童貞、異世界で素人童貞になる。

女部田誠志朗(おなぶたせいしろう)

1発目 転生

 夜の静寂を破るのは、甘いささやき声。

「まだ何もしてないのに、どうしてそんな風になっちゃったの?」

静寂を破ると言っても、それは僕の耳元だけの話。


 ダークエルフの『彼女』が耳元で囁く。

「人間ってホント情けな~い。」

僕も彼女の意見とは同意見。

25歳、童貞サラリーマン佐藤大輝。

華金の楽しみは飲み会でもデートでもなく、狭いワンルームで聞くエッチなASMR。

情けない、と言われても仕方がないし、自覚もある。だけど。


 「しょうがないから、触ってあげるね♪」

ゾクゾクするような囁きに僕の身体が勝手に反応する。

実際は何も起きていないはずなのにそう錯覚させる何か───。

その何かに取り憑かれているんだ。


 自嘲気味に少し自分を俯瞰してみるけれど、やはり三大欲求には敵わない。僕は悶々としたまままどろみ、意識がふわりと蕩け、深い眠りに落ちていく───。



───



 心地よい陽の光で目を覚ます。ASMRを聞いて寝落ちした割には目覚めの良い朝のような気がする。

 昨日は結局寝落ちしてしまったので、まずはイヤホンを外そう。

耳に手をやるが、何もついていない。

寝ている間にイヤホンが外れることなんてよくあることだけど、

「どこかにあるはずだけど、見つからないのは落ち着かないな。」

 それに、携帯も探さないと。

「昨日のs●kmilの無料動画をダウンロードし忘れたからな。今が何時かはわからないけど、見つけなきゃ。」

枕元を手であさってみるがどこにも携帯は無い。

ベッドの下に落としたのだろうか?

僕は寝返りを打ち、ベッドの端に移動して覗き込む。


 「知らない床だ。」


 思わず呟いた。いつものフローリングではなく、僕の視界が豪華な深紅の絨毯で埋め尽くされていたからだ。

見覚えのない絨毯に驚き、慌てて視界を動かしてみる。石造りの壁、豪華なタペストリー、キラキラと輝くシャンデリア。もちろん見覚えがない。

よくよく考えてみたら布団の柔らかさも昨晩の使い古されて潰れた感じとは違い、手入れが行き届いてフカフカなものに代わっていた。

「どこだここ?高級ホテル?」

そう思って窓の外に目をやる。石畳の街並み、馬車の走る音、屋外も屋内と同じように見覚えがなかった。

「なんだここ。遊園地?海外?」

そう思った瞬間、眼前を巨大な影が横切る。

「ドラゴン!?」

鱗の力強さ、通り過ぎたあとの生ぬるい風。テーマパークの作り物とは思えないリアリティ。


 「もしかして、異世界・・・!?」

焦った僕は頬をつねってみる。しっかり痛い。


 昨日聞いたダークエルフのASMRを思わせる中世西洋風(?)の雰囲気。

RPGやWEB小説も好きな僕にとっては、行ってみたくてあこがれたはずの世界。

もっとワクワクするかと思っていたけど、戸惑いや焦りの方が強い。

「やばいやばい。明日からどうしよう。家族は心配してるんじゃないか。どうやったら現実世界に帰れるんだろう。あと携帯!」

それと便座カバー。


 自分が今置かれている状況が全く分からないことが、不安でたまらない。そんな不安に駆られている折に、ドアがノックされる。


トントン。


───


 「お客さま。お目覚めでしょうか?」


 済んだ声、僕の返事を待たずしてドアは開けられた。

(全く、シコっていたらどうするつもりだったのだろうか。)


 ドアの先に目をやると、そこには、絵にかいたようなメイド服を着た、ピンク色の髪をポニーテールにまとめ透き通るような青い瞳を持つ少女。清楚で上品な感じがありながら、可愛らしさも隠れることがないとても魅力的な外見で、童貞の僕には目を合わせて会話することが難しそうな美少女だ。


 「お目覚めのようですね。お客さま。」

彼女の立ち居振る舞いに感動すら覚える。フリルのついた白と黒のメイド服は勿論、顔つき、言葉遣い───まさに異世界。

「おお・・・。本物のメイドさん。」

不安が吹き飛んだわけではないけど、心にワクワクが少し芽生え始める。


「朝食の準備が整いました。私、藤原葵と申します。どうぞこちらでお召し替えを。」

(名前は東洋っぽいのね。)

メイド───葵はスカートの端を持ち、優雅に一礼し、丁寧に畳まれたシワ一つないRPGの初期装備のような衣服を持って部屋に入ってくる。

「え?ちょっと待って!?」

僕の返事などお構いなしに彼女は僕の手を引き、僕はベッド脇の間仕切りの裏に連れていかれる。

「じ、自分で出来るから!大丈夫だって!」

童貞の僕には、女の子がこの距離にいるのは耐えられない。ましてや服を脱がされるなんて。

僕の動揺などお構いなしに、葵は少し笑って、

「ご遠慮なさらず。お客さまへのおもてなしはグランデバイドのメイドの務めですから。」


そう言って彼女は僕にバンザイをするように促し、スウェットシャツを脱がせる。

(めちゃくちゃ近いしいい匂いがする!顔がめちゃくちゃ熱い!激しい鼓動で全身が震えてるみたいだ!)

