第21話

 ルカは真剣な目でトシュテンを見据えた。


「でも、なんであんなことしたかは教えてほしい」


 トシュテンはルカの新緑色の瞳から目を逸らした。

 何も答えないまま二人掛けのソファーにドサリと座った後、渋々といった様子で口を開く。


「……ただの妬み嫉みだよ。あいつは元々皇帝のお気に入りだったから、気に食わなくてな」


 沈んだ声で紡がれた言葉から、嘘は感じられない。あまり言いたくないことだろうに、トシュテンは正直にルカに打ち明けてくれている。

 それが伝わるからこそ、ルカは首を傾げてしまった。


「グンナルが、皇帝のお気に入り? グンナルもセウロも、そんなことは一言も……」

「そりゃわかんねぇだろうな。まさかお気に入りでも、たまに顔見せるだけだなんて、思わねぇだろうから。……皇帝は、私たち皇后の子どものところには一度だって来たことはねぇよ。会うのは公の場だけだ」

「そんな」


 ルカは言葉を失った。

 巨大な帝国の皇帝だ。

 多忙で我が子に会う時間が少ないことはあるだろうが、本人たちにわかるほどはっきりと差があるとは。


 同じ王族でも、際限のない愛を注いでくれたルカの両親とは大違いだ。


「皇帝はグンナルの母親のことは……本気で本気で愛してたんだろうな。だから、その子どものグンナルのことも大事ってわけだ」


 皇帝だけでなく、皇后からの愛情も受けてこなかったというトシュテンの声には、悲しみや諦めが滲み出ている。


 ソファーで項垂れる体の大きな男が、ルカの目には急に幼い子どものように見えてきた。

 なんだかグンナルと、とてもよく似ている。


「トシュテン殿下は、寂しかったんだな」

「……」


 ルカの言葉は図星だったのだろう。

 トシュテンは無言で前髪をグシャリと掻き乱した。


「お前を襲ったのは……グンナルがかわいいやつと結婚して幸せそうだったから、ぶち壊したくなっちまったんだ。巻き込んで悪かった」

「……かわいいやつ……」

「お前だよ」

「……俺……かわいい……ですか」


 腑に落ちない。

 全く納得できなくて、ルカはなんとも言えない表情になってしまう。

 反対にトシュテンは、当たり前のことを言うような顔をしている。


「よく言われるだろ」

「グンナルにしか言われたことないです」

「聞きたくもねぇ惚気聞いちまった」


 本当のことを言っただけだと言うのに、トシュテンはあからさまに表情を歪めてきた。

 舌を出して眉を顰めるトシュテンに、ルカはついつい吹き出してしまう。


「あはは! 悪いと思ってるなら、お詫びに惚気くらいは聞いてってください」


 トシュテンはグッと言葉に詰まった後、舌打ちした。


「言っとくけど、太陽みたいに明るいお前が私のところに来てくれてたかもしれない……ってちょっと思っちまったのも原因だからな。お前がつまんねぇやつならあんなことにはなってねぇ。自業自得だ」

「何が自業自得ですか。ルカ様がお日様のように尊いことは、全く悪いことじゃないです。ご自分の暴走をルカ様のせいにしないでください」


 ずっと黙っていたジュンが、突然会話に入ってくる。シマエナガの姿のままトシュテンの肩に飛び乗り、小さなくちばしで耳をつついた。


「……ってぇな。わかってるよ」


 トシュテンは顔をしかめ、素直におのれの非を認めている。ルカが口を出す間は全くなかった。

 ふー、と一息吐いたトシュテンは真面目な表情になる。


「あと、グンナルに用がある。あいつはどこだ」

「俺は聞いちゃダメな話ですか?」


 ルカはトシュテンの正面のソファに腰を下ろした。背もたれに体を預けているトシュテンとは反対に、真っ直ぐ背筋を伸ばす。


 トシュテンは目線を彷徨わせて悩む様子を見せたが、声のトーンを落として話しだした。


「皇后が、感情の大雪崩を起こしちまってな。今回は嘘じゃねぇ」

「えっと……なんで?」


 そもそも皇后のご機嫌なんて、離れているこちらは知ったことじゃない。

 だがトシュテンがわざわざ話題にするということは、グンナルにとって良くないことがあるのだろう。


「私と一緒だ。グンナルが幸せそうなのが気に食わねぇんだよ。辺境に追いやっても伴侶に男を選んでも文句一つ言わねぇ。なんか言ってくれりゃ、反抗だ反逆だと理由をつけて叩けるのにそれもできねぇってわけだ」

「そんな理不尽な」


 他の言葉が見つからず、ルカは頭を抱える。

 反抗しても従順でも納得してもらえないなんて。グンナルは生まれながらに、とんでもない人に嫌われてしまっているのだ。


 皇族周辺では知れ渡っていることだから、ルカの反応が新鮮なのだろう。トシュテンは饒舌になっていく。


「皇帝の愛を受けた側妃に何もかもそっくりなんだよ、グンナルは。とにかく、皇后の動きがきな臭い。あの人は自分が機嫌が悪い時に楽しいことをしてる奴がいると、邪魔したくなる傍迷惑な習性もある」

「流石に迷惑としか言いようがない皇后陛下だな」


 頭が痛くなってきた。

 話を聞く限り、皇后は権力を持ってはいけない人柄な気がしてならない。そんなことを言っても、すでに権力があるものはどうしようもないのだが。


 心底嫌そうな顔をしてしまうルカに、トシュテンはニヤリと笑みを浮かべている。


「そういうこと。私は皇后が好き勝手してんのが嫌いだ。こないだの詫びのついでに、グンナルに雪祭りの警備強化の協力してやるためにきたんだよ。皇帝の許可はとってある」


 元々魔物の巣窟が近い地域の上、近頃は魔物狩りが増えている。もっと言えば、仮にもこの帝国の皇子の領地で祭りがあるのだ。

 警備強化の名目で兵士を動かすことに、違和感はない。


 おそらく皇后の動きを察している皇帝も、許可を出しやすかったようだ。


 トシュテンは帝国軍を率いる役目を任されている。味方になってくれるならば、これほど心強い人はいないだろう。


 しかしながら、ルカはトシュテンの話を聞き終えると、腕を組んで唸った。


「なるほど……ありがたいけど……ジュン、どう思う?」


 悩みながらルカは問いかける。

 まだトシュテンの肩に乗っているジュンは、小さな嘴から落ち着いた声を出した。


「お優しいグンナル殿下が怒り心頭でしたからね。トシュテン殿下の申し出を素直に受け入れられるかは疑問です」

「だよなぁ」


 トシュテンがルカを襲った日、グンナルとトシュテンは二人で話し合っていた。

 どんな話をしたのか、ルカが聞いても教えてくれない。

 しかし、もしも無事に和解していたなら、ルカに挨拶もさせずにトシュテンを追い返すようなことはしないはずだ。


 不思議なほどあっけらかんとしているトシュテンの話を、グンナルはどのように受け取るのか。

 領地の安全のためなら協力を断ることはないだろうが、心中は複雑に違いない。


 頭から湯気が出てきそうなほど考え込むルカを面白そうに眺めつつ、トシュテンはしれっと言葉を付け加える。


「あと、せっかくの祭りだから、帝都の酒を大量に待ってきてやった」

「よし! グンナルには俺からちゃんと伝えます! 警備のご協力、ぜひお願いしますねトシュテン殿下!」


 ルカの目がキラリと光る。途端に態度を翻し、満面の笑みを浮かべたのだった。

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