第15話 ラーシュカ


 休みが明けて学校でラーシュカに会うと、彼女ひどく沈んだ顔してるのよ。

「こないだはありがとう」

 って言ってもよこを向いちゃってなま返事しかしないし、おしゃべりの輪にも入ってこないでひとり考えこんでるの。だからふたりっきりになったときにラーシュカの手を握って言ったわ。

「ラーシュカ、あんた今日へんよ。なにがあったの? 私にも言えないことなの?」

 そしたら急にかのじょの両目から涙があふれてきて、しくしくと泣きだすのよ。この子はふだんは明るく強気にしゃべるのに、泣くときだけはなぜだか大声で泣くってことができない子だったわねえ。そうして私が両手をはなさないものだから涙を拭くこともできないその顔を、私の肩に押しつけた。

「さあいい子だから、悩みがあるんなら言ってしまいなさい」

 もうあやしてあげるしかしようがないわよね。ラーシュカは私に体をあずけてひとしきり私の服を濡らしたすえ、やっと落ち着いたら話しだした。

「パパが、もうポーリャと遊んじゃいけないって言うの……それに、ポーリャを学校から追い出すって……ごめんなさいポーリャ、こんなことになるなんて」

 最初は、ラーシュカがなにを言っているのか理解できなかったわ。べそをかきながらとぎれとぎれに話すラーシュカのお話は要領を得ないし、だいたいそのパパの言い分ってのがてんでばかげていて私の理解を超えていたから。

 どうやら伯爵は私の言動や、カフカとイリスの振る舞いまで観察して、愛娘にふさわしい友人かどうかを吟味していたみたい。で、不適格って判決が下されたってわけ。ラーシュカの話ではなにも分からないから私からも問いただしてようやく理解したところでは、不適格の烙印を捺された理由はみっつ。

 まず、私に有力なうしろ盾がいないこと。父親は名ものこさずに死んだ陸軍大尉、母もすでに死んでいて、のこった唯一の親族が異国の血筋の商人じゃあ、伯爵家とお付き合いするに価しないんだって。

 つぎに、私の信仰心がうすいこと。伯爵は私の話しぶりから神様を敬う気持ちが足りないと感じていたらしくって、それが夕食のお祈りで確信になっちゃったみたい。

 みっつめの理由は、カフカとイリス。伯爵曰く、貴族の血筋と言ってはいるがあやしいもんだ、見たかあの娘の様子を、使用人との接し方もわきまえておらんとはまったく教育がなっとらんではないか。だいたいあの叔父はなんだ、あれはまるで神への冒涜ではないか。男のように振る舞っていたがあれはけっして男なぞではないぞ。かといって女でもない。齢もはっきりしない、どんな血が流れているものやら。それとおなじ血があの娘にも流れているだと? いかんいかん、そんな娘がうちのラーシェンカに近寄るなど断じて許さん! そう言ってからだをぶるっとふるわせ、十字を切ったそうよ。


 冗談でしょってはじめは思ったけど、最後の話を聞いてさすがに私おこったわ。うその家系が伯爵様のお気に入ろうが入るまいがどうでもいいし、私のお行儀がわるいのも何と言ってくれてもいいけど、カフカとイリスをくさすのは許せない。私のいちばん大切なものを汚されたのよ。

 あんまり頭に来たからうっかりラーシュカを慰めるのも忘れて飛び出してってしまったわ。せまい学校内でどこに行こうって当てがあるはずもなかったけど、とにかく走るほかに怒りの持ってき場所がなかった。

 教室の扉を力まかせに開けると、突然のおおきな音にびっくりして振りかえる級友たちには目もくれずにかばんを取るなり学校を飛びだして、そのまま家に帰ってしまった。帰りみち灰色にくもった町をにらみながら、泣くもんか、と思ったわ。いつも私が幸せに過ごせるようにと目をとどかせてくれるイリスがあの日いっそうはりきって準備してたのを思い出すとくちびるがふるえたけど、ぐっと上を向いてこらえた。


 つぎの日はイリスが一緒に学校に謝りに行ってくれたの。私が無断で帰ってしまったものだから先生は最初かんかんだったけど、イリスがうまくとりなしてくれて、たっぷりの宿題を週末仕上げる条件でゆるしてもらえた。先生のあとについて教室に向かう私のうしろから、

