第三話:王都強行と、中庭の予兆
全身の筋肉が焼けるように熱い。肺は千切れそうなほど痛み、喉は渇ききっていた。
「くそっ、これが敏捷が22上がった身体能力か…!」
俺は、王都へ続く舗装された街道を、常人では考えられないスピードで走り続けていた。
もはや、ただの駆け足ではない。レベル32の身体能力は、短距離走のアスリートが全力疾走を続けるような速度だ。
レベル上げの際に「賢者の石(偽)」を装備したデメリットも出ている。
全ステータス-5。この微々たるダメージが、長時間走ることでボディブローのように効いてくる。
「(まだだ…まだ倒れるわけにはいかない!)」
心の中で自分を叱咤する。走る原動力は、ただ一つ。
『推し』ルナリアの顔だ。絶望に染まった、あの泣き顔。
**――ルナリアが魔力暴走を起こすイベント。**
原作ゲームで、ルナリアが学園で孤立を深める決定的な事件だ。
入学式後、全生徒が集まる中庭での自己紹介の際、彼女の強大すぎる魔力が無意識に暴走し、周囲の植物や噴水が凍結する。
その結果、「危険な化け物」と恐れられ、彼女の心をさらに孤立させていく。
「(イベント発生時刻は、確か入学式が終わって、全クラスの自己紹介が始まった直後…午後3時だ!)」
今は午後2時を少し回ったところだ。
アークライト領から王都までは、普通なら馬車で半日。約6時間。
だが、俺は2時間で街道の端まで来ていた。
「王都の城壁が見えた!」
遠景に、白く雄大な城壁が目に入った。王都『アルカディア』だ。
最後の力を振り絞り、俺は王都の門へと駆け込む。
衛兵たちが俺の異様なスピードと、汗まみれの貴族服を見て怪訝な顔をしたが、通行人としての権利があるため、何も言わずに通してくれた。
王都は賑わっていた。
中世ヨーロッパ風の石畳の通りには、馬車が行き交い、屋台が並ぶ。
初めて生で見る、ゲームの世界。そのリアルさに一瞬目を奪われる。
だが、観光している暇はない。
「王立魔術学園……! 急げ!」
学園は、王都の中央、貴族街に位置する。
人混みを縫うように、俺は全速力で走った。
そして、午後2時45分。
俺は、学園の正門前にたどり着いた。
「ハァ…ハァ…間に合った…か?」
息が切れ、視界がチカチカする。体はもう限界だった。
しかし、学園の中庭から聞こえてくる、生徒たちのざわめきと、教師らしき人物の声に、俺は確信する。
「まだ間に合う……!」
俺は、貴族の生徒証を見せる余裕もなく、警備を振り切って敷地内へ侵入した。
(ステータス画面で確認すると、俺の『敏捷』は「70」近い。警備兵は反応すらできなかっただろう)。
中庭。
そこには、数百人の新入生が円形に集まっていた。
貴族服を身に纏った生徒たち、その中に、数人の平民出身者も混じっている。
「――次のクラス、D組の自己紹介に移ります」
教壇に立つ教師がそう告げた。
D組。そうだ、ルナリアは魔力が強大すぎて制御が難しいという理由で、能力別クラス分けで最も低いD組に入れられてしまうのだ。原作通りの展開だ。
そして、最前列に立っている、一際目を引く一人の少女。
銀色の長く美しい髪。
深く、どこか寂しげな青い瞳。
すらりとした立ち姿は、誰よりも上品で、そして孤高だ。
「ルナリア……!」
俺の『推し』だ。
画面越しではなく、この世界の、生身のルナリア。
無事だ。まだ、心は絶望に染まっていない。
俺は息を潜め、中庭の端、大きな噴水の影に隠れた。
このイベントを回避するためには、**「ルナリアが魔力暴走を起こす、その前に、暴走を誘発する魔力を相殺する」**必要がある。
原作知識によれば、彼女の魔力は、特定の時間に「王都の地下水脈を流れる魔力」と共鳴し、暴走する。
つまり、暴走のトリガーはルナリア自身ではなく、**環境**にあった。
「D組、ルナリア・ヴァルシュタイン!」
教師の声に、ルナリアが一歩前へ出る。
周囲の生徒たちの間で、さっそく「あの聖女の娘か」「怖そう」といった囁きが広がる。すでに孤立が始まっている。
