1-4. シャーマン

 暮れの一件を只事ではないと感じたハンジとハドソン軍曹は、ウトを島民の居住区に連れていく前に、彼女から事情を聞くことにした。身体を洗って戻るよう指示すると、ウトは素直に従った。

 彼女は戦死者のものであろう古い防空着に着替えていた。膝が破けて、腹のあたりに赤黒い血痕がついているが、あのぼろきれのような和服と比べればましな装いである。

「お洋服、あの人に……」

 不器用に畳まれたジョージのシャツを受け取ると、ハンジは「食べ物を用意するよ」と笑って、ウトをハドソン軍曹の待つ配給テントへと連れて行った。

 とっくに配給の時間は終わっている。人の気配のないテントの前で、ハドソン軍曹はスパムを一缶、片手で投げて弄んでいた。

「すまない、今日の配給はもうないそうだ。顔見知りから融通してもらえたのはこれくらいだ」

 三人はテントの影に腰を下ろしてランプを囲んだ。ウトは、昼寝をして元気になったカイを膝に乗せると、スパムの缶を開けて、指でほじくりながら夢中で食べ始める。加工肉を頬張っている仄灯りの中の横顔は、負傷兵を慰めていた者とは思えないほどあどけない。

「さて、あまり長く話していると、余計な嫌疑が生じかねない」

 ものの数分で缶を平らげたウトに自分の水筒を渡しながら、ハドソン軍曹が声を落として言った。ハンジもこれに頷いて、「夕方のことだが」と切り出した。

「君は負傷兵の手を握りながら、彼の祖母のことを話していたね」

「……はい。わたしの家は、代々ユタが生まれやすいと言われています」

 ウトは水をカイにも慎重に飲ませながら、蚊の鳴くような声で答えた。


 彼女の説明を要約するとこうだ。

 沖縄県には、昔から〈ユタ〉と呼ばれる霊媒師シャーマンが存在する。彼らはその不思議な力を用いて物事の吉凶を判断することもあれば、生活の些細な困りごとから、医者さながらの病に関する助言を行うこともあるのだそうだ。彼らは生まれながらにその力を授かり、人生のある時それが目覚めるという。

「わたしは祖母から受け継ぎました。六年前に母を亡くした時、神障りカミダーリを経験して自分がユタであることが分かりました」

「カンダリ?」

「神様からのお告げです。神障りがあると、幻を見たり聞いたり、体調を崩したりします。わたしの場合は、意識を失って体だけが勝手に動くことも」

「じゃあ、さっきのは……」

 ウトは首肯いた。ハドソン軍曹に彼女の話を伝えると、彼は顎に手を当てて唸った。

「君の様子がおかしかったのは、神の仕業だって?」

「神様が、ぼんやりしていないで人を助けなさいとわたしに呼びかけている、その報せです」

「……なるほどな」

 ハドソン軍曹は頷きつつも、なんとも言えない表情でランプの明かりを見つめていた。ハンジにも彼の困惑がよく分かる。ウトはそんな二人を見て、寂しそうに目を伏せた。

「きっとユタにしか分からない感覚です」

「いや、その、興味深い文化だよ」

 苦しくなって言い訳すると、カイが甲高い叫びを上げた。

「しぃ、しぃ。どうしたの……」

 ウトは膝の上で手をばたつかせる息子を抱き上げ宥める姿は、世界中で共通する母の温もりに満ちていた。

「お母さんを困らせてごめんな」

 ハドソン軍曹はカイの頭を軽く撫でながら言った。そして、「そろそろ戻ろう」とハンジたちを促し、ウトを島民の居住区まで案内した。


 横倒しになった黒い三角錐の影が密集するそこが、島民たちのキャンプ場であった。

 数日前に保護した女子学徒や、その指導者たちが多く集っているはずのテント前にたどり着いた。すると、いくつかの黒い人影がテントから出てきた。彼らは何事かとこちらの様子を窺い、しかし近寄ろうとする者はいない。

 ハンジは屈んでウトと視線を合わせた。

「配給を受け取る時は、さっきのテントの近くまでおいで。捕虜の生活のことは……悪いけれど、僕にもよく分からないことが多い。テントの中の仲間に教えてもらってくれ」

 親指で黒い影たちを示すと、彼らはびくりと跳ねてテント奥の暗がりに溶けた。

「ありがとう、米兵さん」

「ハンジ=エトーだ。……そうだ、これを」

 ハンジはポケットをまさぐり、少し柔らかくなったチョコレートを探り当てた。それを骨張った手に握らせると、少女の目が薄闇にも分かるくらいに丸く光った。

「少し溶けてるけど、よければあげるよ」

 いそいそとその場で包みを剥がし始める姿が、暗闇の中で灯火のように輝いて見えた。少女はチョコレートをほんの少しだけ齧ると、唇でわずかに溶かしてカイに舐めさせた。残りを自分の口に放った途端に薄い頬が緩む。ハドソン軍曹は口元に拳を当てていた。微かに鼻を啜る音がして振り仰ぐと、ハドソン軍曹が口元に拳を当てて黙っていた。涙もろい人である。

「時間ができたら、また様子を見に来る」

 そう伝えると、ウトはこちらに向き直り黙って頭を下げてこちらに背を向け、暗がりへと去った。

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