二章 彼女はそこにいる

第1話 拝み屋と少年

 アパートに戻ると、水を一杯飲んで気持ちを落ち着け、身支度を整えて、叔父の家に向かう。

 アパートの向かいの叔父の家には予定より少し早めに着いた。


「もう来てるよ。居間に通してる」


 叔父といっしょに、叔父の奥さんが出迎えてくれる。


「祥子ちゃんもお茶でいい?コーヒーの方が落ち着く?」


 叔父の奥さんがお茶を盆に乗せて出してくれる。恰幅のいい叔父の隣に立つと、小柄で可愛らしい人だった。

 叔父にどんな人が来るのか聞いたとき、この地域の不動産業界でもよく頼りにされていた人物なのだが、高齢で数年前に引退していた人物なのだと聞いた。前にお祓いを受けてくれた方が忙しく、その人が連絡して、話を聞いてくれることになったのだという。大丈夫だろうか。

 心霊関係の仕事をしている人なんて見たことないから、いろいろと妄想してしまう。修行僧のような格好なのか、神主のようなのか。お金はいくら取られるんだろう。期待と不安が胸の中でせめぎ合い、指先が冷えていく。

 叔父が襖を開けた。

 部屋には、落ちてきた日の光が差し込んで、姿勢のよい正座の男性と、小さな子どもらしき輪郭を際立たせていた。


「あ」


 居間にいたのは、あの二人だった。背が高めで姿勢のいい、短く刈った白髪の老人と、小学生の低学年と思われる小柄でやせぎすの少年。

 

「お姉ちゃん」


「これはこれは、先ほどの」


 向こうも驚いたようだ。


「顔見知りだったんですか?」と叔父は顔に驚きを浮かべた。


「さっきちょうど公園で会ったばかりだ。これも何かの縁かの」


 老人は腕組みして、うれしそうに顔を綻ばせ、わたしに自己紹介してくれる。


「私は小野瀬桃矢と申します。果物の桃に、弓矢の矢。長年拝み屋のようなことをやっておりまして、高橋さんからも何度か仕事を受けたことがあります。引退しておったんですが、最近は近場での仕事に限って依頼をまた受けるようになりました。弟子の扱った件が未解決だと聞きまして、その後始末に来たわけです。弟子は別な案件が終わるまでは来れないようでしてな。こちらは孫の尚です」


 少年は、「小野瀬なお、です」と、正座して、両手を揃えて頭を下げる。小さいのに立派。


「尚は漢字一文字で、“なお一層”の尚です」と、小野瀬氏が補足した。


「氷川祥子です、はじめまして」


 わたしも膝をついて頭をさげる。叔父が簡単にわたしのことを紹介してくれる。


「どれ、まずはお困りの内容を聞かせていただけますか?」


 話を進めようとする小野瀬氏。しかし、その前に気になることがいくつもあった。まず、この人はいったいどんな人物なのだろう。


「話す前に確認したいんですけど、小野瀬さんはいわゆる霊能力者というものなんでしょうか」


「昔からよく聞かれることですが、まあ、ちょっと見えやすいとか妙に勘が働くといったことはありますが、世間で考えられる霊能力というものは持ち合わせていないと思ってください」


「拝み屋って、そういうものなんですか。お祓いとかするんじゃ」


「霊能者と拝み屋というのは別物ですからね。もちろん霊能力があると謳って仕事する拝み屋もいますし、それはその人のやり方ですけど。例えば、お坊さんや神職の方は、供養やら祈祷をしますが、別に霊能力者というわけじゃないでしょう。我々は、よくわからない奇怪なこと、怖いことがあったときに事態を落ち着ける便利屋みたいなものだと思っていただければ。今回は部屋に女の霊が出て困っていると聞いていますから、その問題を解消する力になれればと思っています」


「結局、お祓いしてくれるということなんですよね」


「それも一つの方法ですが魔祓いは老体には辛いですからな。そもそも祓いが必要かどうかをよく調べてみませんと。勘違いや心の問題であることもありますから」


 なんとなく真面目な印象でうさんくささは感じない。ただ、それが手口だろうかと勘繰ってしまう。無害そうな老人がはじめに話を聞いて、後から霊能力者が現れて高い祈祷料を払い壺を買わされるのだ。いや、そんな無闇に疑うのはよくないとわかっているが、怪しいものは怪しい。……わたし、疑い深くなってるのかもしれない。

 それに、なんで孫。お孫さん、尚くんは、先程からわたしのことをちらちらと見ている。人見知りなのだろうに、知らない大人の前に連れてこられて緊張しているのだろう。


 わたしの視線に気づいたのだろう。小野瀬さんは、ぽんと少年の背中にふれてから、話し出した。


「この子が気になりますかな。尚の同席は今回の仕事を受ける条件です。高橋さんには事前に承知してもらっています」

 

 穏やかな話ぶりだが、少年の同席は譲らないという強い意思を感じさせる。


「その子、尚くんは仕事に関係あるということなんですか」


「そうですね。仕事を教えたいというか……尚、さっきの絵見せてみなさい」


「うん」


 少年、尚くんは手提げからスケッチブックを取り出すと、ページを開いた。そして、わたしのことを上目遣いで凝視する。日本人に多い茶色がかった瞳だったと思うのに、今は澄んだ群青がかった色合に見えた。吸い込まれそうな神秘的な瞳。