彼女は俯きがちに、震える声で話し始めた。
「わ、わたくしは……ルナリア・ヴァルシュタインと申します。至らぬ点が多いですが、精一杯、学びたいと……」
言葉の途中で、ルナリアの体が微かに光を放った。
**――来た!**
俺の脳内に、ゲームのSEと同じ、低い「キィン」という警戒音が響いた。
ルナリアの足元の石畳から、淡い青白い光が漏れ始める。
「(地下水脈の魔力と共鳴を始めた! あと10秒で暴走する!)」
時間がない。
ルナリアは、自分の身体に異変が起きていることに気づき、不安そうに顔を上げる。
**「大丈夫だ、ルナリア!」**
俺は思わず叫びそうになったが、寸前で押し留めた。
ここでモブが叫べば、彼女はパニックになり、暴走を加速させてしまう。
俺は即座に、周囲を見渡した。
ルナリアの背後には、立派な大理石の噴水がある。水が常に流れ出している。
「(これだ!)」
原作知識。ゲーム初期の攻略本で、開発者がこぼした豆知識。
**『ルナリアの魔力暴走は、”水属性”の強力な魔法で水を大量に循環させることで、魔力の波長を掻き乱し、抑制できる。』**
このゲーム、実は「水属性の魔法」は、魔力の波長を打ち消すという隠れた裏設定があったのだ。
俺は、ステータス画面を開く。
スキル:剣術(初級)
魔力:38
魔力38。レベル1のカイトの魔力は「2」。
レベルアップボーナスでなんとか使えるレベルまで成長した。
「よし…!」
俺は、隠れていた噴水の影から、誰にも見えないように、人差し指をルナリアと噴水の間、地面に向けて突き出した。
そして、誰も使えないはずの魔法を、**詠唱なし**で発動させた。
「【ウォーター・ルーティング】!」
**ウォーター・ルーティング。**
これは水属性の最下級魔法。水を汲み上げるだけの魔法だ。
しかし、1万時間やり込んだ俺は、この魔法に込められた**裏技**を知っている。
普通、魔法を使うには詠唱が必要だ。
だが、このゲームには「詠唱破棄(詠唱省略)」という隠し要素があった。
それは、魔法を何万回と使い込むことで、**「脳内のイメージだけで発動できる」**という、文字通りチート級のテクニックだ。
俺は、この魔法を、レベル上げのために**1万回以上**使っていた。
(序盤の経験値稼ぎで、水魔法で敵を水浸しにして、感電死させるハメ技があったのだ)。
俺が魔法を発動させた瞬間、ルナリアの足元の石畳の青白い光は、一瞬にして掻き消えた。
そして、ルナリアの背後の噴水の水が、**尋常ではない勢い**で噴出し始めた。
**ゴオオオォォォッッッ!!**
まるで、地下のポンプが壊れたかのように、噴水の水が異常な高圧で吹き上がり、中庭一帯に水しぶきを撒き散らす。
生徒たち「うわっ!」「何だこれ!?」
大混乱だ。生徒たちは水浸しになりながら、噴水から逃げ惑う。
ルナリアは、暴走が止まったことに気づかないまま、ただただ、背後の異常な噴水に目を丸くしている。
そして、その顔には「不安」ではなく、「困惑」が浮かんでいた。
**――イベント、回避成功!**
俺はすぐに指を引っ込め、噴水の影に再び隠れる。
教師たちが、慌てて噴水を止めようと駆け寄る。
「ど、どうした!? 噴水が暴走しているぞ!」
「誰か、魔術師を! 水を止めろ!」
俺は息を殺し、ルナリアの様子を観察した。
彼女の魔力暴走は完全に鎮静化している。
彼女は「異端の魔力」を晒して、周囲から恐れられることはなかった。
代わりに、全員が「謎の噴水暴走事件」に気を取られている。
彼女の顔に浮かぶのは、恐怖や絶望ではない。
「(私のせいで……はない?)」という、微かな安堵だ。
その時、教壇に立っていた教師の一人が、俺の隠れている噴水の陰を指差した。
「誰だ! 今、この水は魔力で動いている! 周囲の魔力を集めて暴走させている! お前か!?」
まずい。いくら詠唱破棄を使ったとはいえ、俺が魔法を発動させたのは事実。
誰かに見られていたか?
