第二話:ハメ技と賢者の石(偽)
アークライト辺境伯家の城館は、広大な森に隣接している。 俺は裏口からこっそり抜け出し、森の中へと足を踏み入れた。
「(この獣道で間違いない)」
『レガリア・オブ・フェイト』RTA走者の間では「アークライト・バイパス」と呼ばれる裏ルートだ。 本来、この森はレベル20相当の凶暴なモンスター(オークやジャイアントウルフ)が闊歩する危険地帯。レベル1のカイトでは、一歩入れば即ゲームオーバーだ。
だが、この獣道だけは違う。 開発者がテストプレイ用に使った(そして消し忘れた)ルートらしく、敵のエンカウント判定が一切ない。道は険しく、草木で隠されているため、普通のプレイヤーならまず見つけられない。
俺は一万時間のプレイで染み付いた記憶を頼りに、茨をかき分け、木の根を跳び越えて進む。 レベル1の貧弱なステータス(耐久4)のせいで、すぐに息が上がる。
「クソッ、体がなまってる…! これが貴族の三男坊か…!」
それでも足を止めない。 推しのバッドエンドを回避する。その一心だけが、俺の虚弱な体を突き動かしていた。
十分ほど走っただろうか。 森を抜けた先、水音が響く開けた場所に出た。 高さ30メートルはあろうかという巨大な滝が、轟音と共に滝壺へ流れ落ちている。
「あった……『嘆きの滝』」
ゲーム序盤のマップにも表示されているが、特にイベントもないため、大半のプレイヤーは素通りする場所だ。 だが、俺は知っている。
「この滝の裏だ」
俺は滝壺の冷たい水に躊躇なく飛び込み、滝の裏側へと泳ぐ。水圧で体が押し戻されそうになるが、必死で岩肌にしがみつき、滝の裏側に隠された小さな洞窟へと転がり込んだ。
「ここが、序盤の隠しダンジョン……『忘れられた試練場』」
ゲーム上では、中盤以降に「伝説の武器」のヒントを得て訪れる場所だ。 当然、出現するモンスターも中盤レベル。レベル1で入るなど、自殺行為以外の何物でもない。
――ただし、「知識」がなければ、の話だ。
洞窟内部は、苔むした石造りの通路が続いていた。ひんやりとした空気が肌を撫でる。 俺は腰のなまくらな剣を抜き、慎重に奥へと進んだ。
『グルルルァァァ!!』
角を曲がった瞬間、鋭い咆哮が響いた。 いた。 身長2メートルを超える、緑色の肌の怪物。棍棒を携え、明らかにこちらを敵意の目で見ている。
「ゴブリンリーダー……Lv35」
レベル1の俺がまともに食らえば、一撃で肉片だ。 だが、俺の顔に焦りはなかった。むしろ、懐かしさすら覚えていた。
「(1万回ハメ殺した相手だ。行動パターンは完璧にインプットされてる)」
ゴブリンリーダーが棍棒を振り上げ、突進してくる。 速い! 俺は即座に、通路の脇にあった高さ1メートルほどの「岩」の裏に隠れた。
『グガァ!』
棍棒が岩に叩きつけられ、破片が飛び散る。 俺はゴブリンリーダーの攻撃をやり過ごすと、岩の周囲をグルリと回り、敵の背後に移動した。 ゴブリンリーダーは、獲物を見失い、キョロキョロと周囲を見渡す。
「(ここだ!)」
俺は剣を振り上げ、ヤツの剥き出しの背中に斬りつけた!
カキンッ!
硬い。 なまくらな剣は、ヤツの筋肉に阻まれ、ほとんどダメージが通らない。
『ダメージ 1』
俺の脳内に、ゲームと同じダメージ表記が浮かんだ。 クソ、やはり筋力5ではこれが限界か。
『グガァァァ!』
背中を斬られたゴブリンリーダーが、怒り狂って振り返る。 俺は再び岩の裏へ。 ヤツが棍棒を振り下ろす。俺はまた岩の周りを回って背後へ。
カキンッ!
