放課後魔法倶楽部
ぐりえら
第1話 「夏休みの不思議」
夏休みも終わりに近づいた8月下旬のある日、俺は学校の部室棟へ向かっていた。
夏休みなのに学校に来る理由?それは俺が所属する「魔法倶楽部」の活動日だからだ。といっても、魔法なんて本当に使えるわけじゃない。ファンタジー好きが集まって、魔法について語ったり、ネットで見つけた怪しい呪文を試したり、大体はダラダラと過ごすだけの、そんな部活だ。
部員はたったの四人。俺を含めて男子二人、女子二人。活動日なんて名ばかりで、要するに暇を持て余した俺たちの集まりだ。
部室の扉を開けると、すでに三人が揃っていた。
「よう、優太。遅いぞ」
窓際の机に座っていた健人が、ペットボトルのお茶を飲みながら言った。健人は俺の幼馴染で、魔法なんてものを化学や物理で説明しようとする、ちょっと変わった奴。でも悪い奴じゃない。
「ごめんごめん。ちょっと寄り道してて」
「また図書室?」
奥のソファで漫画を読んでいた美月が、顔を上げて聞いてきた。美月はラノベとファンタジーをこよなく愛する女子で、魔法倶楽部の発起人でもある。いつも「異世界転生するなら絶対魔法使いになる」と言っている。
「まあね」
「相変わらず本の虫だね、優太くんは」
その隣で呆れたように笑ったのは彩花だ。美月の親友兼保護者的な感じで、魔法なんて信じてないけど、この緩い雰囲気が好きで入部したという現実主義者。でも、彼女なりにこの部活を楽しんでいるのは分かる。
俺はいつもの定位置、健人の向かいの椅子に座った。
「みんな集まったし、今日は何しようか」
と美月が聞いてきて。
「いつも通り、適当にダラダラするだけでしょ」
と彩花が返す。
健人は
「俺は持ってきた実験道具の整理でもしようかと思ってる」
と言いながら、カバンから試験管やらビーカーやらを取り出し始めた。
俺は少し迷ってから、カバンの中から一冊の本を取り出した。
「実は、これを見てもらいたくて」
三人の視線が、俺の手元に集まる。
それは、古びた革装丁の本だった。表紙には何の文字も書かれておらず、ところどころ擦り切れている。明らかに年季の入った代物だ。
「何それ?」
美月が身を乗り出してきた。
「図書室で見つけたんだ。それも、ちょっと不思議な見つけ方でさ」
「不思議な見つけ方?」
彩花が眉をひそめる。
俺は昨日のことを思い出しながら話し始める。
夏休み中、暇を持て余していた俺は、よく図書室に通っていた。司書の先生に許可をもらって、涼しい図書室で本を読むのが、この夏の日課になっていた。
昨日も図書室にいて、いつものように書架の間を歩いていたんだ。そしたら、一番奥の、普段誰も来ないような場所で、妙な光を見たような気がした。
一瞬だけ、本棚の隙間から青白い光が漏れたような。
気のせいかと思って近づいてみると、その本棚の一番下、埃をかぶった本の中に、この革装丁の本があった。不思議なことに、他の本と違って、この本だけ埃がついていなかった。まるで、俺が来るのを待っていたみたいに。
「それで、借りてきたってわけ?」
健人が興味深そうに本を見る。
「いや、貸出の記録がなかったんだ。図書室のデータベースにも載ってない。司書の先生も『そんな本あったかしら?』って首を傾げてた。まあ、古い蔵書だから管理から漏れてたのかもしれないけど」
で、何の本なの?と彩花が尋ねる。
俺は本を開いた。最初のページには、幾何学的な模様が描かれていた。円や三角形、星形が複雑に組み合わさった図形。その下には、古めかしい文字で何かが書かれている。
「魔法陣...?」
と美月の目が輝いた。
「みたいだよな。この本、魔法書なんだ」
はあ?と彩花が呆れた声を出す。
「魔法書って、あんた...」
待って待って!と言いながら美月が俺の手から本を奪い取った。
「これ、本物なの!?見て、この魔法陣の複雑さ!それに、この文字...古代の魔法文字に似てる!」
「美月、それラノベの読みすぎ」
彩花がため息をつく。
健人は黙って本を覗き込んでいた。
「でも、確かに凝ってるな。誰かが趣味で作った資料集かもしれないけど」
ほら、ここ!と美月がページを指差す。
「魔法の説明が書いてある!『風を起こす魔法――大気の流れを操り、そよ風を呼ぶ』って!」
俺も本を覗き込む。確かに、魔法陣の下には、その魔法の説明と、発動方法らしきものが記されていた。
「呪文も書いてある。『アエル・ヴェントゥス・フルーレ』...どこの言葉だろこれ?」
美月が首を傾げる。
「ラテン語っぽいな「『風よ、吹け』みたいな意味かもしれない」
と健人が答える。
彩花は腕を組んで言った。
「これ、どうせラノベの設定資料集とかでしょ?誰かが書いた妄想ノート」
「でも、ロマンあるじゃん!」
美月が目を輝かせる。
「ねえ、やってみない?この魔法」
はあ?と彩花が呆れる。
「いいじゃん、暇なんだし。夏休みの思い出ってことで」
健人が眼鏡を押し上げた。
「科学的には興味深い。おそらく何も起きないだろうけど、プラシーボ効果とか、集団心理の観点から考えると...」
「難しいこと言わないの」
美月が健人の言葉を遮る。
