農場と過去の微笑み
五回目のループが始まった。
また同じ街角、同じ風景、そして——同じ人。レナ。
彼女は心配そうな瞳でハルを見つめ、何か大切なことを伝えようとしていた。
だがハルは、その言葉を聞く前に顔を背けて小さく呟いた。
——「君の話なんて、もう聞きたくない。」
そして、レナが何かを言いかけるよりも早く、彼は背を向けて歩き出した。
足音だけが静かに響く。
それはまるで、自分がどれだけ疲れているのかを告げる鐘の音のようだった。
この繰り返しに、もう意味などない。
心が擦り切れるだけの、終わらない罰。
ハルは重い息を吐き、灰色の空を見上げた。
——「なあ、そろそろ場所を変えることはできないのか? さすがに飽きてきたぞ。」
誰に向かって言っているのか、自分でも分からない。
すると、頭の奥に響くような声が返ってきた。
それは、現実と意識の狭間にいる存在——“理解者(エンティティ)”の声だった。
『今回こそ、どうするか決めたのかい? ハル。』
ハルは短く息を吸い、静かに答えた。
——「ああ、もう決めた。」
ためらいなく手を上げ、通り過ぎるタクシーに合図を送った。
窓が開き、中から疲れた顔の中年運転手が声をかける。
「坊や、どこまで行くんだ?」
ハルは小さく喉を震わせながら、その場所の名を告げた。
——「……あそこまで、お願いします。」
運転手は少しだけ彼を見つめたが、何も聞かずに車を発進させた。
街を離れ、車は長い道を進む。
ビルが減り、舗装路が途切れ、やがて窓の外には果てしない緑の波が広がった。
その優しい揺れに、ハルはいつの間にか眠りに落ちていた。
「おい、坊や。起きな。もう着いたぞ……昼飯時だ。」
低い声に目を覚ますと、窓の外には懐かしい光景があった。
金色に輝く麦畑、澄んだ風、そして小さな木造の家。
空気が違う。
都会の濁った匂いではない——土と太陽の香り。
ハルは料金を支払い、タクシーが遠ざかっていくのを見送った。
胸の奥がざわつく。
目の前の家は、記憶の中と変わらない。
けれど、足が動かない。
風が吹き、麦の海が波のように揺れた。
それでも、彼はしばらくその場を動けずにいた。
ようやく一歩を踏み出そうとしたとき——
扉が、先に開いた。
立っていたのは、一人の老人。
皺だらけの顔に穏やかな笑みを浮かべ、ハルを見つめている。
「やっぱり……気のせいじゃなかったか。」
老人は笑って言った。
「ここ数日、家の前に誰か立ってる気がしてな……さあ、入れ。昼飯が冷めちまうぞ。」
ハルは目を瞬かせた。
「……じいちゃん、なのか?」
「当たり前だろう!」老人は豪快に笑った。
「まさか自分のじいさんの顔まで忘れたとは言わせねえぞ。ばあさんが知ったら怒鳴られるな。」
ハルは少し間を置き、かすかに頭を下げた。
——「お邪魔します……迷惑をかけて、ごめんなさい。」
足を踏み入れた瞬間、床板のきしむ音が胸を締めつけた。
懐かしい匂い。壁に並んだ写真。時を刻む古い振り子時計。
「そこに座れ、ハル。」
祖父が指さした椅子に、ハルは黙って腰を下ろした。
やがて、台所から明るい声が響いた。
「ハルじゃないの!? 本当にハルなの!?」
振り向くと、そこには涙ぐむ祖母がいた。
布巾を手に握りしめ、震える声で言う。
「ハル……久しぶりだねぇ……。どうして今まで顔を見せてくれなかったんだい?」
ハルは喉が詰まり、かすかに笑おうとした。
「……大学のことで、ちょっと忙しくてさ。」
祖母は小さくため息をつき、布巾で彼の肩を軽く叩いた。
「大学、大学って……口を開けばそればっかり。」
けれど、その瞳には優しさがあった。
「でもね、こうして帰ってきてくれた。それだけで十分だよ。」
ハルはうつむき、胸の奥にこみ上げる温もりを噛みしめた。
忘れかけていた感情。
静かで、懐かしくて、切ないほどの安らぎ。
——もしかしたら、ここにいることが……正しかったのかもしれない。
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