♡ 031 ♡

 広香から教わった三つのコードを、みなもは何度も繰り返し弾いていた。

「百瀬さん、覚えが早いね」

「広香ちゃんの教え方がうまいんだよ」

 みなもはそっとギターを持ち上げ、広香に渡した。

「大切なギター、弾かせてくれてありがとう」

「どういたしまして。また弾いてね」

 背後の窓から夕陽が差して、広香の髪とギターにオレンジ色の光が照り返った。

 広香はギターを構える。指が弦を捉え、跳ねるようなリズムで演奏が始まった。


 その音色に導かれ、みなもの意識はあの日の朝へと滑り落ちた。

 ふかふかの掛け布団にくるまった二人は、寝ぼけ眼を擦って起き上がる。

 彼女のつやつやした髪から、清潔なシャンプーの香りが漂っていた。

 裸足に触る柔らかい毛並みのカーペットが気持ちいい。

 ずっとこうしてあなたの隣にいたい。あなたの作る音楽に、片時も離れず触れていたい。どうかずっと、わたしの手の届くところにいてほしい。


 いつのまにか教室は薄暗い青に変わった。外の街灯がつき、広香とギターのシルエットがうっすらと白い光に照らし出された。


 教室の中に金平糖のような形の何かが浮かび上がる。それは赤みがかったピンク色の光を放ち、弾けて消えた。次から次へと教室の中を飾りつけるように浮かび上がり、そして弾ける。

 金平糖を取り巻くように、細かいビーズのような透明なものが浮遊している。


 広香がギターに合わせて歌い出した。

 可愛らしく静かな旋律と、広香の柔らかく空気の混ざった歌声が絡み合った。

 それは綺麗な三つ編みのように重なり合い、水面のように揺れている。

 とても幸せな歌なのに、隠された不安の色が垣間見えた。

 

 広香の歌声の動きが変わり、浮かぶ金平糖やビーズもそれに連動した。その滑らかな歌声に吸い込まれるようだった。

 ギターの和音は秋の匂いがして、歌声は砂糖菓子のように甘い。

 しばらく瞼を閉じ、みなもはその曲に身を委ねた。


 広香は曲の二番に入り、ギターをカッティング奏法に変えた。細かいリズムで刻まれるそれに、深みを加えた歌声を乗せる。

 目の前に薄く目を閉じたみなもが、行儀良く座っている。膝の上に手を重ね、背筋を伸ばして耳を澄ませていた。


 この曲は、彼女のことを思いながら書いた曲だった。感情豊かに移り変わる表情と、その夜空に輝く星のような瞳。壊れそうに華奢な身体。柔らかい手のひらと、嘘偽りない純真な心。彼女の存在が、この曲の中で一層美しく咲いていた。

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