 スケッチブックを見ると、描かれていたのは、地面に這う手足と、長い伸びた首、その先に女性の顔。小学校の低学年ならこんなものだろうという拙い絵だが妙に存在感がある。


「なんか足りないな」と、尚くんは色鉛筆を持ち替えた。

 鉛筆の芯が紙をかすめる。皆が注目する中、その音だけが、部屋の空気を裂いた。一筋の赤が口元をなぞる。歪んだ笑みがそこに浮かんだ。

 その瞬間、息が詰まった。

 絵の中で笑っているのは、あの女なのだとなぜか確信できた。部屋を訪れ、廊下の採光窓から覗き込んできた、あの顔。


 尚くんは赤鉛筆を置いて、満足そうに自分の絵を見ている。

 わたしは、背筋を走るぞわぞわとする感覚に耐えながら、尚くんに問いかける。


「……それ、なんの絵、なの?」


「なんだろう。お姉さんの足元に見えた。細長い首の女の人、かな?」


 疑問形で返されてしまう。たしかに細長い。私の部屋の採光窓から覗いていたのは首が伸びていたからだったのかと納得してしまった。普通の人間の形ではない。


「心当たりがありますか」


「あるけど、これは、今ここにいるのが見えたってことですか。それとも公園で」


「尚、どうだ」


 小野瀬さんは、孫に問いかける。


「お姉さんを見てると浮かんでくるんだよ。薄いし、ここにはいないかな」


「本体の残像のようなものが見えているんでしょう。わしにはわからんかったなあ」


「小野瀬さんにも見えるんですか。こういうものが」


「長いことこの稼業で食ってきましたからな。もっとも、私にはこやつほどはっきりしたものは見えんのです。ただ、『なにかよくないもの』がまとわりついておる気配はわかります。氷川さんが出会ったものの残り滓みたいなものでしょうな」


 霊を見えるなどということが、そもそもうさんくさい話だが、ばかばかしいと完全に否定することもできなかった。なにしろ、わたし自身、今まさに心霊現象のようなものに遭っていて、それを解決したいと思っているのだ。

 そして尚くんの絵は、不思議なことに、わたしの見たものを的確に表現している。


「これ、わたしが見たやつだと思います。首が長くて真っ赤な唇。ほんとに見えてるんだ」


 ははっと笑う小野瀬さん。


「氷川さん。そんなに簡単に信じちゃだめですよ。例えば私らが、高橋さんから事前に詳しい情報を聞いていたのかもしれないのですから。占いやマジックでは、ホット・リーディングと呼ばれる技法ですよ」


「え、そうなんですか」


「それに、このような抽象的な絵は、ちょっと不安になっている人が見れば、自分の体験に重ね合わせて、自分で勝手に似ているという理由を頭の中で作ってしまうものなんですよ」


 言われてみると確かにそのとおりだった。わたしは叔父にかなり詳しく体験した内容を話している。その情報を聞いていれば、わたしの見たものを当てるように見せかけることはできる。でも玄関窓から女の顔が覗いたとは言ったと思うけど、赤い唇なんて細かいところまで話をしただろうか。そして、絵を見た瞬間の、背筋を冷たいものが這う感覚は……。


「爺ちゃん。おれ本当に見えてるよ」


「わかっとるよ。今のは氷川さんが簡単に信じすぎないよう忠告しただけだ。尚も、今のような考え方があることは覚えておかにゃならん」


「うん」


 少し不満そうに口を尖らせている。


「高橋さんから大体のことは電話で聞いておりましたが、尚には伝えておりませんよ。この絵は尚が実際に見たものを書いていると考えてもらってけっこう。氷川さんには心当たりがあるのですね」


「たぶん、印象としてはわたしが見たものを指しているんだと思うんですけど。これはいったい何なんですか?わたし、どうにかなるんでしょうか?」


「それをこれから調べようということです。今すぐに断言できることはほとんどないと言っていいです」


 少しがっかりした。霊能力者というものは、こういうとき、ずばっとこれはどんな霊でどういう対策が必要か示してくれるものだと思っていたから。と同時に安心もした。悪霊が取り憑いているなんてはっきり言われてしまってはショックだ。

 それに……騙されているのではという不安があることも事実だった。顔に出たのか、小野瀬老人が言う。


「心配するのはわかります。霊が見えるとか突然言い出す人を、私ならすぐには信用しないでしょうね。でもおそらく氷川さんが抱えている問題は普通に他人に信じてもらえるような内容ではないんでしょうし、警察に言っても相手にしてもらえるか微妙なところだと思います。尚の絵は、あなたにとって少しだけ私たちを信じてみようという材料になるのではないかな。それに、この地域では昔から仕事してますから、そこそこ信頼も得ていると思っています。高橋さんも知っているでしょう。」


 優しく穏やかな口ぶりに信頼してしまいたくなるが、正直信頼してよいのか全く判断がつかない。しかし、ほかに頼るものがないことも事実だ。叔父が信頼している様子であることもわたしを後押しする。――腹をくくるしかなかった。


「わたしの話を聞いてもらえますか」


「もちろんです」

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