第五章 光芒、回想 (リン)


 地下に落ちた時は終わりかと思ったけど、下にクッションとなる物があって良かった……。何とか骨折せずに済んだのは奇跡的だ。

 助けてくれてくれた彼には、あんな暴言とも取れる言葉をぶつけてしまい申し訳なかった。それなのに彼――いや、カイさんはその言葉を受け入れて、わたしに手を差し伸べてくれた……。それはカイさんの優しさ、或いは悲しみから来たものだろうな、とすぐに分かる。わたしから言えることではないかもしれないけど、カイさんは過去に何かを失ったような雰囲気(?)を微かに感じたのだ。絶対に何かあったでしょうな、と最初から察せるくらいに。


 わたしはベッドから起き上がって、薄暗い寝室を眺めてみた。もう目が覚めているということは、地上では日が昇り始めているところだろう。たが、ここは本当に朝も、昼も、夜も……ずっと暗闇なのだ。だからここに来てから、不思議で不気味にずっと感じていた。

 今いる部屋も昨日の夜と全く同じだ。この空間では時間が進んでいるのか、不安だった。壁に掛けてある時計に目をやると、六時を差していた。どうやら時は止まっていないようだ。ただ視覚的に認識ができないだけで、暗闇の中でも刻一刻と時は流れている。……何とも陰湿だった。

 わたしが意味もなく突っ立っているところに、カイさんが部屋の扉から顔を覗き込ませて話しかけられた。

「もう起きてたんですね。……なにか心配事でもあったのですか?」

「いや、わたしは普段このぐらいの時間帯に起きているので。別に気にしないでください」

 わたしは思いっきり嘘をついてしまった。この空間に慣れなくて、どうしても目が覚めてしまっただけだから、別になんともないとは思う。しかしカイさんは、その状況を既に察していたようだった。

「この部屋、暗すぎて眠れませんでしたよね……。体調は崩さないで欲しいです。まだ、病み上がりな筈なので」

 あっさりとわたしの痩せ我慢が見破られてしまい、心配されてしまった。わたしは言い訳でもするかのように彼を口説こうとした。

「あの、マジで大丈夫なので、気になさらずに。大体、貴方が心配することではないし、わたしの責任です。……とりあえず、わたしは大丈夫ですから」

 朝っぱらからこんな言い訳ばっかしている自分が情けなかった。第一にわたしは性格は明るい方で、人にはあまり心配されないから、カイさんには申し訳ないけど、大体は大丈夫なのだ。

 カイさんは昨日と同じように、わたしに微笑みかけながら言った。

「それなら良かったです。……あぁ、すっかり忘れてたんですけど、着替え持ってきてます? 服装が昨日のままですけど」

「あ……。どうしよ、何も持ってきてない」

「……よければ貸しますけど。あ、これは完全に私のおせっかいですから、嫌だったら別にいいですよ。そのままで」

 他人の服を借りることには、抵抗はないけど……異性となるとどうしても気にしてしまう。しかし、他に着る物はないし、昨日から着ている服をそのまま着続けるわけにもいかない。ここは意を決して借りることを決意した。

「借りさせてください。何でもいいのでとりあえず着る物があれば大丈夫だと思います……」

 そして彼から服を借りた。明らかにオスが着る物っぽいが、意外とサイズは合っていて良かった(いやらしいことはあまり言うつもりはないけど、彼の服を着た時に、微かに彼の良い匂いが残っていて、ちょっとドキドキした……。いや、昨日の時点でも彼に近づいた時、同じ匂いがしていたような気がする……)。

