Idol League Colosseo
前藤たんか
Episode1 ユニット結成編
一章 学校で一番の不良少女
1話 自殺/珠薊瑠璃
きっと、私の身体は硝子で出来ていた。
肉も、骨も、髪も、爪も、歯も、心臓さえも。身動ぎする度に肉体が軋むような感覚があって、その小さな振動で次から次に亀裂が走る。
だから。
「……〝今度は〟左膝の前十字靭帯が断裂しています。手術をしたとしても……競技への復帰には、また……」
小さい頃からお世話になっている外科の先生が、目を伏せて言葉を濁した。
でも伝わった。
だって、二度目だ。
前は、右。
今回は、左。
ぱき、ぱき。
肉体に走る亀裂が、胸の奥まで及んだ音がした。
「……そんな、どうして。あんなに、毎日、誰よりも……!」
隣でお母さんが涙ぐみ、後ろではお父さんが息を呑んだ。まだ小学生の弟は、フィギュアスケートの衣装を着たままの私の手をそっと握ってくる。
全部、全部、他人事みたいだった。
中学二年生の時に右膝が壊れて、一年間リハビリをしてきて、最初の大会だった。
「わかりました」
誰かがそう言った。
酷く乾いた、鋭い、割れた硝子の切っ先のような声。
膝なんてちっとも痛くなかった。
ただ、座っているはずなのに、底が見えない奈落に身体が転がり落ちていくような心地だけがあった。
「もう、いいです」
だからその言葉を通した喉が。その言葉を乗せた舌が。その言葉を象った唇が。
転がり落ちていく間にずたずたに引き裂かれて。
粉々に砕け散って。
ばらばらに押し潰されて。
私は、無様な死体と成った。
⭐︎
でもさ、それでもやっぱり私はまだ、どこか冷静だったんだ。
だってその日、入院が決まって病室に移っても、申し訳ないなってばっかり思ってたんだから。
お母さんはずっと泣いていたし、家に荷物を取りに行ってくれたお父さんはいつもの冗談を一言も口にはしなかった。弟だって敏感に空気を読んで黙っていて、ただじっと私の手を握り続けてくれていた。
私の家族はみんな、優しい人達だった。
だから申し訳なかった。
小さい頃に見たオリンピックのフィギュアスケートの中継映像が、私の一番古い記憶でさ。その次は、駄々をこねてスケートを始めさせてもらった記憶。確か、五歳とかそこらだったはず。
そこから、気付けば氷上で踊っている人生だった。
滑っている間は、まるで羽が生えたみたいだったんだ。体が軽くて、帆船にでもなったみたいでね。氷上では私の思う通りに風が吹いて、自由自在に、世界が私の背中を押してくれた。私が世界の中心で、私が思う通りにくるくると世界が回っていた。そうしていたらいつの間にか大会に出ていて、優勝していて、メディアに取り上げられて、『氷上の妖精』だなんて渾名まで出回るようになった。
でもそれは全部、小学生までだった。
中学生になる直前、小学校最後の大会でまず初めに捻挫をした。軽い捻挫だったけれど、選手人生で初めての怪我だった。そしてその怪我をしたのが大会の最中で、初めて優勝以外の順位を付けられた。
きっと、傍から見ればたった一度の、仕方のない敗北。だってそもそも成長期で、急に発達した身体に認知が追いついておらず、そのせいで転んだんだろうってコーチも言っていたから。
仕方のないことだから気にしないでと、家族も友達も慰めてくれた。
でも、そのたった一度の故障は、硝子で出来ていた私の身体に、決定的な亀裂を刻んだ。
そして数センチでも傷が刻まれた硝子に価値はなくなる。
次に怪我をしたのもすぐだった。捻挫が治って滑り始めても、一度の敗北が頭から離れず、そのトラウマが捻挫箇所だった右足首にわだかまり、思うようにジャンプが飛べなくなった。
その結果、無理して何度もトライし、転び、トライし、転び、繰り返している最中で他に滑っていた子の転倒に巻き込まれ、手首を骨折した。
不運だった。無理をせずに。大丈夫だから。そんなことを何度も言われた。
でも、そうやって次に出た大会は入賞すらできなかった。
理由は単純に、練習不足だった。
度重なる怪我のせいで満足にスケートができず、感覚が鈍っていた。
でもそれだけだと、やっぱりみんな言ってくれた。そもそも準備不足は百も承知で、私が無理を言って、調整の名目で出させてもらった大会だったから。
でもその結果に、私自身が打ちのめされてさ。
だってブランクはあっても、怪我も何もしてない状態での大会だったんだ。
なのに、負けた。
爪痕の一つも残せず。
それからも似たようなことが続いた。
練習して、怪我をして、治して。
練習して、怪我をして、治して。
準備する時間が足りなくて、大会で負けて。
また、〝無理をして〟練習して、怪我をして、治して。
でも、そんな日々でも私には執念があった。スケートが大好きだったし、家族やコーチや友達が応援してくれていたから。
だから、中学二年生の時にはようやく、久しぶりに最高のコンディションで全日本に臨めて。
演技は順調だった。過去にないほどの完成度で、成長した身体も完全にコントロール出来て、優勝も目前な体感があった。
でも、最後のジャンプで思い出した。
小学生の時。
勝てるはずの大会で、最後。
練習で殆ど失敗したことなんてなかったジャンプで、転倒したこと。
その一瞬で、まるで足が鉛にでもなったみたいだった。
そうして飛んで、着地に失敗して、右足の前十字靭帯を壊した。
