堕天

神田或人

堕天


堕天



 

【双子の天使】


わたしは、アリア

双子の兄ルシルと暮らしている

わたしたちは天使だ

白い羽根をもち、パンを食べワインを飲み、微睡みながら生きていた。


ルシルは活発な性格で、何にでもチャレンジした。わたしはというと、内向的で引っ込み思案で、神様の言うこと以外なにもできなかった。


神様。


神様は、わたしたちにとって、すべてだった。

生きる術のなにもかもを教えてくれた。生まれてから今まで、愛に満ちた目で見つめてくれて、私は神様を愛していた。ルシルもそのはずだったけれど、ある時期からルシルが変わっていった。自我を手に入れた。とルシルは言っていた。


『神様が言うからって、全て正解ではないんだよ。』


刺すように、密やかに、ルシルは言葉を吐いた。


それは、一滴の雫が水面に落ちたかのように、私の心に深く波紋を広げた。


それでも私はルシルを愛していたし、ルシルもそう。私を愛していた。


それは一生変わらない。

多分そうなのだろう。

けれど、2人の幸せは、ずっとは続かなかった。


ルシルが神に反抗するようになったのだ。




【ある夜】




ある夜、ルシルが吠えた。

それも神に向かってだ。


神は全てを愛せと言い、

ルシルはそれはできない、と言った。


ルシルはすべてのものが善であるとは思えない、そうもいった。


神は言う。


善ではないものは、悪魔だ。

天使はみんな清らかで美しい。


そう、私とお前たちのように。


ルシルは言った。



『では僕は悪魔だ。僕の魂は善だけではない。

もちろん善がないわけでもない。

善があり悪もある。


善と悪だけではない。

白と黒の間に、無数にグラデーションのグレーがあるように、

僕には、たくさんの気持ちと、感情と、想いがある。


それは神様、貴方にも支配できないものだ』


神様を睨み据えて、ルシル言った。


それがどんなに恐ろしいことなのか、私は後で思い知ることになる。


この夜から始まったルシルの反抗、反逆。


それを慈悲深いはずの神は、

許さなかった。


神はルシルの、まずは親指の爪を、それから人差し指の爪を、中指の爪を、薬指の爪を、最後に、小指の爪を、奪っていった。


ルシルは、指から血を流しながら、痛みに耐え、苦悶の表情を浮かべていた。


そんな痛みを与えられても、ルシルは反抗を止めなかった。


次に、神に噛み付いた時、

神は今度はルシルの美しかった銀色の髪を、真っ黒に染めてしまった。


ルシルは言った。


『お前はそうやって、逆らうものに、罰を与えていく。自分に従うものは善、従わないものは悪、それはただの支配じゃないのか?』


神様は無表情に、白い手をはらりと払った。


舞うようなその動きは、美しくもあったけれど、同時に恐ろしくもあった。


途端、

ルシルがうずくまった、背中から羽が剥がれていた。ルシルの裂けた服から、血だらけの背中がのぞいていて、私は怖くなって目をそらした。



それでもルシルは気丈に、神様を睨みすえた。



神様が言った。


『ルシル、お前は外界に行け』


その一言でルシルの体は、私の目の前で霧散した。


恐ろしくて、悲しくて、私はどうしていいかわからなかった。


神様に抗議したら?


だめ、そんなことしたら、私も羽根をもがれる。

でも、それでは、ルシルがあまりに⸻。



結局、私には、何もできなかった。いや、しなかった。できなかったなんて偽善はやめよう。自分の身可愛さに、何もせず、ルシルを見捨てたのだ。


あぁ!

