時の行間に隠された真実
静まり返った部屋の中で、生きている音は時計の針だけだった。
乾いた「チッ」という音が、モニターの青白い光と混ざり、壁を淡く照らしている。
ハルは何時間もそこに座り続けていた。回転椅子にもたれかかり、視線はコンピューターの画面に釘づけになっている。
夜は終わりを知らず、永遠のように続いていた。
――そして彼には分かっていた。時間はまた、繰り返されようとしているのだと。
「すべてが戻る前に……何かを突き止めなきゃ。」
荒い息が漏れる。
目は焼けるように痛み、まぶたは重い。
それでも脳は熱を帯び、考え続けていた。
ハルには休む余裕などなかった――次のループが始まるまで、残された時間はほんのわずかだ。
画面の上で、カーソルが小さく点滅している。
彼は震える指で文字を打ち込んだ。
『12月25日 市街地での事故 運転手 身元判明』
ページがゆっくりと読み込まれていく。
ニュースサイト、動画、現場にいた人々のコメント――そのすべてを、彼は何度目かの“同じ日”として見つめていた。
同じ時間を繰り返しているのに、まだ知らないことがある。
まるで世界そのものが、時間の層の中に秘密を隠しているかのようだった。
運転手の名前が、冷たい文字列として浮かび上がる。
四十五歳前後の男。前科なし。
ただの一般市民――そう書かれていた。
だが、記事を読み進めるうちに、違和感が生まれる。
「……おかしいな。」
ローカル新聞の古い記事に目を止め、クリックする。
そこには、「穏やかで無口な修理業者」として男が紹介されていた。
だが、後日更新された記事が、すべてを覆す。
『事故の容疑者の家から、監禁されていた少女たちを発見』
ハルの胃が沈み込み、血の気が引いた。
心臓が暴れ、手のひらに汗が滲む。
信じられない思いで、その見出しを何度も読み返す。
――そんな……まさか……。
カーソルが震え、彼はページをスクロールした。
記事には、警察が発見した惨状が細かく記されていた。
数週間行方不明になっていた三人の少女が、男の家の地下室で発見された。
鎖に繋がれ、傷だらけで、生き延びていた。
冷たい刃のような衝撃がハルを貫く。
背もたれに身を預け、息を荒げる。
あの運転手――あの事故の犯人。
彼はただの被害者ではなかった。
「……あの男は……“運命”の犠牲者なんかじゃない。」
「12月25日は……偶然の事故なんかじゃなかったんだ。」
時計の音が、止まったように感じた。
部屋の空気が、彼を見つめ返している気がする。
モニターに映るのは、繰り返しの中で疲れ果てた自分の顔。
だが――心の奥で、何かが動き出していた。
断片が、少しずつ形を成していく。
「もし運転手が負傷していて……薬を買いに街へ出たのなら……」
「俺がその行動を止めれば、彼は車に乗らない。」
ハルは画面の隅に表示されたカレンダーを見つめた。
時間の“先”に進んでいる今だからこそ、より多くの情報を得られているのかもしれない。
つまり――まだ、間に合う。
「よし……」
椅子を勢いよく引き、立ち上がる。
「次のループが始まる前に、やるべきことがある。」
椅子の回転音が部屋に響く。
ハルは机の上のスマホを掴み、地図アプリを開いた。
目を走らせながら、事故現場付近の薬局や工具店を探す。
「薬局……工具……どこに寄ったんだ?」
記憶が一つずつ蘇っていく。
あのループ、このループ。
道、角、音、匂い。
それらが一枚の地図のように頭の中で繋がっていく。
重たいエンジン音。遠くのサイレン。金属の匂い。
そして、ぶつかる直前の、あの車の影。
割れたガラスの音まで、はっきりと思い出せる。
「あの車……あの灰色の車だ……!」
拳を握りしめ、喉の奥に熱がこみ上げる。
もし、もう少し早く気づいていれば――
もし、少しでも疑っていれば――
救えた命があったのかもしれない。
だが、後悔している暇はない。
時間は無慈悲に流れる。
ハルは古びたノートを引き出しから取り出し、メモを書き始めた。
住所、時刻、行動経路――すべて正確に。
クリスマス・イブに開いている薬局、工具店。
思考はもはや執念に近かった。
時計は23時47分を示している。
あと少しで、世界がリセットされる。
「ループが始まる前に……必ず見つけ出す。」
真夜中の冷気が街を切り裂いていた。
ハルは息を白く吐きながら、無人の通りを走る。
身体は限界を超えていたが、心は一片も揺るがない。
「店を見つけ出せば……すべて止められる!」
賭けだった。だが、他に道はない。
そして――空が白く光り始める。
あの眩しい、時間が巻き戻る前触れの光。
ハルは立ち止まり、息を荒げた。
「……まだ早いっ!」
風が吹き荒れ、ゴミが舞い上がる。
光が視界を覆い、世界が歪み始めた。
色が混ざり、音が消える。
身体が宙に浮かび、時間そのものに飲み込まれていく。
――そして、暗転。
目を開けると、ハルはまたそこにいた。
いつもの場所。
同じ道。同じ足音。同じ湿ったアスファルトの匂い。
そして、彼の前には――レナ。
彼女は不思議そうに微笑んでいた。
木々の間を抜ける冷たい風が、落ち葉を舞わせる。
また、同じ朝の始まり。
ハルは息を吐き、震える肩を押さえた。
絶望と焦りが入り混じった目で、地面を見つめる。
「……クソッ、間に合わなかった……。」
レナが眉を寄せる。
――何? どうしたの、ハル?
彼は答えない。
心臓の鼓動が、頭の中で反響していた。
目は周囲を探る。
何か――何か確証が欲しい。
「車……どこだ……?」
記憶がよみがえる。
車種、色、エンジン音……すべてが脳裏に焼きついている。
そして――視線の先に、それがあった。
角のそばに停まる、一台の灰色の車。
バンパーが少し凹み、埃をかぶっている。
血の気が引いた。
周囲の音が消える。
心臓の音だけが、世界を支配する。
「……あれだ。」
思考より先に、身体が動いた。
レナが叫ぶ。
――ハル! 待って! 何するの!?
だが、彼は止まらない。
冷たい空気が頬を切り裂き、肺が焼けるように痛む。
筋肉が悲鳴を上げる。
それでも走った。
「今度こそ……止めてみせる!」
車はまだ動いていない。
運転手の姿もない。
だが――もうすぐだ。
空を見上げる。
重たい雲の隙間から、一筋の陽光が差し込む。
見慣れた朝の光。
けれど、今日だけは違う。
ハルの身体が震える。
車から目を離さない。
足音が近づく。
運命が、再び動き出そうとしていた。
「何度時間が戻っても……俺は、もう立ち止まらない。」
息を整え、目を細める。
そして、心の奥で確信した。
――このループの中に潜む“本当の敵”と、ついに対峙する時が来た。
風が吹き抜け、枯葉が舞う。
レナの声が遠くで響く。
――ハル!
だが、彼は振り返らなかった。
その瞬間、時間は再び、静止したように感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます