第六章 白狐、運命 (カイ)


 正直、彼女が怖かった。あの眼差し、毛並み、八重歯……全てが私にとってはものすごく眩しくて直視できずにいた。

 リンさんは結構、何者なのだろうか。救世主でもあるだろうし、返って地獄に叩き落とされるのかもしれない。私は地上の光景を何も憶えていないのだから、私には彼女が恐ろしく見えてしまうのだ。

 だが、感じるのだ。きっとこの人はユナと同じ存在、なのかもしれない、ということを。

 私は彼女のことを信じていたい――と心の底から思う。


 地上からどうやって出るのか……。実は、私はもうその方法を見つけていた。

 地下には三つの層がある。私が今いるのは、地上から一番近い「地下上層区域」である。ここは住居区域であり、地下に住んでいる大半の住居がある。ここは比較的安全な場所であり、暴動などは滅多に起きない。

 この層の次にあるのが「地下中層区域」だ。先程の層とは違って、中層は繁華街のような地下の中心部となっている。ここには人が沢山集まって、暴動も起きやすい区域。なので私はなるべくそこには行かないようにしている。

 そして一番下にある層が「地下下層区域」である。地下の中で最も貧困な区域であり、人は滅多に立ち寄らないスラム街である。ライフラインが完全に崩壊しており、水、光、食糧の配給なども届いていない。言わば「地獄」である。

 それで、地上に出るためには、「地下下層区域」のエレベーターからしか出れなくて、出るにはそこへ行かなくてはならない。

 リンさんは大丈夫なのだろうか……。この脱出方法を受け入れてくれるだろうか。しかし、地下から出るにはその方法しかない。必ず通らなくてはいけない道なのだ。彼女もきっと覚悟はしている。


 あの後、リンさんと私は一旦部屋に戻ることにした。

「カイくんはさ、ユナちゃんのことをどう思ってたの?」

 親しい口調に驚きながらも、私は答えた。

「……今は何とも言えませんが、当時は唯一の私の理解者でした。貴女と同じような感じでしたよ」

「そうなんだ……。じゃあ、わたしは? ちょっと気になってきちゃったなぁ」

 彼女は前のめりになりがら、期待した目でこちらを見た。

「色々とツンデレですね、貴女は。最初に出会った時とは全然印象が違いますよ」

「え、そんなにコロコロ変わるかな……」

「まぁ、目の前にいますからね」

 私はちょっと彼女を面白がった。彼女は期待していた答えとは違ったそうで、少しムスッとしていた。たぶんそういうところだと思う。

 普段より一段と豪華な昼食を食べ終えた後に、私は地上のことについて聞いた。

「リンさんの住んでいる地上はどういった所なんですか?」

「わたしが住んでるのは郊外なんだよな……。だから、すっごい静か。だけど中心部の地下歩道にはすごい人の数がいるよ。地上は大して多くないけど。

 きっと、地下の方が何かと便利なんだろうね……。わたしにはよく分からないけどね」

 私は少し不思議に思った。地上の方が快適ではないのだろうか……。

「何故、地上は不便なのですか?」

 不便という言い方もおかしいが、彼女は真面目な顔をして答えた。

「地上は最近、暮らしにくくなってるの。冬が寒いのは札幌では当たり前だったけど、夏もだんだん暑くなってきてる。だから、快適な地下歩道をみんな通っているんだと思う。

 なんだかみたいな話だね」

 彼女の言葉は皮肉にも、そして警告のようにも聞こえた。私は続けて質問をした。

「ここの地下と地上の地下歩道、どちらの方が恐ろしいですか?」

「もしかしたら、地下歩道のほうがよっぽどおかしいかもね。……おかしくない。そのくらい怖く感じちゃうんだよ、わたしは」

 リンさんは真っ直ぐに私のほうを見つめながら呟いた。まるで私に助けを求めているように。

 私は今まで、地上で暮らしたいと夢見ていたけど、現実は日の当たらない地下歩道で移動をしているだなんて……。みたいではないか。

 私は彼女に慰めの言葉をかけた。

「ここよりかは幾分かですよ。それに、リンさんは少なくとも地上を好いているではないですか。充分に良い環境だと思えます」

 私は地上を見たことも感じたこともないが、少なくとも私の希望であるのだ。それだけは分かる。

 彼女は恐る恐る私を見て喋り出した。

「わたし、地上の人が怖い。わたしから見たら明らかに異常なことを、表情ひとつも変えずに平気で過ごしている。私にとっては、ものすごく生きづらいのに、それが当たり前のように言っている……。心地よい居場所なんか、ここぐらいしかないような気がしてきたな」

 ……人。確かに私は今まで人付き合いはあまりしてこなかったが、彼女たちにとっては、ものすごく重要で大変なことだ。嫌になるのも分かるかもしれない。

 私は立ち上がって漏れ出ている光を見ながら話した。

「私は地上に出たいです。……大変なこともあるでしょう。でも、日の光を浴びながら幸せに過ごすことは長年の夢でした。だから……私は貴女と一緒なら、どんなことでも乗り越えられると信じています」

 私は彼女と向かい合いながら訴えかけた。思い切った発言だった。

 彼女は微笑んで私の手首を掴んだ。

「必ず、ここから出よう。


 私は今、運命の分岐点にいるのかもしれない。まさかこんな転機が訪れることとは思っても見なかった。

 けれど、必然なことだ。私にとって地下から出ることは、ユナと夢見ていたことだから――。

 

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