。睡眠だけはちゃんと取っているから、辛うじて体を動かすことはできた。
彼女は頭を抱えながら外へ出て、一回だけ木製の家を見返す。それから、数秒くらい立ちすくんでから。
……彼女は、無理やり足を動かした。
「どこに行けばいいんだろう……」
分からない。行く先なんて、目的なんて何もないまま生きてきたから。
一層のこと、潔く死ぬことができれば。ぼんやりとそう思いながら、リエルは動く。
冬の冷たい風に苛まれながらも、足は自然と自分が元いたスラム街に向かっていた。
歩くのがやっとで、すぐにでも倒れそうなほど全身に気力がなかった。一口のパンが与えてくれる力なんてちっぽけなものだから。
何時間くらい歩いたんだろう。遠くから店の灯りが見える。お酒の匂いが段々と濃くなる。
「………」
彼女は、人々の目に映らないように路地裏に入って、前のようにゴミ箱を漁り始めた。
しかし、10分も経たずに。
「ううん~~?おいおい、あそこに女の子がいるけど!!」
「本当かよ……あれ?」
……厄介な冒険者二人に見つかって、リエルの背筋がゾッとする。
目に映るのは肥満体の男と、いかにもごろつきのような印象の男。
「いや~~可愛いな。君、何歳?」
「ていうか、孤児か?もったいねぇな~~まあ、この顔なら絶対に高く売れるだろう」
「なぁ、なんで何も答えないんだよ?聞いてるだろが!?」
配慮の欠片のない暴力的な言葉。鼻をつまみたくなるような、お酒の匂い。
リエルは反射的に後ずさって、いやいやと首を振る。
逃げなきゃと思うものの、体が動いてくれそうにない。圧倒的な恐怖と無力感が、小さな少女を支配する。
「大丈夫だって!うらちは別にヤバい人じゃないからよ。俺、ついこの間Bランクに上り詰めたやり手の冒険者なんだ!おまけに、この街の地下組織の幹部でもある!」
「そうだぞ~?お嬢さん、付いてきなよ。どうせろくに食ってもいねぇだろ?うちらについて来れば、毎日美味しいご飯が食べられるぞ~?」
男たちの声に、リエルは益々絶望する。
嫌だ、嫌だ。この男たちについて行くくらいなら、ここで死んだ方がマシだ。
でも、死ぬのは怖い。生きたくはないけど、死にたくもない。どうすればいいの?私、私は……。
あぁ、こんなことになるんだったら、本当に生まれて来なければよかったのに……。
「ほ~~ら。そう怖がらずによ――――ぐはっ!?」
しかし、リエルがポロポロと泣き出し始めた、次の瞬間。
リエルに手を差し伸べた肥満体型の男が、勢いよく蹴り飛ばされて壁に打ち込まれる。
たった一瞬で起きた出来事に、隣にいた男も口をポカンとしてしまう。そして、彼は待たなかった。
「な、なにが起き―――くへえっ!?ぐあぁああ!!!」
ガラの悪い男はすぐさま頭を掴まれて、そのまま顔ごと壁に打ちつけられてしまう。
当然、男の
頭を離すと、男はそのまま崩れ落ちる。壁は見事に窪んでいた。
そして、リエルは見た。
たった一瞬で男たちを制圧し、自分の目の前に立っているジンが。
「………ぁ」
「こんばんは」
「きっさまぁああああああ!!」
リエルが目の前の状況に唖然としていると、鼻骨が割れた男の声が響く。
「くたばれ、てめぇええええ!!!」
次に見えたのは、剣を抜いてオーラを纏わせる男の姿。
危ない―――その言葉を発するも前に、ジンはサッと体を横にずらした後に。
「なっ―――くぁあああ!!」
素手で刀身を握りしめて、そのまま男の肩に刺し込んだ。
それから湧き上がる、藍色の魔力。
「ぐ、ぁああ……?きやああああああっ!!!」
凄絶な悲鳴が轟き渡る。
にもかかわらず、ジンは表情一つ変えずに魔力を注入し続けて、膝から崩れ落ちる男を見つめた。
その瞳には背筋がゾッとするほどの冷酷さが宿っていた。ジンは低い声で言う。
「知ってるか?肉体に魔力を無限に注入したら、体内の魔力回路がぐちゃぐちゃになるんだ」
「け、けへっ……!ぐえぇっ……」
「お前はもう魔力を使えない。モンスターの餌になりたくないなら、冒険者はやめた方がいいぞ」
口から血と唾液を垂らし続けた男は、挙句の果てに気絶する。
静まり返った路地裏の中では、ジンとリエルだけが残っていた。
リエルは呆然と、ジンを見上げる。
「………」
「……醜い光景を見せてしまったね。ごめん」
意味が分からない。どうしてこの人は謝るのだろう。
もちろん、怖いけど……本当に怖いけど、助けてくれたというのに。
「……ジン、さん」
「うん」
「私は……私は」
どうすればいいのか、リエルは分からなかった。
感情が溢れ出して、伝えなるべき言葉はいっぱいあるのに、喉に引っかかって言葉にはならない。
息苦しささえ感じられるほど、少女の中には得体の知れない感情が渦巻いていた。
「初めて名前を呼んでくれたね」
「……え?」
「君の名前は?」
ジンは膝を折って、とんび座りになっているリエルの目線に合わせる。
「いくらスラム出身でも、名前はあるだろう?」
名前があるのは当たり前のことだった。ただ、リエルは自分の名前が嫌いだった。
しかし、気が付けばリエルは自然と、己の名前を口にしていた。
「……リエル」
「リエル、か」
「はい……リエル・エルティケ」
そして、その返事を聞いたジンは純粋な笑みを浮かべる。
「綺麗な名前だね」
目の前にあるその笑顔を見て、リエルは。
この光景を永遠に忘れないだろうと感じて、また一滴涙を流した。
============
お読みいただきありがとうございます!
面白いと思ってくださったのなら、★評価とフォロー頂けると嬉しいです!モチベーションに繋がります😇
それでは皆様、本日もよい一日を!ありがとうございます!🙇♂️🙇♂️
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます