紅緒の超絶ハッピーな日々
紅緒
第1話【プレイリスト】
ある日の朝、いつものように二階の自室で目を覚ました私は、スマホを片手に階下へと降りる。
階段を降りてすぐの扉を開けると、狭い居間では大音量で母が音楽を流していた。
耳の遠い父は特に気にした様子は無く、寝そべった体勢でテーブルに置いたタブレットを使い何やら熱心に見ている。
そんな光景は我が家の日常茶飯事なので私も特に気にしない。
母はよくスマホでお気に入りの曲を流す。結構な音量で。しかも、気に入った曲を一曲延々とリピートする。
テレビを見たい時は言えば止めてくれるので、問題は無い。
だが、今日はその曲が妙に気になった。
部屋に入った途端聴こえたメロディーが、その歌詞が、とても私の好みドンピシャだったのだ。
「それ、なんていう曲?」
母に尋ねると、母は「◯◯って曲やで」と教えてくれた。どうやら某有名スナック菓子のCMで流れていたのだそう。
「◯◯? なんか聞いた事あるな。もしかしたらもうプレイリストに入れてるかも」
タイトルに覚えがあった私は立ったままスマホを操作し、ミュージックのプレイリストを開く。
そして操作をしながら、そういえばと思い当たる。
「いや、同じような雰囲気のタイトルやったけど、違う曲やわ。ウチが入れてるのは映画の……」
そこまで言って言葉が尻窄みに消えた。
「え、入ってるわ」
プレイリストの中に、母に教えられたタイトルを見付け目を見開く。
試しに再生してみるが、間違い無く今母が爆音で流しているものと全く同じ曲だった。
「なんや。あんたが好きそうやから教えたろうと思ってたのに」
「え、いや、え??」
「どうしたん」
「いや、この曲入れた覚え無いねんけど……」
とりあえず座ろう。
私は起き抜けで居間に棒立ち状態だったので、一旦座って再度スマホを凝視した。
母のスマホの画面と見比べる。
やはり同じ曲。
「え、いつ入れたんやろう」
プレイリストに入っている順番を見るに、かなり最近だと思われる。
この曲の前後に入っている曲はダウンロードした記憶がしっかりある。この一週間以内の出来事だ。
では、この曲を入れたのもその期間の筈。
ミュージックの検索ボタンを押してみる。
「あれえ?」
間抜けな声が出た。
検索を押すと、ズラッとこれまで検索した曲名やアーティスト名のアイコンが並ぶのだが、その上から三番目くらいのところに、例の曲を歌っているアーティストのアイコンが。
という事はナニか。
私はわざわざ曲名では無く、アーティスト名で検索しプレイリストに追加したのか。
この曲、タイトル短いし結構……いや、かなりインパクトあるぞ。それをわざわざ?
「ぬあ〜〜、わからん〜〜」
頭を抱えてうんうん唸るが、その記憶は終ぞ思い出せなかった。
「憶えて無いの?」
「うん」
「やばあ」
「やばあ、こわあ」
まだエンドレスで母のスマホから流れ続ける曲。何かの拍子で私もCMを見て興味を持ったのかもしれない。
そう思い、YouTubeでCMの動画を見るが……、初見だとしか思えない。
そもそも、この曲自体、今朝母が流していたのを初めて聴いたのだ。多分。記憶が無いから断言は出来ないが、少なくとも今の私は今朝がこの曲とは『はじめまして』だ。
「え、まじで思い出せん。こわい」
自分の行動に全く覚えが無いというのは、なかなかの恐怖だ。
ちなみに酒に酔って記憶が飛んだ、という事では無い。酒は一滴も飲んでない。飲んでないのに記憶無い。
「またかあー」
「うん、またやあ。ホンマにこわいねんけど」
母が軽い調子で言ってくれる。
それに頷いて、私は諦め悪く記憶を辿る。ネットの履歴を何日も遡ったが無駄足だった。
そう、『また』なのだ。
この現象、困った事に何度も経験しているのだ。
記憶に新しいのは、朝目覚めたら知らない内に知らない商品の定期購入を申し込んでいた。
その時はすぐ気付いてキャンセルも出来たから良かったものの、気付かなかったら身に覚えの無い商品が届いてからパニックになるところだった。
本人は何も覚えてない。怖い。怖いとしか言えない。
健忘症という事では無い。
恐らくこれが原因だろうな、というのはあって、それは私が服用している薬だ。
かといって毎日飲んでる物だし、用法容量も守っている。効き過ぎているわけでは無い、はず。
「次病院行ったら、お医者さんに言ってみたら?」
「そうやなあ……」
オチというものはこの話にはつかない。エッセイなので、あった話をそのまま記している。
私はその後も粘り強く記憶を辿ったが徒労に終わり、とうとう考えるのを放棄して、母とその曲のMVを観ながら「この曲良いねえ」と笑うのだった。
✦ あとがき ✦
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
メインでほのぼのあったか異世界モノを長編連載しておりますので、ぜひそちらも読んでみてください。
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