第一部
第一章 噂、決意 (リン)
その日はいつもより空が眩しかった。木々から滲み出る西日が、わたしの横を鬱陶しく照らし、教室の床を密かに影はまとわりついた。
ついにわたしは怒りの頂点に達し、豚獣人のクラスメイトをぶった。そいつはぶたれた後、わたしに訴えかけるように睨みつけ、わたしを殴りにかかった。
「ふざけんじゃねぇよ! このメス狐!」
周りは動転とし、野次馬と化したクラスメイトたちは動けないでいたが、間一髪。友人で犬獣人のユイカが、負けじと拳を受け止めてくれた。ユイカは力強く彼に怒鳴った。
「うちの子に手出すんじゃないよ! アンタはまだ
ユイカは彼の手を振り払おうとしたが、まだ懲りていなかったようで、今度は彼女にも襲いかかってきた。
「そいつらは地下に行こうとして、地下の奴らと鉢合わせしたんだぞ。
彼は激昂し、わたしがぶったはずなのに、怒りの矛先はユイカに向けられていた。それでも、ユイカは対抗した。
「噂なんて信じるもんじゃないよ。どうせデマにきまってんだろ? 女の子になすりつけるなんて最低かよ!」
何故、こういう事態になってしまったのか。それは根も葉もない噂から始まった。
数日前からだいぶその噂が出回ってはいたが、公には問題視されていなかった。それが露わになったのが、今回の件だった。
「噂」とは何のこと指すのか、それは地下に関係する。「地下に住んでいる獣人のことを知ってしまうと、クラス全員が退学処分させられ、地下に放り込まれる処置を取られる」というもの。この噂に対して、「わたしはこのことについて触れない方がいいな」と直感的に感じていた。
しかし、その噂を確かめるべく、クラスメイトの数人が肝試し程度で、地下に繋がると言われる施設へ足を運んだらしい。そして本当に人影のようなものを見てしまった、というのが昨日の話。
そして今日、地下で見てしまったという情報が出回ると、クラスが動揺し始めた。
そんで、あの豚野郎がわたしに「お前が地下で見たことにして、お前だけ地下に放り込まれろ」と笑いながら言ってきたので、わたしは思わずぶってしまい、こんなことになってしまった。
その後も、そいつとユイカの取っ組み合いはエスカレートしていき、ついに先生まで呼び出される事態となった。
「何をしているんだ君たちは! 今すぐ生徒指導に来なさい!」
先生の怒号を聞いたユイカはやっと正気を取り戻したようで、わたしの引き攣った顔を見て、自分がしたことの重大性を悟ったようだった。わたしは何も言えずに、ただその場で突っ立っていたそうだ。
結局、わたしたちは生徒指導室に連れて行かれて、長時間に及ぶお説教をくらった。しかし、その中で先生が言った言葉が妙に何かを誤魔化そうとしている様に聞こえて、説教が終わった後もわたしの頭の中で引っかかっていた。
そのことを帰り道でユイカにわたしは打ち明かした。
「ねぇ、ユイカ。さっき先生がいっていたさ、『あそこはあなたたちが行くところではない。
わたしが唐突に訊いたせいか、彼女は少し驚いた様子だった。そして薄暗くなった空を見上げながら、彼女は答えた。
「少なくとも私たちが知ることじゃないよ。……そう言えば、リンはなんであいつのことぶったの?」
わたしは不気味に点滅する街灯の下で面と向かい合い、静かに口を開いた。
「……なんかムカついてさ。気づいたらあいつの頬、ぶってた。わたしも悪いとは思ってるんだけどさ、あいつの顔ときたらさ……。クソ喰らえと思って」
そこまで冗談はいっていないつもりだったけど、ユイカが突然吹き出したので、「え、どうしたの? わたしなんか言った?」と尋ねると、笑いながら涙を浮かべ、苦し紛れに言った。
「いや、真面目な顔して、『クソ喰らえ!』なんて言われても、笑い堪えきれないっつーの!」
「……口、悪かったかな? これでもわたしは平常運転だけど?」
わたしは誇らしげに胸に手を添えた。
「いやいや。あいつ結構リンに怒ってたけど。多分明日学校行ったら、ボコボコにやられるよ。……大丈夫そう?」
急に真面目な口調で話したので、相当わたしの身の危険を心配していたのだろう。けどわたしは自信満々に答える。
「大丈夫よ。殴られるにしても、抵抗はできる。わたし、強いから!」
「はぁ……。これだからリンは私に世話焼かれるのよ。分かってんの」
もうユイカはわたしの無駄とも言える自信に呆れたようで、思わず頭を抱えていた。
「……で、話戻るけど。地下の獣人の姿を見たら、クラスごと地下に放り込まれるって噂、本当だと思うの?」
ユイカは不信感を抱きながら、わたしに訊いた。わたしは顎を撫でるようにして熟考したのち、答えた。
「……もしかしたら、あいつの言っていることは本当なのかも。先生もそれを匂わせる様なこと言ってたし」
「あんまり、あの言葉を信用しちゃいけない気が……。いや、そのこと自体に私達は
ユイカは地面の蟻を睨むような形相で、わたしに顔を向けた。
確かに、先生もこのことについて、あまり触れたくなさそうだったし、地下のことについて、わたし達はなんの知ったこっちゃない。ユイカが話すことは理にかなっている気もするが……。でも、やっぱり気になる。
「……わたし、明日地下に行って、真実を確かめに行ってくる。やっぱり、見過ごしはできない」
わたしの言葉にユイカは面食らったのか、表情が固まっていた。そして、ゆっくりと口を開く。
「リン……。そこまで本気なのか? ……私ですら、地下なんて怖くて近づくことすらできないのに……」
ユイカは少しの沈黙の後、覚悟するかの様に、わたしに呼びかけた。
「……明日は休んで、その真実について突き詰めてきな。私は、リンが休んだ言い訳を考えることしか出来ないけど」
「分かった。行ってくる」
わたしはついに決意を固めた。ユイカに後押しされる形にはなったが、わたしにしてはカッコよかったと思う。
いつの間にか空には月が浮かび、わたし達には優しい光が降り注いでいた。わたしは、ユイカとの別れを惜しむかの様に、ずっと手を握り合っていた。
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