「ラーシュカともうまくいくといいわね」

 ってイリスがささやくから、私も低声こごえで答えたわ。

「うん。ありがと」

「カフカには内緒よ」

「うん内緒」

 私が返事するのを聞いて、イリスは私の額にキスすると、私を先生にあずけて帰っていった。

 私はもう怒っていなかった。あの日ずいぶんはやく学校から帰った私に、イリスはおどろいて事情をたずねたけれど、私の話を聞くと私の頬を両手でつつんで言ったのよ。

「私たちのために怒ってくれたのね。やさしい子。でも私もカフカも平気よ、ほかの人にどう思われたって。ポーリャさえ分かってくれてればそれでいいわ」

 イリスの言葉を聞いて私の怒りはとけてったの。でも、さいわいその日は出かけていて私の早退を知らなかったカフカにはこのことは黙っていようとふたりで決めた。私がそんな思いをしたと知ればカフカはかなしむだろうから。

 教室の扉を開けたら、ラーシュカが教室のまんなかの机にひとり座っているのが目に入った。彼女はもう私たちの友情はおわってしまったのだと思いこんですっかり悄気てたわ。これからどうなるだろう……って級友たちがやきもきしているのも見てとれた。だからみんなが固唾かたずを飲んで見まもるなかでラーシュカのとこまで歩んでって言う羽目になったわよ。

 彼女の肩に手を置いて、できるだけ明るい笑顔で、

「心配しないでラーシュカ、お父さんが何と言ったってあんたは私の友だちよ。さあ元気出して、きのう習ったところを教えてよ」って。

 ラーシュカはぱっと顔を上げたわ。私とまともに目も合わせられなかったのが今はもう見つめちゃって目をはなさないの。その目にまた涙が浮かんでぼろぼろこぼれるもんだからたいへんだった。

「ばかねえ」ってしばらく頭をなでてやんなきゃならなかったわ。

 そう言うと、ポーリャはナランツェツェの頭をなでた。



 山にのこる雪もまばらになり、冬からつづいた家畜の出産ラッシュが落ち着きを見せると草原はいよいよ本格的に春を迎える。春のおとずれとともに草原の長たる大可汗カガンから発せられた動員の指令に、各地の諸部族はわきかえっていた。

 女たちは鎧兜のしたくをし、男たちは刀剣・弓矢を磨きなおした。ナランツェツェの父も族長として連日ゲルをまわり、戦場につれていく戦士を指名していった。その中にはナランツェツェの兄ジュチはもちろん入っている。そして、この戦で初陣をむかえる者としてタトバルの名が挙がっていた。

 戦の準備と並行して、冬営地の草原では今年三歳になる若馬の選別と去勢が行われていた。広い草原に放牧される馬は半野生化して、人を乗せたことのない馬も多い。そのなかから目ぼしい若馬をえらんで乗りこなしていくのだが、まだ去勢されていない若馬は気性が荒いうえ、はじめて人間を乗せることにおびえて抵抗するので、骨の折れる作業になる。

 この〝春のじゃじゃ馬馴らし〟は若衆たちが仕切るのがきまりで、見物にあつまる娘たちへ腕っぷしを披露する年中行事ともなっている。若衆のリーダーは二年前からナランツェツェの長兄ビルゲがその任にあった。兄とはいっても母を異にしていて、ナランツェツェにとってはすぐ上の兄ジュチほどに近しい存在ではない。親しく声かけ合うこともすくない、どちらかというとむしろ敬遠ぎみにしてしまう兄だ。

 そのビルゲはまず自身がお手本としてみごとな腕前で半野生の若馬を乗りこなして娘たちの黄いろい歓声を浴びたあと、今年初陣をむかえる少年たちに自分の馬をえらぶ優先権を与えた。戦場で命をあずける相棒をここで見つけ出せるように。

 とはいえ経験が浅くまだ身体も完成していない少年たちには、じゃじゃ馬馴らしは荷の重い仕事だ。少年たちがためらい顔を見あわせるなか、タトバルがまっさきに名のりを上げた。


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