図書室の「好き」は聞こえない
神田 双月
図書室の「好き」は聞こえない
昼休みの図書室は、静まり返っていた。
窓際の長テーブルに差し込む光が、埃をキラキラと照らしている。
僕――宮坂颯真は、参考書を開きながら、こっそりと視線を前の席に送った。
……いた。
いつもの場所。
いつもの姿勢。
髪をひとつにまとめ、読みかけの文庫本に目を落とす――図書委員の天音凛。
クラスでもあまり目立たないけれど、僕の中ではとっくに“特別な存在”になっている女の子だ。
この図書室に通うようになったのも、勉強のためなんかじゃない。
彼女に、ただ会いたいから。
「……また見てる」
「うわっ!」
耳元で声がして、思わず肩が跳ねた。
振り返ると、悪友の拓海がニヤニヤ顔で立っていた。
「お前、まじでバレバレだからな。凛ちゃんへの視線」
「しっ、しーっ!声がでかい!」
「いや、声出してるのお前な」
図書室の管理人さんがこっちをちらっと睨んでくる。
慌てて口を押さえる僕を見て、拓海は肩をすくめた。
「いい加減、話しかければいいのに。半年も眺めてるだけとかストーカーかよ」
「ちがっ……ただ、タイミングがなくて……」
「タイミングとかじゃねえよ。つくるんだよ、バカ」
そのとき、前の席でページを閉じる小さな音がした。
凛が本を閉じ、鞄を手に立ち上がる。昼休みの終わりが近い。
――行け。今だ。
頭の中の小さな自分が、背中を押した。
でも、足が動かない。
「……チキン」
拓海がぼそっと呟いた。
「うるさい」
凛は静かに図書室を出ていった。
今日も、また何もできなかった。
***
翌日の昼休み。
同じ図書室。同じ席。同じ光景。
でも、今日は違う。
僕は心に決めてきたのだ――今日こそ話しかける、と。
机の下の手が、汗ばんでいる。
(深呼吸……落ち着け……)
凛がページをめくる音が心地よいBGMのように響く。
その音に紛れるように、僕は小さな声を出した。
「あ、あのさ!」
「……?」
凛が顔を上げた。
大きな瞳が、まっすぐ僕を見つめている。
やばい、思ったより緊張する……!
「えっと、その……毎日、ここで読書してるよね……」
「うん」
声は控えめ。でも、きちんと僕の言葉を受け止めてくれている。
なんだこの心臓の音。ドクドクうるさい。
「えっと……好きな本、なに?」
「好きな本?」
「う、うん! 俺も最近、読書、してみようかなーって……!」
半分は本当。半分は口から出まかせ。
でも、これが僕の精一杯の“話しかける勇気”だ。
凛はしばらく考えるように目を伏せ、そして小さく笑った。
「ミステリーとか、好きだよ」
「ミ、ミステリー!いいよね!俺も好き!」
(いや、そんなに読んだことないけど!)
「おすすめあるけど……貸そうか?」
「え、いいの!?」
「……うん。どうせ読む人いないし」
ほんの少し、彼女の頬が赤くなった気がした。
その仕草が、まっすぐ心に刺さる。
その日、僕は彼女から一冊の本を借りた。
タイトルは覚えている――心臓がバクバクして、何度も表紙を見たから。
***
三日後。
僕はその本を読破していた。
ミステリーなんて読んだことなかったけど、意外とおもしろかった。
というより、彼女が好きな本だから、自然とページが進んだ。
昼休み、再び図書室へ。
凛はいつもの席に座っていた。
「……あの、本、読んだよ」
「えっ……本当に?」
彼女の目が、ぱっと輝いた。
初めて見る表情だった。こんな顔、するんだ。
「どうだった?」
「めっちゃ面白かった!犯人、途中で分かんなかったし……!」
「ふふ、それがいいところ」
凛が、嬉しそうに目を細めた。
その笑顔は、本の表紙よりもずっと鮮やかだった。
「……あの、もしよかったら、また貸してもいい?」
「えっ、いいの?」
「うん。次は、ちょっとロマンチックなの。推理小説じゃなくて」
ロマンチック。
その言葉が、やけに甘く胸に残った。
***
一週間後。
本を返すたびに、話す時間は少しずつ増えた。
気づけば彼女と図書室で一緒に過ごすことが、僕の日課になっていた。
そんなある日――
「……ねえ」
凛が、本を閉じて、僕の方を見た。
真っ直ぐな目。その瞳の奥に、いつもより少しだけ強い光がある。
「颯真くんって、さ」
「え、うん?」
「……なんで、図書室に来るようになったの?」
心臓がドクンと跳ねた。
ついに聞かれた。いつか聞かれると思ってた。
本当の理由――“君に会いたかったから”。
でも、そんなの、言えるわけがない。
「えっと……静かだから、かな」
「……ふうん」
凛は少しだけ笑った。
でも、その笑顔は、どこかさびしそうだった。
(あれ……?なんでそんな顔……)
「……私ね」
凛は本を抱きしめながら、小さな声で続けた。
「ずっと、一人でここにいるのが好きだったの。静かだし、安心するし。でも……颯真くんが来るようになってから、少しだけ、変わった」
「変わった……?」
「うん。静かなのも好きだけど……一緒にいるのも、好きだなって」
顔が一気に熱くなった。
図書室なのに、心臓の音がうるさくて、本のページをめくる音が遠く感じる。
「……あのさ」
気づいたら、僕は立ち上がっていた。
凛も驚いたように目を見開く。
「俺も……凛といる時間、好きだよ」
凛の頬が、一瞬で赤くなった。
「……っ、急に言わないで」
「ご、ごめん!」
「……でも、嬉しい」
その言葉が、静かな図書室にふわりと溶けた。
放課後の鐘が鳴る。
僕と凛は、一緒に図書室を出た。
ほんの数歩の距離が、いつもより近く感じた。
――彼女と過ごす、静かな時間が好きだ。
そして、もう少しだけ、その「好き」を大きな声で伝えられるようになりたい。
図書室の「好き」は聞こえない 神田 双月 @mantistakesawa
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