 わたしは着替え終わった後、寝室から出て、リビングに向かおうとした。

 カイさんは外に出たらしく、少しばかりの静寂に包まれていた。一体何処へ出掛けたのだろうか……。どうしても気になったので、わたしも外に出てみることにした。


 外は昨日と変わらず、薄暗い雰囲気だった。だが、微かに地上の光が天井から漏れ出ていて、頭上に光が差していた。

 周りを見渡してみると、目の前にあるベンチにカイさんが静かに座っていた。俯いていて、どこか悲しそうな気がした。わたしは彼の元へと足を運んだ。

 彼の元へ駆け寄ると、わたしに気付いたようで、俯いた顔をスッと上げて、またにこやかに微笑みながらわたしを見た。

「リンさん、着たんですね。あ、置いてけぼりにしてすいません。……ちょっと貴女について考えてたんです」

「どうかしたんですか?」

「いや、どうってこともないですけど、昔のことを思い出していたんです。……貴女には話していませんでしたね。聴きたいですか?」

 やっぱり何か隠していたんだ、この人は。最初から気づいてたけど、いざ聞くとなると、どういうことがあったのか気になるものだ。わたしは正直に彼の話を聞くことした。

「聞きたい。貴方に何があったのか」

「ありがとうございます。真摯に向き合って聞いてくれたら嬉しいです。じゃあ、早速あの人について話そうと思います。

 私は遠い昔から、ここにいたのだと記憶しています。たぶん、地上にはいたのだとは思うのですが、あまり記憶にはありません。

 その昔に出会ったのが、ユナという三毛猫のメス獣人。後に亡くなってしまいましたが、私のかつての親友でした。

 彼女は私のことを引っ張ってくれるような性格でした。私とは違って、いつも元気でそこら中では名が知られていました。私はというと、母を亡くしてからずっと引きこもりでしたから……」

 彼にはかつての親友がいたのか……。で、母も彼女も亡くしている。それでずっと孤独だったのか……。わたしは彼に質問をした。

「あの、質問なんですけど。お母さんがいたってことは、一緒に地下に来たってことなの?」

「おそらくそういうことでしょう。私は何も覚えていませんがね……」

 彼は話を再開した。

「で、ユナのことですけど、彼女も地下で母親を亡くしています。私の母とおなじ病気でなくなりました。当時の私には何も分かりませんでしたが。


 私が十五のとき、事件は起こりました。その日、ユナは地上に出たいと言い始めました。私はまだ地上に出ることの怖さを知らなかったので、快く承諾してしまいました。

 実際に私も地上の景色を見てみたかったのです。そして、彼女にもその景色を見て欲しかったのです。なので私も同伴して、地上を見てみることにしたのです。それが、重大な問題だと知らずに」

 地上に出ること……。それほど危険だなんて、じゃあわたしはどうやってここから出ればいいのだろう……。わたしは気になって彼に訊いた。

「じゃあ、地下に一度入ったら、もう地下には出られないってこと? わたしはもう戻れないの?」

「……どうでしょうか。あの事件から何か変わったのか、私には知る由もありません。なので、そういうことなんでしょう……」

 わたしは思わず黙ってしまった。だが、彼は気にせず話を続けた。

「私は地上に出る出口などあまり知りませんでした。しかし、ユナが見つけたというのです。私はそれが出口だと信じて、そこにいってみようと提案しました。

 その場所に着くと、今まで感じたことのない眩い光に包まれました。私はすぐにそれが地上の光だと気づき、ユナに伝えようとしました。だが、もう遅かったのです。気づく余地もありませんでした。

 ユナが先に出口へと走っていってしまったのです。私は必死に追いかけました……。そして、光の中から鈍い銃声音が聞こえました。撃たれたんです。……私の足元には、赤黒い血が流れてきて、靴に滲みました。

 言わなくても分かると思いますが、即死でした。頭を撃たれたらしかったです。

 私は怖くて近づけませんでした。ユナには申し訳なかったですが、泣きながら必死に引き返して、大人に知らせました。

 大人たちは、近づいてはいけない場所だと気づいていたようです。私はその後、責任を問われてものすごく責められました。ただ、ユナの元へは誰もいけませんでした。……今になってもユナの姿を見ていません。


 これが、私が経験した全てですかね。後のことは憶えていません。ただそのことだけです」

 彼は涙目になりながら、全てを話し切った。ただ、淡々と。

 わたしもここまで悲惨なことがあったことは思わなかった。彼はこのことを背負って生きているかと思うと、わたしは申し訳なく思ってしまった。

 わたしはカイさんに声をかけた。

「そんなことが……。わたしがこんなこと貴方から聞いてしまっていいんですか? きっと話すのも辛いのに」

「大丈夫ですよ。いつも覚悟を持って考えていたんですから。……逆に聞いてくれて、少し楽になったかも知れません」

 彼は答え終わると、光が漏れている天井を見上げた。きっと、あの人のことを思って――。


 わたしは決心して立ち上がって、カイさんの手を取った。

「……もう一度、地上の光を一緒に見ましょう! このままだと、ユナさんに申し訳ないですよ。わたしも地上に戻りたいです。覚悟はしています!」

 カイさんは驚いたように目を見開いた。そして、少ししてから、彼はゆっくりと頷いた。光芒が差す、温もりの中で。

 

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