十か月。
私が私の人生を自覚して初めて対面するスケートに関われない人生は、あまりにも灰色だった。
でもそんな日々にもめげず、誰よりもサポートしてくれた家族やコーチや友達は、やっぱり良い人達ばかりでさ。
だから必死になって身体のケアをした。体操もダンスも整体もヨガもパーソナルトレーニングも、できる限り学んだ。
それでも復帰戦で、今度は逆脚の前十字靭帯を壊した。
だから、本当に申し訳なくて。私なんかより、みんなの方が辛いだろうなって思って。
「大丈夫だよ、お母さん。私、大丈夫だから。まあ人生、何事もしょうがないことってあるよね」
そんなことを言うと、お母さんはベッドの隣でもっと泣いた。
そして、私を抱き締めて言ったんだ。
「ごめんね。丈夫に産んであげられなくて、ごめんね」
それが、何よりも。
「……ううん、違うよ。そもそもさ、産んでくれて……」
でもその先は、どれだけ頑張っても言葉に出来なかった。
そうしてみんなが家に帰った夜、病院の個室のベッドに倒れ込んだ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫って、何度も自分に言い聞かせて。
震える身体を抱き締めて。
そんな時に、友達からメッセージが届いた。
それは小学校の頃からの親友のラインで、歴史あるアイドル・リーグ〈Colosseo〉で最近乗りに乗っているという、アイドルグループのMVだという話だった。その子も私を励ます為に、気が紛れればと送ってくれたんだ。
でもそのURLをタップして、動画を開いて。
とあるたった一人のアイドルと〝目が合って〟。
打ちのめされた。
そのアイドルの瞳は燃えていたんだ。
まるで火を吹いて弾丸を吐き出したばかりの銃口じみた眼光。特徴的な灰色のまなこが引き金を絞るみたいにウインクをした瞬間、まるで世界に穴が空いたみたいになって、画面越しにさえ彼女という奈落に引き摺り込まれそうになる感覚。
煌めく焔に吸い寄せられる虫のような気分。
抗いがたい眩い誘惑だ。一度目にしてしまえばもう逸らすことはできなかった。
まるで流星群が藍色の夜空を爪を立てながら掻き鳴らすような、荘厳で艶美で絢爛な楽曲。だとすればセンターに居るその燃える瞳のアイドルこそが指揮者であり、彼女の一挙手一投足に従いながら踊り歌う仲間達こそが果てしない流星の一つ一つだった。
指揮者が一つダンスのステップを踏めば、たちまちの内に流星が旋回する。ユニット全体が巨大な一匹の獣になったと錯覚するほどの完璧な連動。縦横無尽なポジションチェンジを精密にこなすフォーメーションダンスはいくつもの星座が入り乱れるようでいて、アイドル一人一人の笑顔が華やかに煌く。
するとその度に、数えきれないほどの人々で埋め尽くされた会場に七色の風が吹いた。握られたペンライトの一つ一つが、ステージで踊り舞うアイドル達の動きに合わせて揺れているんだ。
そしてその綺麗な光の一つ一つの元に、様々な笑顔が咲いている。
号泣しながら狂喜するファンも居れば、見惚れてしまって呆けている人も居て。
紅潮して震えあがる人、呆然と圧倒される人、興奮して感情を爆発させる人。
色んな、本当に色んな人が、アイドル達のステージを受けて、喜んでいて。
だからそんな、ライブ映像を切り抜いたような構成のMVも終盤に差し掛かった時。
カメラが捉えたのは、あの燃える瞳のセンターの子が歌うソロパート。
『目を見て話そう 私はここで歌うから
目を見て笑おう 私はここで叫ぶから
目を見て言ってよ ねえ私を見てよ!
俯かないで 泣かないで 助けてって 助けてって 諦めないで
花が太陽の方を向いて咲くものなら 私があなたの光になるから』
翻る衣装の胸元を握り締め、声を枯らせるように振り絞り、瞳を爆ぜさせて歌い上げる。
『その涙を飲み干して 私に貴女の花弁を魅せて
All eyes on me 笑って見せて』
そうして彼女が、ライブ会場を埋め尽くす観客達に微笑んだ瞬間。割れんばかりの大歓声が轟いた。
でも、それと同時に我に返る。
気付いたんだ。彼女を熱烈に応援する、観客席のファンの、幸せそうな顔を見た時。
号泣したり、見惚れたり、震えたり、圧倒されたり、興奮したり。
でも、その誰もが幸せそうで、感極まっていて。
涙を、浮かべていて。
その涙に対して。
私は。
私は。
一体、何をしていたんだろう。
本当に笑わせたかった家族や、友達や、仲間やコーチといった大切な人達を、みんなみんな悲しくさせて。
怪我ばっかりして、期待してもらったのに、何一つ応えられなくて。
情けなくて。
負けて、砕けて、大怪我して、選手として死んで、無様に挫折して。
支えてもらったのに、その全部を、無駄にして。
思い知る。
私はもうこんな風に、私に期待してくれていたみんなを、笑わせられないんだ。
そうしてみんなを、裏切ってしまったんだと思うと。
もう……踊れないんだと思うと。
楽しませることも、楽しむ資格も、ないんだと思うと。
「あ、は、ははは、あはははっ!」
罅割れた心が、砕ける音がした。
「あああああああああああああああっ!」
そうして私は。
私自身が、私を殺したと、知った。
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