第46章 贖罪の一夜《夢河 吹雪》
一歩踏み入れた部屋の中は、
時間が止まってしまったみたいに静かだった。
カーテンの隙間から、
街灯の光が細く差し込み、
ギターのネックの影を床に落としている。
「…いっちゃん」
声をかけても、彼は微動だにしない。
ベッドの端に座ったまま、
ギターを抱えて中空を見つめている。
音はない。ギターの弦は切れていた。
「吹雪さん…なんで来たんだ」
「放っとけなかったの」
「放っておいてほしいんだ」
彼はまるで抜け殻のようだった。
言葉が風の中に散るみたいに、
どこにも気持ちの行き場がない、
それが痛いほど伝わってくる。
あたしはもう一歩、部屋に入った。
床にはカップと譜面、そして丸めた紙の山。
「…比未子、いなくなったんだ」
彼の声が震え、大きな瞳から涙が落ちる。
「帰ってきたら部屋が空っぽでさ。
手紙が一枚。それだけだった」
あたしの胸の奥に、強い痛みが走った。
(比未子ちゃん…ほんとに行っちゃったんだ)
「俺、あいつの何を壊したんだろうな…」
そう言って、
彼はギターを床に置き、両手で顔を覆った。
あたしは近づいて、
その手を静かに外した。
「…いっちゃん、壊したのはキミじゃない」
彼が顔を上げた。
その瞳の奥に、
もう希望みたいなものは何も残っていなかった。
あたしは、
その瞳をまっすぐ見つめながら言った。
「罰なら…あたしが受ける」
「…は?…何言ってんだよ…
意味のわかんない事…言うなよ…」
「壊すことが罪ならそれはあたしの罪だから。
全部、あたしがしたことだもん」
外では電車の音が遠ざかっていく。
二人の間の空気がゆっくりと軋む。
あたしはいっちゃんを強引に抱きしめた。
「吹雪…さん…?」
「ねえ、いっちゃん…あたしにちょうだい」
「…?」
「あたしに今ある痛みを全てぶつけて…」
「いた…み…?」
「お願い…あたしが受け止めるから」
言葉にした瞬間、
あたしの心臓はまた高鳴る。
彼の瞳が、痛みと迷いの中で揺れた。
「そんなことしても、救われねぇよ」
「わかってるから。もう何も言わないで」
あたしはそう言ってまだ何か言おうとする
彼の唇に強引に自分の唇を重ねた。
あたしは完全に距離を消した。
あたしの指先が彼の頬に触れた瞬間、
彼の体温が指先を通じて心に入ってくる。
冷たいのに、どこか熱を持っていた。
彼の腕が、戸惑いながらあたしを包む。
その腕からも体温が伝わってきた。
あたしが欲しかったのは彼の痛み
あたしは狂うほどの痛みが欲しかった。
あたし自身が壊れるくらいの痛みを。
痛みを通して彼の全てを受け入れたかった。
再度、唇が触れる。
2度目のキスは涙の味がした。
(これが贖いなのか、罰なのか、それとも…
もうダメ…あたしにも…もうわからない…)
ただ――
求め合うお互いの吐息にあたしは“生”を感じた。
それだけで“生きている”ような気がした。
あたしはただ夢中で彼を求めた。
***
夜が明ける頃、
外の空はまだ灰色だった。
裸のまま窓際に座って、
あたしはカバンから静かにIQOSを取り出した。
彼はベッドの上で眠っている。
その寝顔を見つめながら、
あたしは小さく呟いた。
「…ユウキさん。軽蔑してる?あたしのこと」
煙が静かに上がり、
夜の名残の中でゆらめいた。
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