『ダメージ 1』
また背後を取られたゴブリンリーダーが、さらに怒り狂う。 『グルルル…!』 そして、ヤツが右手の棍棒を高く掲げた。
「(来た! 予備動作(モーション)だ!)」
ゴブリンリーダーのAI(人工知能)には、致命的な「穴」がある。 それは、「プレイヤーが特定の岩(オブジェクト)の周りを一定時間回り続けると、敵のAIがプレイヤーの位置座標を見失う」というバグだ。 そして、そのバグを誘発させるトリガーが、あの大振り攻撃――「デストロイ・スイング」だ。
ゴブリンリーダーが棍棒を横薙ぎに振るう。 俺はタイミングを完璧に合わせ、岩の影に身を滑り込ませた。
ゴゴゴッ!と風を切る音。 棍棒が、俺が寸前までいた空間を通り過ぎる。
そして――
『……グル?』
ゴブリンリーダーの動きが、ピタリと止まった。 棍棒を振り抜いた体勢のまま、あらぬ方向を向いて硬直している。
「(よし、ハメ成立!)」
AIが俺の座標を見失い、完全に「棒立ち」状態になった。 このバグは、ゲーム発売初期に見つかったもので、RTA走者にとっては必須テクニックだった。
こうなれば、もうこちらのものだ。 俺は無防備なゴブリンリーダーの背後に回り込み、なまくらな剣を振り下ろした。
カキンッ!『ダメージ 1』 カキンッ!『ダメージ 1』 カキンッ!『クリティカル! ダメージ 3』
「(硬えぇ…! だが、確実に削れてる!)」
レベル35のモンスターだ。HPは膨大だろう。 俺はひたすら、機械のように剣を振り続けた。 腕が痺れ、息が切れる。レベル1の貧弱な肉体が悲鳴を上げる。
「(倒れろ…倒れろ…倒れろッ!)」
何十回、いや、百回は斬りつけた頃だろうか。
『グガァァァァ………』
ゴブリンリーダーが、ついに呻き声を上げ、ゆっくりと前のめりに倒れ、光の粒子となって消えていった。
直後。
ピロリロリン♪
脳内に、軽快なレベルアップのファンファーレが鳴り響いた。
『カイト・フォン・アークライトは レベル15 に上がった!』 『筋力が 20 上がった!』 『耐久が 18 上がった!』 『敏捷が 22 上がった!』 『魔力が 8 上がった!』 『スキル:剣術(初級) を習得しました』
「―――ッッッシャアアア!!」
俺は、洞窟内に響き渡る声で叫んだ。 全身に力がみなぎる感覚。さっきまでの虚弱さが嘘のように消え去り、体が軽い。 レベル1から一気に15だ。 この世界のレベルアップ補正は凄まじい。普通の人間が数年かけて鍛錬する以上のステータスが、一瞬で手に入った。
「(これなら、次のヤツもいける!)」
俺は息を整え、ダンジョンの奥へと進む。 同じ要領で、通路の「ハメポイント」を利用し、ゴブリンリーダーをあと2体、確実に仕留めた。
俺のレベルは、ついに「32」に到達した。 もう、そこらの雑兵やモンスターには負けない。
そして、ダンジョンの最奥。 一見、行き止まりの壁だ。
「(さて、開発者の悪ふざけタイムだ)」
俺は壁に近づき、記憶通り、右から3番目のレンガを強く押し込んだ。 ゴゴッ、と石が動く音がする。 次に、5秒きっかり待ってから、左から2番目の、少し色の違う石を、右足で2回蹴る。
『レガリア・オブ・フェイト』の開発陣は、こういう「ノーヒントの隠しギミック」を仕込むのが大好きだった。発見したプレイヤーを「変態」と呼んだものだ。
ガガガガガ………
重い音を立てて、壁がスライドし、隠し通路が出現した。 通路の先には、小さな祭壇。 その上に、古びた宝箱が一つ、置かれていた。
俺はゆっくりと宝箱に近づき、蓋を開ける。 中には、鈍い銀色の輝きを放つ、小さな石がはめ込まれた指輪が一つ。
「間違いない……『賢者の石(偽)』だ」
アイテム名:賢者の石(偽) レア度:レジェンド(偽) 効果:装備時、取得経験値が10倍になる。 装備時、全ステータスが-5される。 説明:伝説の賢者の石の、出来損ない。凄まじい魔力を秘めるが、常に装備者の生命力を少しずつ奪う。
「(デメリットのステータス-5は痛いが、レベル32の今なら誤差だ)」
取得経験値10倍。 これこそが、俺が最初に目指した最強の「転生特典」だ。 俺は迷わず指輪を左手の薬指にはめた。ひんやりとした感触が伝わる。
「よし、第一段階クリアだ」
これでレベル上げの基盤は整った。 俺は隠しダンジョンを後にし、滝壺から這い上がる。
「(ヤバい、日が傾きかけてる!)」
空を見上げ、焦りが走った。 ゲームと違い、この世界では時間がリアルタイムで流れる。RTA(リアル)はポーズができない。
『推し』ルナリアが学園で「魔力暴走」を起こすイベントは、入学式が終わった直後、新入生が集まる中庭で発生する。
アークライト領から王都までは、馬車で半日。 だが、レベル32の「敏捷」を手に入れた今の俺なら。
「(間に合わせる…! 絶対に!)」
俺は、もはやモブ貴族の三男坊とは思えない驚異的なスピードで、王都へと続く街道を全力で駆け出した。 俺の、推しを救うための戦いは、まだ始まったばかりだ。
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