第4話 転送の実験
オアシス———いや、いまや“緑地帯”と呼んでもいいだろう。
ポカリスの周り一面に、薄緑の草が揺れている。
かつて乾いた砂しかなかった場所に、アルターファが絨毯のように広がっていた。
風が吹く。
草の葉が、さらさらと波のように揺れた。
砂の匂いに混じって、かすかに湿った土の匂いがする。
「……見ろよ、クボタ。ポカリス、完全に緑化したな」
「湿度、三一パーセント上昇。地表温度、マイナス四度低下。
生態循環が成立しつつあるのだ」
「難しい言い方すんなよ、ただ“いい感じ”って言え」
「“いい感じ”とはどの程度を指すのだ?」
「そういうとこだよ!」
レンは笑いながら、腰に手を当てた。
草の間に、陽光を受けて小さな虫のような影が動いている。
砂の星で虫を見るなんて、考えもしなかった。
「……よし、一区切りだな」
「何がなのだ」
「Cコーンはまだ無理そうだ。
温度差が大きすぎる。アルターファで土を安定させてからにする。
だから――」
レンは指を立てて言った。
「残りの種は大事に保管しとけ。クボタ、お前の中の種庫、まだ余裕あるか?」
「収容量の一七パーセントが空なのだ」
「ならそれで頼む」
「了解なのだ」
クボタの胸部パネルが小さく開き、空気を吸い込むような音を立てて閉じた。
中には、まだ目を覚ましていない命が眠っている。
⸻
昼。
太陽光発電パネルは全力で稼働中。
風が穏やかで、湿気もある。
珍しく「何もしない日」が訪れた。
レンはポカリスの縁に腰を下ろし、空を眺めていた。
二つの太陽が空の端で交差し、淡い橙色の光が地面に散っている。
「なあ、クボタ」
「なんなのだ」
「俺さ、神様にもらった“能力”ってやつ、あったろ」
「神様?」
「……説明めんどくさいけど、まあ転生手続きのときに出てきた、
上司みたいなやつだ」
「理解不能なのだ」
「だろうな。
で、そのとき“力を二つ授ける”って言われたんだ」
「二つ?」
「一個は、この世界の知識を理解できる力。
つまり、俺が言葉とか構造を自然に理解できてるのはそのおかげ。
……もう一個は、“物を転送できる力”なんだって」
クボタの目のライトが瞬いた。
「転送?」
「ああ。同じ惑星内なら、物を好きな場所に送れるらしい」
「理論上は高効率なのだ」
「理論上って言うな。試してみたいんだよ」
「実験なのだな?」
「そう。お前、ノリノリだな」
「未知は観察対象なのだ」
「お前、ちょっと楽しんでるだろ」
「錯覚なのだ」
⸻
実験は午後から始まった。
船のハッチを開け、内部の作業スペースにマーカーを設置する。
床には白いチョークで「送信」「受信」と書かれた円。
「よし、ここにスプーンを置いて……」
「目標距離二メートル。転送開始なのだ」
レンは両手を前に出して、軽く息を吸い込んだ。
集中すると、空気がピリッと変わる感覚がある。
――ぱん。
小さな音。
次の瞬間、スプーンが二メートル先の円に現れた。
「おお! やった!」
「転送成功。エネルギー消費、微量なのだ」
「すげぇ、ちゃんと動いてる!」
「だが、今のところワープ郵便なのだ」
「言い方ぁ!」
⸻
続いて第二実験。
今度は缶詰を転送対象にする。
「よし、次はこれだ。缶詰No.128、コーン味(味はしない)」
「記録完了。転送開始」
光が走り、缶詰は消え――数秒後、畑の中央に出現した。
砂の上に、ぽとりと落ちる。
「おい、そこ植える場所だぞ!」
「ご主人が座標を曖昧に設定したのだ」
「お前の指示の通りにやったんだが?」
「ボクのせいではないのだ」
「いや絶対お前のせいだろ!」
レンは砂まみれの缶詰を拾い上げ、ため息をついた。
⸻
「じゃあ次、クボタの部品を飛ばしてみよう」
「拒否するのだ」
「だよな」
「ただし、分解部品であれば検証可能なのだ」
「いやもう十分!」
「合理的な提案なのだ」
「お前ほんと怖いな」
⸻
実験は一通り成功した。
わかったこと:
・同惑星内の“見えている範囲”になら短距離転送が可能。
・生き物は転送できない。
・エネルギー消費はごく微量。
「……要するに、地味に便利なだけか」
「収穫作業時には効率三〇パーセント向上が期待されるのだ」
「三〇!? 思ったより高ぇな!」
「だが現在、収穫物は存在しないのだ」
「だまれ」
⸻
夕方。
太陽の一つが地平に沈み、もう一つが赤い輪郭を残している。
レンはポカリスの水面を眺めながら、椅子に腰を下ろした。
風が湿っていて、空気がやわらかい。
「……まあ、無駄ではなかったかな」
「成功なのだ?」
「いや、微妙だ。
人も動物も送れないし、遠距離も無理。
これじゃ、農業革命にはならねぇ」
「革命とは、非効率の頂点なのだ」
「お前、そういう哲学的暴言やめろ」
「ボクは事実しか述べていないのだ」
「それが暴言なんだよ!」
レンは笑いながらも、肩を落とした。
この力が何のためにあるのか、やっぱりわからない。
転送能力――名前ほどの派手さもなければ、ドラマチックさもない。
「ま、いいや。神様の設計ミスかもな」
「ありえるのだ」
「即答すんな」
⸻
そのときだった。
空気がわずかに震えた。
「……ん?」
レンが振り返る。
何もしていないのに、足元の空間がゆらりと歪む。
音もなく、そこに――植木鉢が現れた。
小さな陶器。中には湿った土。
その中央から、一本の植物がすっと立っている。
葉は薄く、半透明。光を受けて、かすかに揺れていた。
「……クボタ。これ、今……見た?」
「見たのだ」
「俺、何もしてないぞ」
「観測装置には反応なし。船のシステムも静止状態なのだ」
「ってことは……」
「――原因、不明なのだ」
レンはしばらく黙って、植木鉢を見つめた。
風が船の外壁を撫でる音だけが響く。
草の匂いが、ほんのわずかに漂った。
その葉が、ふるりと揺れる。
「……わからないのだ」
クボタの声が、静かに空気に溶けた。
(第5章・了)
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