 スウェットの代わりにテンプレ然としたヘンリーネックを着せてもらう。鼓動が彼女に聞こえていないか心配になる。上半身を着替え終わったかと思えば、彼女は少し屈む。ズボンも手伝ってくれるみたいだ。


「ズ、ズボンの方は本当に大丈夫だから!頼むから!自分で着替えさせて!」

だが、葵は気にせず、ズボンを下ろそうとする。

その瞬間、布が絶妙に引っかかった───。

「うっ・・・!?」

僕の身体が一瞬震え、顔が真っ赤になる。ほんの一瞬、ズボンと敏感な部分が擦れた拍子に、事故は起きてしまった───。

「うわあああ!」

元の世界から一緒についてきたスウェットパンツにじわっと小さなシミが。

25年の童貞生活で溜まりに溜まった、欲求不満のエネルギーが爆発してしまった。


「も、申し訳ございません!すぐに新しいお召し物を用意させていただきますね。」

「ち、違うんだ。これは君のせいじゃなくて、ASMR聞きながら寝落ちしたからであって・・・。」

 彼女も少し動揺している様子で顔を少しだけ赤くしていたが、流石は本物のメイドさんと言うべきか、すぐに落ち着きを取り戻す。

僕が頭を抱えている間にも、彼女は何事もなかったかのように、僕の敏感な部分を綺麗な布で拭き、新しい下着とズボンに着替えさせてくれた。


 恥ずかしい思いはしてしまったものの、僕も流石に25歳なので、すぐに落ち着きを取り戻した。

 一度深呼吸をして、鏡に映った自分を見てみる。さながら物語の主人公だ。初期装備感は否めないけど、これから冒険へと旅たちそうな雰囲気。あんなに情けないことがあったとは思えないぐらいかっこいいと自分でも思ってしまう。


 鏡に釘付けになっている僕に向かって、葵が声をかける。

「お客さま、お気になさらないでくださいね。このようなことは慣れていない方ですと、よくあることですので。」

「ありがとう。よくあることだとしても、恥ずかしすぎるから誰にも言わないでほしい・・・。」

よくある、というのが本当かはわからないけれど、彼女のフォローはありがたかった。

ありがたいけど、鏡の前でカッコつけていたのに、さっきの自分を思い出して、僕はまた少し顔が赤くなった。


 途中、アクシデントはあったものの、準備が整い僕たちは部屋を後にし、食堂へ向かった。


───


 (初めて母親以外の女性に見られてしまった・・・。しかもあんな情けないシチュエーションで・・・。)

そんなことを考えながらシャンデリアがキラキラと輝き、大理石で埋め尽くされた豪華な廊下に足音を響かせる。

葵の美しいピンクのポニーテールが揺れるのを見ながら、気を取り直して話しかける。

「苦手な食べ物とか聞いてくるけど、そもそもどういう食べ物があるの?」

「一般的な人間料理でございます。朝食から宮廷料理というのは少々重いですから、シチューやパン、果物が中心かと。」

元の世界で平民だった僕としては、シチューやパンというのはありがたい。

「人間料理?人間以外にも料理をする奴らがいるってこと?」

気になったので聞いてみた。葵は少し驚いた顔をしてから答える。

「はい。オルタランドには、人間以外にも料理をする種族がいます。彼らの料理は独特な素材や調味料を使っていたりしてなかなか興味深いですが・・・。」


 「へぇ!面白そう!人間はそういうの食べないの?ダークエルフみたいな奴が作ってるの?」

「そうですね。わたくしのような王宮の者は、魔族料理を食べる機会はほぼございません。ただ、城下町の商店街には専門店もあるとか。だーくえるふ(?)というのは聞いたことがないですね。だーくえるふがどのような種族かは存じ上げませんが、似たような外見の方もいるかと思います。魔族は角や尻尾、紫や緑の肌、尖った耳など、一目でわかるような特徴がありますからね。」

残念、ダークエルフはいないみたい。

だけど朗報、耳が尖っているタイプの魔族もいるらしい。


 人間以外にも文化を持つ種族がいる世界に僕が目を輝かせたのを察してか、葵はニコリと笑い、続ける。

 「このオルタランドは広大な世界で、グランデバイド王国はその中心。150年前の大戦に勝利し、『英雄の国』と呼ばれ、周辺国から敬意と畏怖を集めております。」

 なんでも、この天下分け目の戦い以降の150年は平和な時代が続いているそうな。

「英雄の国ねぇ~。なんかかっこいいじゃん。」

不安が完全にぬぐい切れたとは言えないが、彼女の話を聞いて少し前向きになれた気がした。

「外見にそこまでの違いがあるなんて、不思議だなぁ。」

僕が独り言をつぶやくと、葵が巨大な扉の前に立ち、僕に向かって踵を返す。

「さぁ、食堂に到着いたしました。」


 食堂の扉が開く。奥には只者ではない雰囲気の男が座っており、僕の異世界生活の始まりを予感させる───。

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