追放された悪役令嬢(実は元・最強暗殺者)ですが、辺境の谷を開拓したら大陸一の楽園になったので、今更戻ってこいと言われてもお断りです

藤宮かすみ

第1話「プロローグは断罪と共に」

 シャンデリアの眩い光が、磨き上げられた大理石の床に乱反射している。着飾った貴族たちの囁き声と優雅な弦楽の調べ。ここは王立学園の卒業記念パーティー会場。そして私、イザベラ・フォン・ヴァレンシュタインの断罪イベントの舞台だ。


『面倒くさい……』


 内心で深いため息をつく。豪華なドレスは動きにくいし、幾重にも重ねられた宝石はただ重いだけ。前世の私なら、このきらびやかな装飾品を換金していくらの装備が整えられたかを計算していただろう。コードネーム〈サイレント・キル〉。それが悪役令嬢イザベラに転生する前の私の名前だった。


 組織に拾われ、感情を殺し、ただ効率的に『標的』を排除する機械として生きた日々。最後の任務でしくじり、冷たいアスファルトの上で薄れゆく意識の中、願ったのはただ一つ。――次の人生があるのなら誰にも縛られない静かで穏やかな暮らしがしたい、と。


 その願いが歪んだ形で叶えられたのか、次に目覚めた時、私は乙女ゲーム『星降る夜のシンフォニア』の悪役令嬢になっていた。記憶が蘇ったのは数年前。そこから破滅フラグを回避するために奔走? まさか。むしろ、この断罪イベントを心待ちにしていた。王太子の婚約者という立場は息が詰まるだけだ。裏社会の緊張感とはまた違う、陰湿で粘着質な柵から解放されるなら、追放なんて最高の褒美ではないか。


「イザベラ・フォン・ヴァレンシュタイン!」


 来た。主役の登場だ。凛とした、しかし怒りに満ちた声が会場に響き渡る。声の主は、この国の王太子であり私の婚約者であるアラン・フォン・エルスリード。その隣には、潤んだ瞳で彼の腕にしがみつく儚げな少女の姿。ゲームのヒロイン、リリアナ・オーウェンだ。


 周囲の視線が一斉に私に突き刺さる。同情、好奇心、そして大部分は悪意に満ちた嘲笑。完璧な令嬢を演じるのは骨が折れたが、この日のためだと思えば我慢もできた。私はゆっくりと顔を上げ、無表情を装ったままアランを見据える。


「まあ、アラン様。そのような大声を出されて、いかがなさいましたの?」


 あくまで優雅に、扇で口元を隠してみせる。内心では舌打ちしたい気分だが、今はまだ『悪役令嬢イザベラ』を演じ切らなければならない。


「しらを切るな! お前がこれまで、聖女であるリリアナにしてきた数々の嫌がらせ! 私は全て知っているのだぞ!」


 アランが突きつけてきたのは、教科書を隠した、ドレスを汚した、階段から突き落とそうとしたなど、陳腐で使い古された罪状の数々だった。もちろん身に覚えは一切ない。そもそも私が本気で誰かを害そうと思ったら、証拠などひとかけらも残さない。相手は翌朝、冷たくなって発見されるだけだ。


『素人が考えそうな嫌がらせだな。もっと効率的な方法があるだろうに』


 そんな殺伐とした思考を完璧な笑みの下に隠し、私は困ったように眉をひそめてみせる。


「リリアナ様を? 私が? 一体何のお話でしょう。私はただ、平民でありながら聖女として王宮に上がられたリリアナ様が、少しでも早く作法に慣れるようご指導差し上げていただけですわ」


「その指導が、いかに彼女を傷つけたことか! 物覚えの悪い彼女を罵倒し、皆の見ていないところで心無い言葉を浴びせたそうではないか!」


「アラン様……もう、おやめください。イザベラ様は、私の至らなさを思って厳しくしてくださっただけなのです。私が……私がもっと、しっかりしていれば……」


 リリアナが嗚咽交じりにアランにすがりつく。なんという見事なコンビネーション。脚本通りの展開に、私はあくびを噛み殺すのに必死だった。


「リリアナ、君は優しすぎるのだ。だが、もう案ずることはない。私が君を守る」


 アランはそう言ってリリアナを優しく抱きしめると、再び憎悪に満ちた目で私を睨みつけた。


「イザベラ・フォン・ヴァレンシュタイン! 嫉妬に狂い、心優しき聖女を虐げたその罪、万死に値する! よって、今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」


 待ってました、その言葉。会場がどよめき、貴族たちがひそひそと噂を始める。ヴァレンシュタイン公爵令嬢が、王太子殿下から公の場で婚約を破棄された。これは歴史に残る大スキャンダルだ。私の両親である公爵夫妻は、きっと今頃真っ青になっていることだろう。申し訳ないとは思うが、これも私の平穏なスローライフのためだ。


 私は驚きに目を見開く、という演技をしながら、内心ではガッツポーズを決めていた。計画は最終段階へと移行する。


「……アラン様。いえ、アラン殿下。その決定、謹んでお受けいたします。ですが」


 私は一呼吸置き、ゆっくりと、しかし全員に聞こえるようにはっきりとした声で続けた。


「長年、王家の婚約者として尽くしてきた私に対し、一方的な婚約破棄をされるのですから、それ相応の慰謝料をいただきたく存じます」


「慰謝料だと? どの口がそれを言うか!」


 アランが激高するが、私は冷静に言葉を重ねる。


「ええ。殿下とリリアナ様の輝かしい未来を祝福する、手切れ金とでもお考えください。私が望むものは金銀財宝ではございません。ただ一つ、この国の北の果てにある、忘れられた谷。あそこを私に譲っていただきたいのです」


 その言葉に、会場は先ほどとは違う意味で静まり返った。忘れられた谷。魔獣が跋扈し、冬は人の背丈を超えるほどの雪に閉ざされる不毛の地。税収も見込めず管理するだけ無駄だと、王家ですら長年放置している呪われた土地。そんな場所を欲しがるなど、正気の沙汰ではないと誰もが思っただろう。


 アランも面食らった顔をしている。彼にしてみれば、私が泣きわめいて許しを乞うか、あるいは逆上してリリアナに掴みかかるか、そんな展開を予想していたのかもしれない。


「……忘れられた谷だと? あのような何の価値もない土地を?」


「はい。王都を追われる身です。俗世から離れ、静かに暮らすには、あそこほど適した場所はないでしょう」


 私は完璧な淑女の笑みを浮かべてみせた。価値がない土地だからこそ気前よくくれるだろう、という計算もあった。アランはしばらく考え込んだ後、侮蔑の笑みを浮かべて言い放った。


「よかろう! その痩せた土地がお似合いだ! イザベラ・フォン・ヴァレンシュタイン! 貴様をヴァレンシュタイン家から除籍し、忘れられた谷へと追放する! 二度と王都の土を踏むことは許さん!」


 高らかに宣言される追放宣告。それは私にとって自由への扉が開かれた音だった。計画通り。これでようやく、面倒な柵から解放される。


 私は最後に一度、深く、優雅なカーテシーをしてみせた。


「殿下の御慈悲、痛み入ります」


 顔を上げた私の唇に、誰にも気づかれないほどの小さな笑みが浮かんでいたことを、この場にいた誰も知る由もなかっただろう。さあ、始めよう。私だけの、最高のセカンドライフを。

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