教師が俺のいる噴水の影に歩み寄ってくる。
俺は観念して出て行こうとした、その瞬間。
「……違います」
生徒たちの輪の中から、凛とした声が響いた。
ルナリアだった。
「その方は、何もしていません。…わたくしは、ただ水を眺めていただけです」
教師はルナリアを睨んだ。
「お嬢さん、貴方から魔力を感じない。無関係なのは分かっている。だが、あの噴水の水流は異常だ! この魔力は誰が出しているんだ!」
ルナリアは教師から目を逸らさず、まっすぐ前を見た。
「あの水流は……**この学園に流れる、生命の魔力が、喜びで溢れただけ**です」
「喜び、だと?」教師は怒りを露わにする。
「はい。わたくしには、そう感じました」
ルナリアが、**嘘**をついた。
自分を守るためではなく、**誰もいないはずの噴水の影にいる誰か**を庇うために。
彼女は、何かを感じ取ったのだ。
自分の魔力暴走が起きかかったこと。そして、それを「何らかの力」が打ち消したことを。
そして、その力は「噴水の暴走」という形で、**誰にも迷惑をかけない形**で消えたことを。
俺は、噴水の影で固まった。
これは、原作にはなかった展開だ。
ルナリアが、他人を庇う?
彼女は、孤立を深めるどころか、**自分の意思で、初めて他者を守る行動をとった**のだ。
教師は不審に思ったが、ルナリアから強力な聖魔力を感じないため、これ以上追及はできず、しぶしぶ噴水の修理に向かっていった。
騒ぎが収束し、ルナリアは静かに生徒の輪に戻る。
そして、ほんの一瞬だけ、**俺が隠れている噴水の影に、誰も気づかない微笑みを向けた。**
その顔は、バッドエンドの絶望に囚われた『推し』の顔ではなかった。
「(…やばい、可愛すぎる)」
俺は、全身の疲労が一気に吹き飛ぶほどの、強いカタルシスを感じていた。
推しを救う、最初の一歩。大成功だ。
俺は噴水の影から出ず、ルナリアがクラスメイトと別れ、学園の廊下を歩いていくのを見守った。
「(よし。これで最初の孤立フラグは回避した。次は……)」
次は、彼女を魔族の誘惑から守るため、彼女に「信頼できる味方」が必要だ。
原作の主人公パーティは信用できない。
俺は、カイト・フォン・アークライトとして、ルナリアに近づかなければならない。
そのためには、まず学園の生徒になる必要がある。
「(カイトは入学式をサボっている。今からでも、遅刻として登録を済ませるか)」
俺は噴水の影から出ようとした。
その瞬間。
「…モブが、一体何の用だ?」
頭上から、冷たく、威圧的な声が降りかかってきた。
その声に、全身の筋肉が反射的に緊張した。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
そこに立っていたのは、俺の転生先『カイト・フォン・アークライト』の、**長兄**だった。
ルーク・フォン・アークライト。
原作ゲームでは、剣術の天才として主人公パーティに加わるはずの、超エリート貴族だ。
その顔は完璧な美形だが、俺を見る目は、冷酷な獣のようだ。
「……兄さん」
俺の口から出た言葉は、震えていた。
最強のRTA走者も、原作の強敵の前では、一瞬で現実に引き戻される。
「お前は、入学式をサボって何をしている。家に帰れ。お前のような落ちこぼれが、王都で何をしようと、アークライトの恥を晒すだけだ」
この傲慢な兄の存在を、俺は完全に忘れていた。
推しを救うRTAに、新たな、そして非常に厄介な「障害」が立ちはだかった瞬間だった。
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