第7話 仕事の時間
紫色の唇に、切れの長い瞳。黒い髪はどこか事務的に風になびかれ、差し出された手は白い手袋でピッタリと覆われていた。それを震える手で握り返せば、何かに引き上げられるように、スクリと体が起き上がった。
「へ?」
「っ、な、なんなんだ!?お前!」
女はようやく正気を取り戻したのか、男が失った片腕の口を塞ぐように杖を差し向けて叫んだ。
「おや、回復魔術でございますか。それも破損部位を瞬く間に塞ぐとは……なかなかの芸当にございます。」
男の腕を守るように薄緑色の帯が体に巻き付き、花を咲かせるような出血は終わりを迎えた。
「はぁっ!はぁ、はぁっはぁっ…っあはぁ!!」
顔を青白く染め上げて男は空気を幾度も吸って浅く吐く。
「ふむ、ガダール=ライクトン様の依頼に沿うのならば欠損は頂けないでしょうか。」
「おい、なんなんだよ!?聞いてんのかよ!!お前!って……は?」
叫び散らす女を黙らせたのは、いつの間にか男が失っていた腕が浮かび上がったからか。
「勿論、聞いておりますとも。しかし質問が抽象的なもので、私としてはどのように答えれば良いのか頭を悩ませてしまいます。」
「んな、っはぁ!は、なんだよ!?」
浮かび上がった腕は元の居場所へ戻るように静かに男の傷口へ収まり、だらりと垂れる。
「どうで致しましょうか。指先の感覚に違和感などは?」
だらりと垂れた腕は臆病に五指を揺るがして、次第に豪胆に肘を曲げて肩をまわした。
「な、治った?」
「はい。浅学ながら手術を行わせて頂きました。無論、その調子ならば、後遺症なども残らないでしょう。一安心にございます。」
ペコリとリシュリューは流麗な礼を行う。
「さて、」
何なんだ、一体この人は。
「それでは、ご依頼の方実行させていただきます。」
「ご依頼?」
確かに、斧が振り下ろされる刹那、そんな声を聞いた気がする。
「ガダールッ、裏切ってたの!?」
「お、俺の腕までッ!信じてやってたんだぞ、お前のことっ!!」
悲壮に歪む2人が問い詰めるように声を荒立てる。しかし、眼前では燕尾服が壁となっているためその姿は良く見えない。
「しかもそいつ!蝿の服を着てるッ!汚らわしい、汚らわしい!汚らわしい!!」
「お前らのせいで、何人の人が死んだと思ってるんだ!!」
だが、確実に分かるのはもう俺が知っている2人はどこにもいないということ。苛立ちを隠そうともせず杖を構えて、地面に落ちた斧を拾い上げる男女は既に気が狂ってしまっている。
「……。」
そんな2人に立ち向かうように、リシュリューはスッと腕を伸ばす。
「だっ、駄目だ!リシュリューさん!」
痛むからだを無下に、声を張り上げる。
「あの2人はネームドなんだ!実績が認められて王都直属の依頼を受けられるエリート探索者、並大抵の人……が、」
並、大抵なのか?
「ご心配頂きありがとうございます。ガダール=ライクトン様。しかし、大変申し上げにくいのですが」
仕組みはわからないが瞬きの間に腕を切り落として、理屈はわからないその腕を会話半分でつなぎ直すような人が。そんな芸当ができる奴なんて、
「既に、終わらせてしまいました。」
ドサリと、力なく地に伏す音が2つ。1人で10人ほどの戦力を持つと謳われるネームドがいとも容易く弄ばれた。
「……あっ、リシュリュー総班長補佐!お疲れ様です。」
「マルクス=ビー様、お疲れ様でございます。」
倒れた2人の背後から現れたのは、帽子をかぶった男。それから、少し遅れてもう1人。
「ふ、フィラー?」
「そうですけど。……貴方はガダールさんですよね。リシュリュー総班長補佐、これは一体?」
気を失っているのか、宙に脱力して浮いているフィラーに対してリシュリューが何かリアクションを取ることはない。
「はい。推測にはなりますが、変わってしまったのはガダール=ライクトン様ではなく、そこに転がる2名だと思います。件のヒーロイズムを掲げる団体に心酔していらっしゃる様子でした。」
「では、ガダールさんは脅迫されていたと?」
質問をするようにさらに一歩踏み込んだ帽子の男は、街頭に照らされて顔が顕になる。
「なっ、なんでまだここに?」
「どういう意味ですか?ガダールさん。」
そこにいたのは、依頼金の話をしたときにいた1人の男。
「あ、あんたら皆帰ったんじゃないのか?」
「え?……あ、もしかしてご飯食べてるときのやつですか。アレはでっち上げですよ。聞き耳立てられる場所で堂々と手の内を明かすわけないじゃないですか。」
あっけらかんと言い放たれる言葉には、それはそうだという納得しかなかった。
「じゃ、じゃあまだこの街にいるのか!?あの、無表情の人とメガネの子、それと俺が手首を切っちゃった人!」
しかし、彼らが騙されていたというのなら。
「……リシュリューさん、どうしますか?」
「問題にすらならないかと。」
ソッチのほうがたちが悪いぞ!