「優太はどう思う?」
俺は少し考えてから答えた。
「やってみようか。俺も、ちょっと気になってるんだ」
あの青白い光のこと。埃のついていなかった本のこと。なんとなく、普通じゃない何かを感じていた。
「じゃあ決まり!」
美月が立ち上がる。
彩花は「付き合いきれない」と言いながらも、興味がないわけではなさそうだった。
俺たちは部室の床を片付けて、本に書かれている通りに魔法陣を描くことにした。チョークで床に円を描き、その中に三角形と星形を組み合わせる。美月が本を見ながら指示を出し、健人が定規を使って正確な図形を描いていく。
意外と時間がかかって、魔法陣が完成した頃には30分近く経っていた。
「で、これからどうするの?」
彩花が聞いてくる。
「えっと、魔法陣の中心に立って、呪文を唱えるんだって」
美月が本を読み上げる。
「『心を無にし、風の流れを感じよ。そして言葉に力を込めて唱えるべし』...だって」
「誰が唱えるの?」
全員の視線が俺に集まる。
「優太、あんたが見つけてきたんだから、あんたがやりなよ」
彩花が言った。
俺は少し緊張しながら、魔法陣の中心に立つ。
正直、何も起きないだろうと思っていた。でも、もしかしたら、という期待も少しだけあった。
目を閉じて、深呼吸する。風の流れを感じる、か。部室の中は静かで、エアコンの音だけが聞こえる。
「念のためにエアコンも消そう」
美月が言い、彩花がエアコンの電源を消す。
部室内はエアコンの音さえも消え静寂が広がる。
「アエル・ヴェントゥス・フルーレ」
俺は本に書かれた呪文を、できるだけはっきりと唱えた。
数秒の沈黙。
何も起きない。
「やっぱりね」
彩花が肩をすくめる。
その瞬間だった。
ふわり、と風が吹いた。
部室の中を、柔らかい風が通り抜ける。美月の髪が揺れ、机の上のプリントが舞い上がる。
「え...?」
四人とも、呆然と立ち尽くす。
風はすぐに止んだ。まるで何事もなかったかのように。
「今の...」
美月が息を呑む。
「たまたま風が入ってきただけだろ」
健人が冷静な声で言った。
「でも、窓閉まってるよ?」
彩花が窓を指差す。
「エアコンも、さっきやる前に止めたよね」
美月が付け加える。
健人は眼鏡を押し上げて、部屋を見回した。
「完全に密閉されているわけじゃないんだ。ドアの隙間とか、換気口とか、どこからか風が入ってきたっておかしくはないさ」
「でも...」
「たまたまが重なった結果、魔法だと思い込んでいるだけだよ。呪文を唱えたタイミングで、たまたま外の風が強くなった。それだけのことさ」
健人の言葉は、いつも通り論理的で、説得力があった。
「じゃあ、もう一回やってみればいいじゃん」
美月が本を開く。
「また風が吹けば、魔法だって証明できる」
「そうだね。検証してみよう」
俺はもう一度、魔法陣の中心に立った。
「アエル・ヴェントゥス・フルーレ」
何も起きない。
もう一度。
「アエル・ヴェントゥス・フルーレ」
やはり、何も起きなかった。
三回、四回、五回。
何度唱えても、もう風は吹かなかった。
「やっぱりな」
健人が腕を組む。
「最初のは偶然だったんだよ」
美月は残念そうに肩を落とし、彩花はそりゃそうでしょと言わんばかりの表情だった。
俺も、そうなのかもしれないと思い始めていた。
「まあ、いい思い出にはなったかな」
美月が無理やり明るく言った。
「また明日、別のことでもしようよ」
彩花が立ち上がる。
結局、たまたまだったのかという結論で、俺たちは解散することになった。
「じゃあね」
「また明日」
「おう、また明日な」
下駄箱で別れ学校からの帰り道、夕暮れの街を歩きながら、俺は今日のことを思い返していた。
健人の言う通り、偶然だったんだろうか。
でも、何か引っかかるものがあった。
立ち止まって、記憶を辿る。
あの時、確かに風が吹いた。
机の上のプリントが舞い上がった。
美月の髪が揺れた。
...待てよ。
俺は目を閉じて、もう一度あの瞬間を思い出す。
プリントは舞っていた。でも、窓際の棚に置いてあったノートは?カーテンは?
…何も動いていなかった。
それどころか、プリントが舞い上がる強さの風にもかかわらず机の上に置いてあった他の物だって、ペンとか消しゴムとか、何一つ揺れていなかった気がする。
そして、もう一つ。
美月の髪は確かに揺れた。風に煽られるように、ふわりと。
でも、美月のすぐ横にいた彩花の髪は?
…揺れていなかった。
全く揺れていなかった。
鮮明に思い出せる。彩花は驚いた顔で立っていたけど、その髪は微動だにしていなかった。
おかしい。
本当に外から風が入ってきたのなら、部屋全体に風が流れるはずだ。
でも、あの風は、まるで...
まるで、魔法陣の周りだけに吹いていたみたいに。
背筋がぞくりとした。
じゃあ、あの風は一体...?
夏の夕暮れ、蝉の声が響く中、俺は魔法書を抱えて家路についた。
これから、何が起こるんだろう。
魔法書のことを思いながら、俺の胸は少しだけ高鳴っていた。
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