第4.5話

蝦草えびくささんは誰よりも静かに仕事をする人だ。

余計な言葉を嫌い、常に冷静で、ミスをしない。

研究者として、そういうところを僕はを尊敬していた。


この業界では、倫理や予算の都合で中途半端な研究しかできない者が多い。

だが蝦草えびくささんは妥協を知らない。


「結果を出すためなら、時間を惜しまない」――彼女の口癖だった。


蝦草えびくささんの実験はいつも夜遅くに行われていた。

彼女が帰ったあと、顕微鏡の焦点が微妙にずれていたり、未記録のサンプル瓶が片隅に増えていたりすることがたまにあった。

だが、蝦草えびくささんとはいえミスをすることはあるだろうし、それを咎める気にはならなかった。


データ整理のために蝦草さんの端末にアクセス権を借りたことがあった。

そのときに「local_archive」というフォルダがあたらしく作られていた。

共有サーバではなく、暗号化された個人ローカル。

中には旧帝時代の医療文書や軍の資料、そして──


「第三野戦病院 診療記録」


封鎖指定のフォーマットで正式な研究資料でもない。

閲覧権限があるはずがない。


だが、資料の一部に妙な既視感を覚えた。

資料一覧の一番下、微かに見える行。


"衛生兵/被験者名:蝦草ヤエコ(えびくさやえこ)"


偶然だろうか?

軽い気持ちで開いてしまった。


画面が一瞬、暗転した。

次に映ったのは、滲んだ手書きのスキャン。

「再生試験」「血液反応」「耐久性」

どの実験も、現代医学では考えられない内容だった。


頁を進めるたびに、背中が冷たくなっていく。

身体的特徴が一致している。

血液型、体格、瞳の色、傷跡の位置……

手書きの観察記録に、見覚えのある筆跡も混じっていた。

蝦草えびくささんが会議メモで使う独特の筆圧。


そして欄外には、薄くこう記されていた。

「被験者は異常な回復を示す。痛覚は残存」


思考が揺れた。

何かが頭の奥で弾けた。

蝦草えびくささんが、これを知っている? いや、まさか。

それとも、これは彼女の──






― 医務室記録(202█/5/21) ―


佐々木研究員は研究棟の廊下で倒れていたのを蝦草研究員が発見し,医務室まで運ばれた.

蝦草研究員から「倒れたらしい。手当は済んでいる」との報告があった.


医師によると,彼は強い精神ショックを受けており,睡眠薬と点滴で様子を見るしかないとのこと.


翌朝,彼は目を覚ましたが,瞳の焦点が合わず,混乱した様子であった.

医師は「一時的なストレス反応」と診断した.






― 監視映像記録 医務室 (202█/5/22) ―

映像開始時刻:07:23:22


蝦草えびくさ研究員が医務室に入ってくる.


「佐々木くん、調子はどう?」


「……あんたの…せいだ。俺は見た……」


「何の話?」


「あんたの名を………あの記録に…」


「な…に?」


「再生医療、不死兵計画」


「えっ?」


「再生個体、永久活動組織……」


「何を言ってるの……?」


「組織不滅因子、神授の肉、細胞時間停止試料、不変遺伝領域、祝福された腐肉、内的自己修復反応、山の胎、祟血、永劫代謝異常、再生閾値超過体、遺伝的安定偏差体、終わらぬ器、生体循環封鎖現象、神経終端の再帰化、血液恒常化現象、贖罪の肉塊、不老型再生個体」


佐々木研究員はそれから意味不明な言葉を呟く.

蝦草えびくさ研究員との会話は成立せず,しばらくすると彼は意識を失う.

蝦草研究員がナースコールを押す.


映像終了時刻:07:31:45






― 監視映像記録 研究棟3階・実験室B(202█/5/24) ―


23:41:22 佐々木研究員,実験机の前で立っている.不審な動きなし.

23:42:10 突然嘔吐.血液反応あり.

23:42:55 実験用ガラスを割り,腕を切りはじめる

23:43:08 床に崩れ落ちる.

23:43:08 身体が激しく痙攣する.

23:43:29 身体が弓なりに反り,静止.


映像終了時刻:23:45:02





― 内部報告書(抜粋)―


件名:研究員S死亡事故について

日付:202█年05月██日


概要:

S研究員(男性・34歳)が23時45分頃.実験室Bにて自傷行為により失血死.

現場の監視映像に異常はなく,第三者の介入も確認されず.


詳細:

(以下略)


結論:

精神錯乱による事故死と判断.

関係者の再調査は不要とする.


◻︎◻︎◻︎


蝦草えびくさは、報告書を最後まで読んだ。

眉一つ動かさず、ただ静かにモニターを閉じる。

彼が何を見たのか――それだけが、気がかりだった。


「第三野戦病院 診療記録」


自分の名が記された資料。


「……偶然、ね」


その目に宿るのは確信に近い恐怖だった。

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