第13話 三悪女(スリー・メナス)
米沢は、夜明け前の街の冷たい空気を感じながら、広田を背負い、エレベーターシャフトを登り続けた。バールで粉砕された「清算人(クレンザー)」のマスクの破片と、古びた鉄の匂いが、彼らの背後で薄れていく。
「あと、もう少しよ、広田。あそこに見える光の先が、地上よ」
米沢の額から汗が流れ、夜明け前の空の青さに溶け込む。エレベーターシャフトの頂上、古い鉄の格子扉を押し開け、二人はついに、夜明けの都心の裏路地へと這い出た。
しかし、安堵は一瞬で終わった。
路地の出口、高層ビルの巨大な陰に、三つの影が静かに立っていた。いずれも黒を基調とした、まるで忍者か特殊部隊のような異様な装束。ただ、その装束のディテールが、異常な「女性性」を強調している。
中央の女は、細身だが、全身から鋼のような圧力を放っていた。その白い手袋をはめた右手が、ゆっくりと米沢に向けられる。指の付け根には、まるで鋭利な爪のような金属製のパーツが取り付けられていた。
「米沢涼子。そして、傷物の広田涼子。ご苦労様。その『不良債権』の記録は、ここで回収させてもらう」
女の声は、驚くほど冷静で、感情の起伏がない。まるでAIの合成音声のようだ。
米沢は、広田をそっと地面に下ろし、融資記録の原本を胸に抱きしめた。
「あなたたちは…!」
「『インペリウム』の『三悪女(スリー・メナス)』。紹介しよう」
冷静な声の女が、横の二人を紹介した。
「私、『
「…」
右側に立つ大柄で肉厚な女が、静かに一歩前に出た。彼女は全身を包帯でグルグル巻きにし、その上に黒い服を着ている。顔は判別できないが、その体躯と、左手に持った、血液のような赤い液体が入った輸液バッグのようなものが不気味だった。
「アタシは、『
血吹雪ジュンは、輸液バッグを揺らし、カシャカシャと不快な音を立てた。
そして、左側に立つ、最も小柄で、まるでゴスロリのようなレースの黒い衣装を纏った女が、口元だけをニヤリと歪ませた。彼女の右手には、なぜか巨大な黒いバインダーファイルが抱えられており、左手は米沢たちを指差している。
「…そして、私は『
小泉凶子の瞳は、狂気を宿すかのようにギラつき、黒いバインダーファイルを抱きしめる腕に、力がこもった。
「『インペリウム』…!組織の幹部を、こんなところにまで送り込むなんて…!」
米沢は、背後の広田を案じながら、三人の異様な女たちと対峙した。手にバールは残っているが、三人を相手にするのは絶望的だ。しかも、彼女たちの持つ独特の狂気と、異様な道具は、「清算人」のそれとは比べ物にならない威圧感を放っていた。
「そのバールは、もう通用しない、米沢。我々の『清算』は、もっと深いところから、そして、もっと『女性的』に、ねじ曲げていく」
扼死丸ひろ子が、一歩踏み出した。
「さあ、記録を渡しなさい。そうすれば、ロンドンの計画に、君たちを『最高の素材』として組み込んであげる」
米沢は、抱きしめた融資記録を、まるで広田の命綱のように感じた。
「断るわ!この記録は、汚れた経済を浄化する、唯一の『起爆剤』よ!」
「フフフ…潔いね。じゃあ、まずは『希望』の首を、いただくよ」
扼死丸ひろ子が、米沢に向かって一気に間合いを詰めた。その動きは、先ほどの「清算人」の武術とは違い、まるで研ぎ澄まされた毒蛇のようだった。米沢はバールを構えるが、扼死丸の白い手袋をはめた指先の金属爪が、すでに米沢の喉元に迫っていた。
絶体絶命の危機。しかし、米沢は、広田がいつも口にしていた言葉を、再び脳裏で反芻する。
『正義とは、どんなに馬鹿げた状況でも、最後の一歩を踏み出すことだ』
(…最後の一歩。ロンドンへの…)
米沢は、喉元に迫る爪を無視し、バールを真横に薙ぎ払った。狙いは扼死丸ではなく、その横に立つ血吹雪ジュン。
「なめるな!」
血吹雪ジュンは、米沢の攻撃を予測していなかった。米沢のバールが、血吹雪が抱える輸液バッグを、正確に叩き割った。
バシャッ!
赤い液体が、路地の石畳に飛び散る。それは血のように見えたが、化学的な、異臭を放つ液体だった。
「キャアアア!」
血吹雪ジュンが、まるで自分の血液を失ったかのように、異様な悲鳴を上げた。その一瞬の隙を突いて、米沢は広田を背負い、路地の影へと飛び込んだ。
「逃がさないよ、米沢!」
扼死丸ひろ子が追撃をかける。しかし、その時、広田が、米沢の背中で、かすれた声で叫んだ。
「米沢…!融資記録を…!あそこへ!」
広田が指さしたのは、路地のゴミ集積場に、不法投棄された、古い大型のダストシュートの入り口だった。その先には、都心の地下深くへと続く、暗く、汚れた闇が口を開けている。
「了解よ、広田!」
米沢は、最後の力を振り絞り、記録を手に、ダストシュートの暗闇へと身を投げた。
「待て!記録だけは渡すな!」
扼死丸ひろ子の怒号が、米沢たちの背後で響き渡る。
二人の「涼子」は、日本の経済の闇を切り裂く「メス」を胸に抱き、夜明け前の都心から、さらに深い、地下の迷宮へと、その脱出劇を続ける。
地下深く、その先には何が待ち受けるのか。三悪女の追撃は、止まるのか。そして、ロンドン行きの最終計画は、間に合うのだろうか。
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