救うべきものの残響(エコー)
夜の静寂は、まるで霧のように重く漂っていた。
街の灯りがオレンジ色に瞬き、雨上がりの水たまりやビルのガラスに反射していた。
ハルはポケットに手を突っ込み、ゆっくりと歩いていた。
あの事故の記憶が、まだ頭の中で何度も響いていた。
――あの少女。
もし、自分があのとき彼女の前に現れなかったら、きっと今ごろ彼女は死んでいた。
ほんの偶然のつまずきが、一つの運命を変えたのだ。
「もしかして……俺、こうやってもっと多くの人を救えるんじゃないか?」
その問いが、頭の中から離れなかった。
考えれば考えるほど、胸の奥がざわめき、恐怖と使命感が混ざり合う。
アパートに戻ると、ハルはリュックを床に投げ出し、財布を開けた。
中には、少しばかりの金が残っている。
多くはない。けれど――足りる。
「よし……今回は、違うことをしてみよう。」
そう呟き、ハルは再び外へ出た。
ネオンとクリスマスの飾りで光る夜の街を歩きながら、冷たい風に肩をすくめる。
それでも、足は止まらなかった。
小さなコンビニに立ち寄り、インスタントラーメンのカップをいくつも買い込む。
大きな袋いっぱいになるほど。
店員が不思議そうに見つめる中、ハルは黙って微笑み、会計を済ませた。
家に戻ると、ラーメンをテーブルに並べ、テレビをつけた。
今この“日”で何が起きているのかを知る必要があった。
何度も同じ12月24日を繰り返してきたが、それでも知らないことはまだある。
ニュース番組の画面が明るく光り、アナウンサーの重い声が響く。
「本日、市の中心部で重大な交通事故が発生しました。目撃者の話によると、車両はブレーキの故障によって制御を失い――」
ハルはソファにもたれ、無言で画面を見つめた。
そして、犠牲者たちの名前と写真が表示された瞬間、胸の奥に冷たい衝撃が走った。
「……まさか。」
「俺……この人たちを、知ってる。」
背筋を冷気が駆け抜ける。
画面に映る顔のいくつか――見覚えがあった。
レストランで荷物を拾うのを手伝った男性。
横断歩道で腕を貸して渡ったおばあさん。
チョコレートを分け合ったあの小さな子ども。
別のループでは、確かに彼らを助けた。
だが、今回は――犠牲者になっている。
「そうか……そういうことか。」
偶然なんかじゃなかった。
自分の小さな行動が、誰かの運命を変えていた。
助ければ、未来が変わる。
けれど、背を向ければ、世界はただ崩れ落ちていく。
ハルの心臓が激しく脈打つ。
彼は顔を覆い、深く息を吸い込んだ。
「これが……俺がここにいる理由なのか?」
「別れの痛みじゃなく……その後、俺がどう生きたかが問題だったのかもしれない。」
その考えが、頭の奥で何度も反響する。
長い間、彼は世界を恨み、人生を諦めていた。
だが――もしかしたら、本当の過ちは“諦めたこと”そのものだったのかもしれない。
テレビの音が遠のく。
言葉はもう耳に届かない。
ハルは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
ガラス越しに見える街の光。
笑い合う人々。行き交う車。
世界は確かに動いていた――たとえ、自分の時間が止まっていても。
「もし俺が、誰かの運命を変えられるのなら――」
「今度こそ、できる限り全員を救ってみせる。」
ガラスに映る自分の姿は、以前よりも確かに強く見えた。
絶望に沈んでいたハルはもういない。
そこに立っていたのは、覚悟を宿したハルだった。
深呼吸をひとつ。
そして静かに呟く。
「……これが、俺がここにいる意味なら――受け入れるさ。」
外から、遠くクリスマスの鐘の音が響いた。
痛みと繰り返しの中にあっても、世界にはまだ美しさが残っている。
その音を聞きながら――
ハルは初めて、この果てない循環の中で、“生きている”と感じた。
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