第一回 ケツァルコアトル 第二話
まもなくして拍手が止んだ。
虎徹はどうしていいか分からず、依然としてソファの前で立ち尽くしたままだった。
そんな彼のことを眺めながら、オリオンが顎をかきかき、
「んー、じゃ、縛るか」と言い出した。
「あっしっ、」虎徹は慌てて、両手で拒絶反応した。「縛られるのは嫌です」
「じゃあ座るしかねえじゃん」
「っす、座るんじゃなくて、かえ、帰るしかねえです」
消え入りそうな声で、虎徹がなんとか言い返した。
「『司会』は、しません。うち、うちに帰ります」
「おまえに拒否権はねえよ。これは運命だ。――なあ?」
オリオンがビデオカメラの方を向いて話を振ると、それは赤ランプを二回点滅させながら、レンズを熱心に縦に振った。どうやら頷いたらしい。そして再び、虎徹へ照準を合わせる。
「ほら」どや顔のオリオン。「俺は正直に言やあ、おまえみたいな、いかにも頼りねえやつが、一万年に一度の対談の達人だとはすとんと
「っな、何もない、なんにもないから」いよいよ泣きを入れる虎徹。「勘弁してください」
「ここまで逃げ腰なやつだとは思わなかったな。うーん」
オリオンは腕を組んで考える素振りをしたあと、何か思いついた様子で、
「――そうだな、まずは一回だけ、試しに『司会』やってみ? そしたら一度、おまえを解放してやるよ」
「……」虎徹の瞳に、ほのかに光がさした。「本当に一回、一回だけ?」
「ああ。『お客様』と一回、話をして、三十分間の『番組』を成立させられたら、そのあとどうするかは、おまえが自由に決めていい。約束してやろう。俺はおまえがどう動くかはどうでもいいけど、絶対、『司会』を続ける方に賭ける」
「……」
虎徹は
「言うねえ、チキンな眼鏡ちゃん」一笑に付すオリオン。「その
何かかっこいいことを言ったつもりのようだったが、虎徹には、
「ちょ、ちょっと何言ってるか分かんない……」
「なんでだよ!」
オリオンが突っ込んだところで、
頭上の晴れ空から、椎名林檎の「幸福論」の
ビデオカメラのスケッチブックが一枚破れ落ち、【お客様!】と書かれた面が出る。
「はい来たあ!」
「うわう」柔らかい座面へお尻が思いきり沈んだので慌てる虎徹。「えっ、深っ」
オリオンは続けて、ヘッドセットから垂れた短いケーブルのプラグを、自分のうなじに開いた
〈おまえのドアの方を見てみな〉と指図した。
言われるがまま、虎徹が視線を石段のある丘のてっぺんまで持ち上げると、そこにぽつんと立っている、
彼が息を
ばあん、という取り返しのつかない破壊音とともにドアが砕け散り、
光の中から、巨大なうねりが破片を
そのうねりの輝きで、花畑の色彩が消し飛び、何もかも白黒になり、
虎徹が心の中ですがっていたかすかな希望が圧倒的な力で爆散した。
「 」
あまりにも突然の大惨事に、
「てってれー!」
そのうねりは、はじめ、形容しがたいほど大きく長い
蛇だ。
手足のないエメラルドグリーンの体、その前方と後方に広い翼を持ち、それをはためかせながら悠々とデッキの上を旋回し、羽根を
とてもこの世のものとは思えなかったが、虎徹にはそれどころではなかった。
このあと、さっさとここから出て行くつもりだったのに、肝心の出入り口が跡形もなく壊されてしまったのである。舞い落ちてくる羽根また羽根を頭や肩に積もらせながら、「ドア、ドアなくなっ、え? ドア、ドア、どうしたの」などと現実を受け入れきれずひとり
「てってれー!」
翼付き大蛇が三たび鳴いた。それから勝手に名乗った。
「ぼくケツァルコアトルちゃん! こんにちはこんにちは!」
「ちわ」
オリオンが体に付いた羽根を払いつつ、半ば
「分かった! 降臨するね!」
大蛇はすんなり応じると、
いきなり羽ばたくのをやめて、ウッドデッキ中央の応接セットのうち、二人掛けのソファ目がけて完全に無防備で墜落し、そのままソファに衝突した。
その反動でウッドデッキ全体が軽く跳ねてはたと我に返った虎徹は、突如前方に落ちてきた大怪物に恐怖して、「ひい!」と飛び上がった。
その大怪物は、間近から見ると、蛇は蛇でも、
「てめえっ、落ち方考えろや!」怒鳴るオリオン。「ただでさえここ、おまえの羽根まみれなんだぞ。余計とっちらかるだろうが!」
「んー?」
大蛇はその頭を器用に傾げ、長ひょろい舌を素早く出し入れしてから言った。
「てへぺろ☆」
「なぁにが『てへぺろ』だ」
オリオンは虫取り網と
「じじいじゃないもん。年齢という概念を超越してるもん」
「言ってろ」
「あ! 『司会席』に何者かが座っている!」
大蛇はその金色の眼ではじめて虎徹を見下ろして、また舌を素早く出し入れした。「ということは? 今日? ぼくは? 『お客様』に? なれ?」
それから確認するように、くいと頭をデッキ正面のビデオカメラの方に向けた。
羽根が数枚乗ったビデオカメラのスケッチブックには、【る】の一文字。
「イエス! イエス!」
大蛇は大感激のためか、何度も舌をぴろぴろ出し入れした。「とうとうこのときが来たんだね! いやあ良かったねえ! えー、いつから受け付けはじめたの?」
「ついさっき」あらかたデッキの上をきれいにしたオリオンは、花畑に降りて、ビデオカメラに付いた羽根を取り去った。ビデオカメラも【初回です】とスケッチブックに出した。
「うっそお! 記念すべき第一回? えーどうしようなんか緊張してきちゃった、おしっこ漏れそう」
「なるべくここから離れて漏らせよ」
適当にあしらってから、オリオンは虎徹の方を見た。彼は衝撃と恐怖と混乱がいっぺんにやって来たせいで、頭の中がパンクしてしまって、ただ青い顔で硬直していた。オリオンはそんな彼へ、ヘッドセットのマイクから声をひそめて伝えた。
〈今から『番組』をはじめるぞ〉
虎徹はすぐに反応し、オリオンとビデオカメラの方を向いて、必死に首を振った。「無理無理」という意思表示なのだろう。
〈心配すんな。俺がこうやって、声で手引きしてやる。まず、テーブルの上の紙を見ろ〉
「紙……?」
虎徹が目の前のガラステーブルに目線を落とすと、確かに、自分のすぐ手前に白い無地の紙切れが数枚並べてあった。だからなんだと彼が思った直後、じわ、と紙面に、縦書きの文章がびっしりにじみ出した。
〈それは『番組』用のメモだ。こっちが
言われたとおりにビデオカメラの方を向き直すと、ぶら下がったスケッチブックには【まもなく収録開始】と書かれ、カメラ上部に、二桁のデジタル数字盤が起こされていた。三十、二十九、二十八……と、赤い数字が、秒を追うごとに減っていく。
〈タイマーがあるのが分かるか?〉
「はい」虎徹は頷いてから、急に焦りだした。「えっもっ、もう、三十秒もない?」
〈ない〉オリオンはあっさり答えてにんまり。〈――で、『番組』を撮りはじめたら、今度はこのタイマーの数字が一分ごとに増えていく。だから、これがまた三十になるまで、おまえは『お客様』と話をし続けるんだ。いいな?〉
自分には到底無理だ、と虎徹は思った。
家でも学校でも、自分から誰かに話を切り出すようなことなど皆無に等しいし、ましてや、話を仕切ることも、盛り上げることも、十七年の人生で避けに避け続けてきたのだ。一万年に一度の対談の達人だなんて、いったい自分のどこをどう切り取ったらそんな風に呼べるのか、まったくもって分からなかったし、分かりたくもなかった。
けれど、
〈『番組』のスタートの合図は俺が出す。初めてだし、今回だけ特別に、俺が出だしの言葉を考えてやる。俺の言うとおり
けれど、もう――やるしかない。
この三十分間をなんとか乗り切る以外に、おのれがこの状況から解放される道はないのだ。
「分か、りました」虎徹は、彼なりに腹をくくった。
〈良し〉
とオリオンが応じた直後、ビデオカメラのタイマーが零になり、レンズの上の赤ランプが点灯した。
カメラのスケッチブックがまた一枚破れ、【はじまりジングル】の文字を出し、辺り一帯にウインドチャイムのきらきらした流麗な音色が駆け抜けていった。オリオンは右手で虎徹に合図を送りながら、彼のイヤホンへ
〈今日から始まりました『こてつのへや』――〉
その声を必死に聴き取りながら、虎徹はすう、と息を吸って、たどたどしく、話しだした。
「っき、今日から始まりました『こてつのへや』、初めての『お客様』は、なんと、神様、でいらっしゃいます。この度、祭り上げ、二千四百周年を迎えられました。宇宙の創造から、とうもろこしの伝授まで、人類のためならなんでもござれ、今もなお多方面で活躍されています。素敵な差し入れ、もいただけるとのことで、楽しみです。ケツァルコアトルさんです。どうぞよろしくお願いします」
「こんにちはこんにちは!」翼付き大蛇こと、ケツァルコアトルがばっちりカメラ目線で鳴いた。「よろしくお願いしまーす! ピースピース! 指ないけど!」
ビデオカメラのスケッチブックに【拍手】の二文字が出され、花畑に再び軽やかな拍手が巻き起こった。
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