螺旋階段とヤコブの梯子の間

 人生は螺旋階段のように下り坂ですか?それとも昇ってますか?


 人生は曲がり角で試されるものらしいですね。キリスト教では螺旋階段というのは特別な意味を持つモチーフです。


 螺旋の構造は人生そのものであり罪,祈りです。

 直線的なヤコブの梯(神の意志)に対して人間の作る階段というのは螺旋を描き遠回りで神に近づきます。そしてその循環の中で赦されるのです。


 ――たぶん、知らんけど。詳しくはないですが、だいたい合ってると思います。キリスト教は私の知識圏外です。

 でもバベルの塔は螺旋階段ですし多くの神殿で螺旋階段が採用されてる事は事実です。


 そこには堕落の罪と神の赦しがあるのです。

 私の小説も罪と赦し、祈りのようなものをモチーフにしています。

 銀の大地-神なき大地で祈る僕ら-

 https://kakuyomu.jp/works/822139837051407702


 漫画のプロットが元なのですが現在漫画執筆の手が全く追いついてません。むしろ小説に時間取られてます。


 神の赦しとはなんなのでしょうね。それがあれば人は本当に救われるのでしょうか。

 自分を許すのは自分ではないのでしょうか。

 螺旋階段を降るように堕ちていると思ってる自分を受け止められるのは、ひだまりを知ってる自分だけです。


 でもときには他者の赦しがないと自分を許せないときもありますよね。そういうときの神様なんでしょうか。


 私にはまだわかりません。

 ところでヤコブの梯ってわかりますよね?

 天界と地上を繋いでて、天使が登ってくやつなんですが、なんで飛ばないのとか思っちゃダメなんでしょうね。

 人間は飛べないからこそ螺旋階段を努力で登るしかないのです。


 これは受け売りですが、いい言葉だと思っています。


 修道士が登る螺旋階段は努力の証で、神の梯子は救済。私たちにいつか梯子が訪れる日は来ますかね。

 Switch2当選したのを見逃したうっかりさんな私は梯子が降りてきても寝てますし、ヤコブのように神から語りかけられる事もないでしょう。


 私は螺旋階段を降って冥府からみんなを見上げることにします。とあるアフリカかアメリカの原住民の神話では祖先はみな、体に光る鉱石があったそうです。そしていつでも天と地を行き来できる梯子があったが、あるとき壊れてしまった。


 それで上に取り残された人が星となって今も見守っているそうな。


 私もみんながお星様になって見守ってくれてると考えることにしますね。


 アデュー


 

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