ワルプルギスの舞踏会
青月 日日
プロローグ:月光の舞踏
満月の灰白が広がる広間は、光そのものが絹のようにたゆたう場所だった。床は鏡よりも澄んで、踏まれるたびに月の輪が微かに震え、天井のない空間にひだを作る。観衆の輪郭は絵の具のにじみのように滲み、誰の顔も細部を失っている。そこにいるのは、ただ律という名の身体と、光に溶ける音楽だけだった。
律の足は理由を問いかけられることなく動いた。腕は空気をなぞり、背は風の弧を描く。練習場で培った習慣と忘れかけた欲望が、密やかに化学反応を起こしていく。観客の視線は暖かく遠く、拍手は硝子を擦る微かな音のように残って、すべてが透明なベールに包まれていった。
仮面──白い陶の面が、ふと間を切り裂くように差し出された。右目の縁に赤い蔦の染みが覗くそれは、声のない前触れのように律の掌に収まる。仮面をつけた人物は微笑みも言葉も乏しく、ただ手を伸ばした。律はその手を取る。冷たさと温度の混じった触感が、確かな接点となった。
二人が重なり合うと、時間は薄く伸びてゆく。足裏にかかる重力がふっと軽くなり、回転は終点を持たない軌跡になる。タンゴの断片がバレエの伸びと同じ肌触りで溶け、ジャズの切れが民族舞踊の呼吸と共鳴する。音は輪郭を失い、ただ「終わらない譜面」という印象だけを残して流れる。互いの身体は透明なガラスのように透け合い、重なった部分だけが光を拾って震えた。
恍惚は言葉を必要としなかった。ただ一つ、律の胸の奥で芽生えたのは――永遠にこのままでいたい、という小さな祈りだった。満月の光が二人の輪郭を優しく繕い、広間は永続する律動に同意するかのように息を合わせる。
やがて音楽は遠ざかり、柔らかい溶け残りだけを残して空間が薄く透ける。光の縁がほどけ、身体の輪郭がいくぶん曖昧になると、律の視界は一瞬の白で満たされた。静寂の縁で、ふと意識が戻る感覚。月の余韻を胸に、目の奥で世界がゆっくりとひらく。
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