本当に翼をもがれなければいけないのは、私の方。神が怖くて、大切な兄を見捨てたのだから。


あの夜

そうあの夜から、全てが違ってしまった。

私は最愛の、ルシルを失ったのだった。




【支配】




私は考えた。


なぜルシルが外界に落とされたのか。


思い当たる節がある。

考えないようにしていたけれど、どこかで気づいていた。


例えば、スープの飲み方、人の愛し方、歩き方や、行き先、どんな表情をすればいいのか、何を好きで、何が嫌いでなきゃいけないのか。

私達は、その全てを神に決められていた。


神の考える通りの自分を、生きていた。


私の考え?そんなものはない。

持つことすら恐ろしい。

神に嫌われる。


でも、ルシルは考えた。

そして罰を与えられた。


神に従わなかったんだから、当然なのかもしれない。

けれど、なぜ神に従わなければいけないのか、私にはわからなかった。


これは⸻支配ではないのか。


うすうす考えていた答えが、今、形を成した。


それは答えだった。


ルシルがいなくなった、答え。


私も気づいてしまった。

これは神の愛などではなく、支配なのだと。


それでも私は変わらず、

神に従い続ける。


神の弾いたレールを歩く。


それしか方法を知らなかった。

ルシルのように、自分の力で生きれなかった。


ぬるい泥水に浸かっているように、

私の生は醜く、そして濁っていた。




【真実】




私に変化が起きたのは、神の支配に気づいた頃からだった。


羽根が、1枚ずつ抜けていく。

最初は1枚。次に2枚。

続いて3枚、4枚と、私の白い羽根は、床に落ちていった。


私の羽が細くなっていくのを、私は恐怖と、それから、妙な興味とで見守っていた。


ある日の食卓、神が言った。


『アリアも私を信じられなくなったのかい?』


『そんなはずがございませんわ』


私は縋るように言った。

でも、心の奥は冷えていた。


神様への愛が、信頼が、あの夜から、ルシルが消えてから、薄れているのを感じていた。


私も、堕天に⸻。


そう思うと、怖いのに、に妙にスッキリした気持ちになった。


ある夜⸻そういえば、あの日に似ていた。夕飯が肉だった⸻神は、いつものように、私にお休みのキスを求めた。


けれど、私はそれを拒んだ。

もう、神を愛していなかった。


私は、神の顔はあまり見たことがなかったのだけれど、ふと、みたくなった。


すると、神は、シワだらけの醜い顔をしていた。  


頭髪は薄れ、ペションとした白髪が、

額に張り付いていた。

声はしゃがれ、背は曲がり、完璧な老人だった。


ひぃ、


私は思わず声を漏らした。


私の思っていた神様は、気高く、気品があり、もっと美しかった⸻はずだった。


いつから見ていなかったんだろう?

いつから私は騙されていたのだろう?


騙された?

わけではない。

私が見ようとしなかったのだ。



どのくらい、私は現実を見ていなかったのだろう。全てをごまかして、見ないふりをして、生きてきた。



兄は正しかったのだ。


神と、双子の天使二人。


その設定をつけたのは、そもそもこの狂った父だ。


母が出て行き、会社をクビになった父は、

突然自分を『神』といいだし、わたしたちにもそう呼ぶように命じた。


私の名前も『アリア』などではない。

茉莉という名だ。加藤茉莉。

兄も『ルシル』ではなく、加藤累。


ああ、なんてこと!

このお芝居に呑まれて、私は学校すら行っていない。


もう、普通には戻れない。

大事な時間を、経験を、失ってしまった!


私は絶望し、

弱い瞳で見上げてくる老人を、ただ虚に見下ろしていた。





【堕天】





私は、病院のベッドから、窓の外の星を見ていた。


ルシルに会いたい。

最近考えるのはそのことばかりだ。


神が逝ってから、どのくらい経ったのだろう、

おぼえていない。


怖い悪魔がきて、全てを奪って行った。

神のものも、わたしのものも、ルシルのものも。


物、だけでなく、もっと大事なものも奪われた。光、希望、穢れなき心、それから⸻。



私は穢され、汚された。



もう天使ではない。

羽は真っ黒。

堕天使だった。


何度も命を断とうと思った。

だけどできなかった。

神の教えに逆らうことになるから。


それから、

ルシルにもう一度会いたかった。


ルシルのことを考えると、胸が熱くなる。

本当に愛していた。優しい、ルシル。





「ああ、加藤茉莉さん?

いますよ。

借金取りに全てとられて

外国に身売りされて

餓死しそうになっているのを、

日本のインフルエンサーがたすけたとか。



体もボロボロで、病気ももらって、

もう長くはないそうです。


精神も病んでしまって、

自分は『アリア』という天使だ

と言っています


ご家族の方?

お兄さん?


はい、まってください、今ご案内します」



「加藤茉莉さんの部屋は、こちらです。

茉莉さん、お兄さんがいらっしゃいましたよ」






白い花

沢山

美しい。美しい。


現れた、ルシルの余りの美しさに、

私は震えた。

涙が止まらなかった。


茶色い長い髪を後ろで束ね、

相変わらず白い肌、

切れ長の瞳、

高い鼻梁、


どんなものよりも、美しい、ルシル。



やっと、会えた。



「……ルシル、迎えにきてくれたのね」



ルシルは淡く微笑み、首を傾げた。


その笑い方、癖も、よくおぼえている。



「ただいま、アリア」


澄んだ声が私を呼んだ。



ありがとう

ありがとう

ありがとう



神様。

あなたは、本当にいたんですね。



《私は堕天。

穢れた体と、虚な魂をもつ者⸻》




《了》

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堕天 神田或人 @kandaxalto

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