第22話
静かな寝室で、ルカはシロクマのぬいぐるみを抱きしめて寝ころがる。
一人でゆっくり寝てほしくて最近は遠慮していたのだが、ルカはグンナル不足だった。
しかしグンナルの寝室に来たのはいいものの、ルカ一人にはベッドが大きすぎる。
広々とした空間が寂しさを助長させてきて、ルカはふわふわのぬいぐるみの腹に顔を埋めた。
「……グンナル、やっぱ帰ってこないかぁ」
ぬいぐるみは柔らかくて気持ちいいけれど、温もりはない。
ベッドも枕も、ほのかにグンナルの香りがする気はするが、ルカは本物に包まれたかった。
「せめておやすみだけでも言いたい、のに……」
トシュテンが警備の手伝いを申し出てくれてから、数日が経っている。
予想通り、グンナルはトシュテンの顔を見た瞬間に恐ろしく殺気立ってしまった。
ルカが宥めに宥め、トシュテンも変にグンナルを挑発しなかったおかげで、なんとか話をすることができたのだ。
グンナルが警備強化を承諾してくれたのは良かったが、問題はある。
忙しくなりすぎて、顔を見れたらいい方、という日が続いているのだ。
これまでは忙しくても、朝食くらいは一緒に食べていたというのに。
「さびし……グンナルは寂しくねぇのかな。俺と話せなくて……どう思う?」
グンナルと同じ黒い目にルカが写っている。しかし、ぬいぐるみに話しかけても当然返事はない。
馬鹿馬鹿しいことは自覚しているルカだが、気を紛らわすための日課になっていた。
こうして話しているうちに、ゆっくりと眠くなっていくのだ。
疲れた身体がベッドに吸い付いて、頭がぼんやりしてくる。
「グンナルー」
「なんだ、ルカ」
「大好き」
「私もだ」
微睡の中でグンナルの声の幻聴まで聞こえてきた。知らないうちに夢の中にいたらしい。
夢を見る余地もないほど熟睡する毎日だったから、ルカは嬉しくなって抱きしめているもふもふに唇を寄せる。
「んー」
冷たくつるんとした黒い鼻にキスをしたと思ったら、パッと腕の中からその存在が消えてしまう。
ルカの意識が急激に浮上した。
「……あれ?」
目を開けると、シロクマのぬいぐるみを持ったグンナルが柔らかく微笑んでいる。
「申し訳ないが、ぬいぐるみではなく私にしてくれないかルカ」
深く耳心地のいい声が、彫刻のような完璧な美形の口から流れでてきた。しかも、自分の名前を呼んでいる。
混乱したルカは掛け布団を体に巻きつけ、グンナルに背を向けた。
「…………おやすみなさい」
広いベッドの端に、芋虫のようにウゴウゴと移動しようとする。
移動しながら、先ほどの自分の言動を思い返した。
ぬいぐるみを抱きしめ、愛を囁き、キスをしていたなんて。ほぼ寝てしまっていたが、悲しいことに一部始終はっきりと覚えている。
(さすがに! さすがに恥ずかしすぎる!)
