第3話 死の惑星
レンは、船のハッチを開けた。
乾いた風が吹き込んでくる。頬に触れる空気は熱いが、どこか軽い。
足元には、昨日と同じ畑――砂を掘って作った、わずか数メートル四方の区画。
その真ん中で、彼はふと息をのんだ。
「……おいおい、マジかよ」
砂の表面から、細い緑が覗いていた。
ほんの数ミリ。光を受けると、かすかに透明に見えるほど弱々しい。
だが確かに、生きている。
「クボタ!」
「呼ばれたのだ」
「来い! これ見ろ!」
船内からガコンと音がして、農業ゴーレム・クボタがキャタピラで現れた。
センサーの目が光る。
「発芽反応を確認。アルターファなのだ」
「うおお……出た! 本当に出た!」
レンは跳ねるように笑った。
乾いた砂漠に、確かに命がある。
それだけで胸が熱くなった。
「この惑星で芽が出るのは珍しくないのだ。
だが、生き残った例は千年で一度もないのだ」
「……お前さ、今そういうこと言う?」
「事実を伝えるのがボクの役目なのだ」
「夢も希望もねぇな」
「希望は統計に含まれない概念なのだ」
「言い方ぁ……」
クボタは首をカタカタと傾ける。
レンはため息をつきながらしゃがみ込み、芽を覗き込んだ。
砂の下で根が張ろうとしている。
生きようとしている。
「……生きてるな、こいつ」
「正確には、まだ死んでいないだけなのだ」
「お前なぁ! 今くらい素直に感動しろよ!」
「ボクは感情を最小限に設計されているのだ」
「それで皮肉だけはフルスペックってどういうことだ」
⸻
昼。
太陽が真上に上がり、外の温度は五十度。
レンはポカリス——小さなオアシスの水を少し飲み、日陰に座り込んだ。
「なあ、クボタ。“死の惑星”って、そんな物騒な名前ついてんの?」
「正式名称は惑星D-47。通称デッド・フォーティセブン。
過去千年間で三百十二名の開拓者が派遣されたのだ」
「そりゃまた、縁起でもねぇ名前だな」
「合理的な名称なのだ。
過去千年間に送られた三百十二名の開拓者、全員が農耕を失敗している」
「お前、平然と地獄のニュース読むなよ……」
「ボクはニュースキャスターではないのだ」
「じゃあ、もうちょっと慰めろ!」
「統計的には、ご主人もその三百十三人目になるのだ」
「おい、せめてフラグ立てるのやめろ!」
レンはクボタからの視線を外してさっきの芽を見た。
太陽に焼かれながらも、必死に伸びている。
それが、たまらなく愛おしく見えた。
「なら、俺が初めて成功したやつになってやるよ」
「統計的には、一パーセント未満の成功確率なのだ」
「上等だ。スープの成功率より高い」
「成功の定義を更新するのだ」
「やめろ、哲学始めるな」
⸻
午後。
風が強くなったので、レンは船に戻った。
温度三十八度。太陽光パネルの出力は七十二パーセント。
冷却ファンがギリギリで動いている。
「よし、昼メシにしよう。今日は……スープだ!」
「材料を確認するのだ」
「ペースト、塩、アルターファの若芽。以上!」
「栄養価ゼロに近いのだ」
「うるさい。気分が大事なんだよ」
鍋に水を入れて火をつける。
ペーストを溶かし、アルターファをちぎって投入。
じわりと草の匂いが広がった。
「……うん、なんか“地球の味”がする気がする」
「嗅覚刺激による錯覚なのだ」
「いいんだよ錯覚で。うまいって脳が言ってる」
「脳はだまされやすい構造なのだ」
「お前も黙ってだまされろ」
⸻
レンはスプーンでスープをかき混ぜた。
金属音が静かな船内に響く。
少し味見をして、眉をひそめた。
「……苦っ! でもうまい!」
「味覚受容の混乱なのだ」
「お前の分析のせいで全部ロマンなくなる!」
「ロマンは非効率なのだ」
「俺の人生、効率だけで説明されたら泣くぞ」
「それも非効率なのだ」
「お前ほんと腹立つな」
⸻
スープを啜りながら、レンがぽつりと聞いた。
「なあ、クボタ。俺って今、何してんの?」
「ご主人はテラフォーミング・プロジェクトの一員なのだ」
「つまり?」
「この惑星を人が住めるようにする実験担当。
信号を送り続ければ、数ヶ月後に連盟が来て、
収穫物との物々交換を行うのだ」
「収穫物がなかったら?」
「来ないのだ」
「冷たっ! ブラック企業かよ!」
「合理的なのだ」
「合理的の使い方、間違ってんぞ」
「正確には、感情を切り捨てた最短経路のことなのだ」
「やっぱ間違ってる!」
⸻
「でもな、思うんだよ」
レンはカップを傾けて、スープの表面を見つめた。
「そんなに技術あるなら、わざわざ人を送り込む必要ないだろ。
AIで十分じゃん」
「ボクはそんなの知らないのだ」
「お前が知らないのかよ」
「どうせみんな暇なのだ」
「……は?」
「暇なのだ。効率化しすぎた文明は、暇になる。
すると“意味”を求めて、わざわざ非効率なことを始めるのだ」
「つまりこのプロジェクト、宇宙規模の暇つぶしってことか?」
「そうなのだ」
「やめろ、夢が砕ける」
「夢とは幻想なのだ」
スープを飲み干すと、鍋の底にアルターファの葉が沈んでいた。
レンは小さく笑った。
「……まあ、暇つぶしでもいいや。
どうせ俺の人生、トラックに轢かれて暇になったんだし」
「比喩として不適切なのだ」
「比喩じゃねぇ、事実だ」
「了解なのだ(記録中)」
「記録すんな!」
⸻
夕方。
レンは外に出た。
アルターファの芽は、朝よりもはっきりと数を増やしている。
砂の隙間から、緑の線が十数本。
風が吹くたび、微かに揺れた。
「なあ、クボタ」
「なんなのだ」
「……これ、ちゃんと育つと思うか?」
「生存確率、一〇パーセントなのだ」
「十パーセントって、意外と希望ある数字だぞ?」
「楽観的錯覚なのだ」
「うるさい、錯覚でも希望があるなら十分だ」
風が止み、夕陽が芽を照らした。
光を受けた葉が、かすかにきらめく。
レンは目を細めた。
「なあ、クボタ」
「なんなのだ」
「この星、悪くないな」
「死の惑星なのだ」
「名前負けしてるな」
クボタのセンサーが一瞬、チカッと光る。
まるで笑ったように見えた。
⸻
夜。
船のモニターには、連盟信号の文字列。
《通信中……応答なし》
冷めたスープを一口飲んで、レンはぼそりとつぶやく。
「なあ、クボタ。生きるって非効率だな」
「その通りなのだ」
「でも、悪くない」
「錯覚なのだ」
「いい錯覚だよ」
外では、風が止んでいた。
死の惑星に、小さな緑が風を待っている。
⸻
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