「今その人たちは何処にいるッ!?生きてるなら早くここから離れたほうがいい!!」
「落ち着いてください、ガダールさん。一体何をそんなに恐れているんですか?」
干上がるノドを抑え込んでまくし立てるように舌を回す。
「飯屋で盗み聞きをした奴らは、個別に移動するリシュリューさん達を暗殺する作戦を立てたんだ。」
痛む四肢を無理やり動かして身振り手振りで危険性を発露させる。
「街の外に張っている人たちを除いて、与えられた指示は見つけたら即殺!外に逃げたなら2.3人相手に逃げ切れればいいが、この街に残っていたら何人から狙われ「ッがぁぁぁぁあ!!!!!」
「んなッ!?」
突如として、路地裏から男の絶叫とそれに伴う巨体が吹き飛んでくる。痛みをよそに、習慣ついた回避行動を行うが差し掛かって初めて痛みに邪魔をされる。もしここで膝をついてしまえば、次に起き上がれる保証はない。
「ご安心ください。」
かばい立てるようにリシュリューさんが前に出る。駄目だなんて言葉はつづられることはなかった。その声を聞くだけで、その背中を見るだけでどうにかしてくれるという核心が心を漂ったから。そして、その核心を補完するように飛んできた男は途端に軌道を変えて地面へ投げ飛ばされていった。
「ん、リシュリュー?って悪い!!そっちいったか?」
「いえ、クラム。この程度、執事として造作もございません。」
申し訳なさそうに両手のひらを合わせながら路地裏から歩いてきた男は、リシュリューさんを気遣うように頭を下げる。
「あ、ガダールさん。……だいぶボロボロだけど平気ですか?」
「あっ……な、なんとか。」
その気遣いは矛先を変えて、切り落とされたはずの左手が差し出されて、現状を問われる。
「りっ、リシュリューさんが縫合を?」
「はい。全力を尽くさせて頂きました。」
強い違和感が脳裏を横切るが、満身創痍のこの身ではそんなことに集中できる気がしなかった。
「クラム総班長、お疲れ様です。」
「マルクスもお疲れ様。いやぁ大変だったぜ、目が合うやつ皆襲ってくるんだもん。」
辟易とした様子でつぶやく男は、その様子と反して追い詰められたような雰囲気はなかった。
「丁度今、その話をガダールさんから聞いていた所です。街の外に伏兵が数人、残りは皆街中で徘徊をしているそうです。」
「それは……手間が省けたかもな。」
黒衣に身を包む男がイタズラっぽい笑みを浮べて歩み寄ってくる。
「ガダールさん、あの人たちの本拠地って知ってますか?」
立ち上がった親指の先にいたのは、いつの間にか縛り上げられた男女3人。
「し、知ってる。多分間違いないと思う。」
「何処ですか?」
幼子を宥めるような優しい声音。その声で問われたときには既に答えを吐き出してしまっていた。
「ギルドの地下。この街にはライズ教の伝道師がいて、探索者の6割は入団してる。そのうち稼働してるのは4割弱……多分、今動いてる探索者は皆教団員だ。」
そんな絶望的事実を受けても、怯まないと知っているから。
「ギルド……どこまで腐敗してんだ、あの組織は。」
「上が上ですからね、あの人ろくでもないじゃないですか。」
「同意にございます。」
示し合わせたように3人は歩を進める。向かう先にあるのは、ギルド。
「な、なにをするつもりなんですか?」
本当は知っていた。知っていながら、答えてほしかった。
「なにって……そうだな。」
安心したかったから?いいや、違う。
「
英雄に少しでも多く触れたかったから。
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