グンナルのベッドで芋虫になっているのも相当恥ずかしい姿だが、気にかけている場合ではない。
とにかくもう寝てしまって、全てが夢だったのだと思いたい。
しかしギシッとベッドが揺れたかと思うと、布団の芋虫になったルカはグンナルの大きな手に引き寄せられた。
「わ……っ」
布団を体から剥ぎ取られ、ゴロリとグンナルの方に向かされる。
ボフンっと厚い胸板に額がぶつかったかと思うと、久しぶりの温もりに包まれた。
「あんなにかわいいことをしておいて、どうしてそのまま寝られると思うんだ」
耳元で甘く囁かれ、ルカの背筋にゾクゾクと軽い電流が走る。そんな言い方をされたら期待してしまって、グンナルの胸元をギュッと握った。
「お、起きてていいのか……?」
一緒にベッドに横になるのは本当に久しぶりだ。心の安らぎと昂りを同時に感じさせてくれるグンナルを、ルカはじっと見上げる。
早くなっていく互いの鼓動を聞きながら整った顔と見つめ合っていると、黒曜石の目が柔らかく細まる。
「もちろんだ。……と言いたいところだが……明日、起きれなくしてしまう」
「おあずけかー」
しょぼんと眉を下げたルカは、改めてグンナルの背に腕を回した。
ぬいぐるみとは全く違うごつごつとした抱き心地だ。けれども、グンナルと寝られる方がぬいぐるみと寝るより何倍も嬉しい。
抱きしめる、というよりは抱き着いて幸せを噛み締めるルカの額に、そっとグンナルが口づけてきた。
癖のある焦茶の髪に、グンナルの鼻先が触れるのを感じる。
「ああ……やはりルカからは太陽の香りがする」
深く息を吸い込んだグンナルが、うっとりとした口調で呟いた。少しくすぐったくて、ルカは腕の中で笑いながら身を捩る。
「なんかトシュテン殿下やジュンも俺のこと太陽って言ってたけど……もしかして例え話じゃなくて、本当に太陽の匂いがしてるのか?」
獣人は人間よりも嗅覚が鋭い。
常春の国であるフィオレンテ王国で育ったルカは、雪国のウルスス王国の人々よりも太陽を浴びているはずだ。
「てっきり、陽気な性格っていう意味の例え話だと……グンナル?」
なんの気無しの発言をしたルカだったが、グンナルの動きが止まってしまって首を傾げる。
ルカの頭から顔を離したグンナルの夜色の瞳の奥は、ただならぬ光を宿していた。
「ルカは私だけの太陽だ」
「へ? ……え……っんぅ」
言葉の意味を問う前に、噛み付くように唇が重ねられる。
息が止まりそうなほど抱きしめられ、ルカの手はグンナルの背から離れた。苦しくて戸惑っていると、グンナルの熱い舌が唇を這ってくる。
空気を求めて開けた口内に舌が侵入してきて、無遠慮に上顎を撫ぜられた。脳髄がジンと痺れ、ルカはギュッと足の指を丸める。
「……ん、……ふ」
唾液を混ぜるように口内を貪られて、腰がビクンッと跳ねてしまう。頭に霧がかかったように、グンナルの体温しか感じられない。
ルカは必死でついていこうと舌を動かす。淫らな水音が耳に届いて、頬が熱くなっていく。
飲み込みきれなかった唾液が顎を伝う頃、ようやく唇が離れた。
「ぁ……」
ルカの鼓動は早く、呼吸は浅い。
まるで激しい運動をした後のようだ。
上手く頭が働かなくてぼんやり白い髪を眺めていると、グンナルの舌が唾液で濡れた喉仏から顎をなめとった。
「……っ、グン、ナル……?」
早く寝なければならないのではなかったのだろうか。
お互い休まなければならないのに、ルカは期待に満ちた熱い視線を向けてしまう。
グンナルが顔を上げ、黒曜石の瞳が真っ直ぐにルカを射抜いた。
「私だけのルカなんだ」
そんなこと言われるまでもない。
あまり会えない間もずっと、ルカはグンナルのことだけを考えているのだから。
ふわりと微笑み、今度はルカから唇を触れ合わせた。
「当たり前だろ。グンナルだって、俺だけのグンナルだぞ」
グンナルを抱きしめる力を強めた時、ふと違和感に気がついた。
腕の中の温もりから、力が抜けている気がする。
「……グンナル?」
体を捩ってグンナルの顔を覗き込んでみた。
すると、長いまつ毛が縁取る瞼は完全に閉じている。
耳をすませば、規則正しい寝息が聞こえてくる。
ルカは小さく笑って、背中をぽんぽんと叩いた。
「今度はお前が寝ちゃったのかー」
寝ていても、本当に人形のように美しい寝顔だ。
でも、綺麗という気持ちよりも愛しい気持ちが膨らんでくる。
静かに寝ている無防備な様子がなんだか可愛くて、ルカの目尻が下がった。
初夜にルカが力尽きてしまった時、グンナルが朝までそっとしておいてくれた気持ちがわかる気がする。
「おやすみ、グンナル」
ルカは心地よく重たい温もりの中で目を閉じた。
明日もまた、忙しくなるだろう。
雪祭りまで、もうひと頑張りだ。
翌朝、グンナルがシロクマになるのを耐えて歯軋りしていたのは、いうまでもない。
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