第3話
翌日。トシは屋敷の自室で、一人黙々と体を動かしていた。
床に手をつき、ゆっくりと体を上下させる。
(…まだ十歳の体だ。筋肉の付き方も違う。だが、動かさなければ鈍るだけだ。)
窓の外に広がる灰色の空を見上げながら、戦場で染みついた習慣を繰り返す。
…が。
「ハァッ、ハァッ…くそ…ここまでか…。」
気力と根性で続けたが、遂に力尽きてしまった。自分史上、最低の回数だ。
(全く、何て非力な体だ。それでも男か…これでは、またいつ病に倒れてもおかしくない…。)
トシは荒く息をつきながら、絨毯の上に寝転ぶ。昨日まで戦場にいたのが噓のようだ。皆、あの後どうなったのだろう…。
いや、考えるまでもない。
(…この世界にも、戦はあるよな。俺も貴族の息子なら、いつかは戦場に出るはず…。)
ならば、こんなことでくじけてなどいられない。そうでなければ、領民を守ることなど到底出来まい。第一、元の世界で散っていった仲間たちにも顔向けが出来ない。
トシは床に手をつくと、再び自分を追い込み始めたのだった。
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一週間後。トシは自室でエリクソンの診察を受けていた。彼は歳三がトシとして生まれ変わった日、その場に居合わせた医師である。
「トシ様。ここ数日、お身体の具合も安定しております。短い時間であれば、外出しても問題ないと考えております。私が伯爵様にそのように具申致しましたところ、外出の許可がおりました。
…ただし、暖かくして、くれぐれも長時間の外出はお控えください。伯爵様も、それを条件にと仰せです。」
「わかりました。…ありがとうございます。先生。」
頭を下げると、医師は笑みを浮かべ、礼を返すと下がった。
こうして、初めての外出許可が下りた。
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屋敷を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。吐く息が白く染まり、足を運ぶたびに、雪がサクサクと音を立てる。先刻屋敷の使用人に尋ねたところ、今は十二月の真っただ中らしい。心配して声をかけてきた門番の兵士たちに、「大丈夫だ。」と答え門を抜ける。
(…雪、か。露天風呂にでもつかりながら眺めたら最高だろうな。酒もあればなおいいが…。)
風呂はともかく、酒は飲めない。この世界では何歳から飲めるのだろう。そんなことを考えながらしばらく歩いていると、林を抜けた先に目的地が見えてきた。僅かだが、木刀を打ち合う乾いた音と、人々の掛け声が聴こえてきた。練兵場だ。隣には騎士団の宿舎もある。
(あれが騎士団の練兵場。先週は窓から林越しに少ししか見えなかったが。中々立派なもんだ。どんな鍛錬をしているんだろう。)
やはり兵たちの掛け声を聞くと、高揚感を覚えずにはいられない。トシが練兵場へ足を速めようとした、その時―——
背筋をかすめるような、細い視線を感じた。
(…誰だ?)
振り返り、視線の先を探ると、木の物陰から小柄な姿が半分だけ覗いていた。
陽の光を受けて輝く赤毛、真剣な瞳。少女は驚いたように目を見開くと、慌てて隠れようとする。
「おい、そこの…何してる。」
声をかけると、少女は観念したように出てきた。
年の頃は自分と同じくらいか、いや、少しだけ大人びて見える。
「…無断で後をつけてしまい、申し訳ございません。トシ様。」
「…お前は?」
「私はソフィアと申します。義父―エリクソンからあなたのお話を聞きました。…だから、その…心配で。」
頬を赤らめ、視線を逸らす少女。
どうやら、屋敷お抱えの医師―エリクソンの義理の娘らしい。
「…心配ってのはありがたいが、尾行はいただけねぇな。」
冗談めかして言うと、ソフィアは小さく笑った。
それは、この冷たい風の中でも不思議と温かく感じられる笑みだった。
こうして、後に新撰組壱番隊組長となる少女とトシの最初の出会いは訪れた。
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